補遺 がんと死の追想 4戦争と死
戦争と死
わたしが死を身近に感じていたのは、自分が生まれた時代背景があるようにも思える。太平洋戦争の記憶がわたしの子供の頃の時代まで、根強く残っていたことが、大きな要因だと思うようになってきた。
わたしは昭和29年に生まれた。小学校に入学した頃は、戦争が終わって15年も経っていた。子供の頃は戦争のことは遠い過去の歴史上の出来事のように思っていたが、60年も生きたこの頃になると、15年前というのはほんの少し前の出来事のようにしか思えなくなってしまった。10年前と15年前、そして20年前のことが一緒になって、だんごの中にくるまって、時間が圧縮されているように感じる。年をとることによって、時間感覚は変わり、15年前は最近の出来事になってしまったのだ。特に子供のいないわたしには、子供の成長から一年毎の時間経過がはっきりわかるような、客観的な時間のものさしを持ち合わすことがない。
小学生の頃、近所のおじさんが中国大陸の地図を取り出して、自分が行軍した道を教えてくれた。わたしはなんと大昔のことを、と思って聞いていたが、おじさんは行軍したことを、昨日のことのように鮮明に覚えていたのだろう。
子供の頃、むさぼるように読んだ少年漫画にも、戦争の話は多かった。戦後民主主義に生きたわれわれの世代は、いまよりもずっと戦争を引きずっていたことがおとなになってわかるようになった。
わたしの死の恐怖とは、戦争が再び勃発し、国民皆兵で自分が兵士となって戦場に追いやられるという恐怖でもあった。わたしは理不尽な上等兵にゴミのように扱われ、日々殴られたり蹴られたりして、いじけて暮らしていくのだ。そして戦争で死ぬのだ。小学生の頃、わたしに死をもたらすものは戦争であり、それも市民としての死ではなく、戦場での臆病な二等兵の惨めな死であった。戦争は、死そのものよりも、死に向かって生きていく、惨めさをより深く刻み込んでいたのかもしれない。わたしは想像の中で、勇ましい指揮官になることはなかった。




