補遺 がんと死の追想 2死の恐怖
死の恐怖
わたしは物心ついた頃から、異常に死を恐れる子供だった。布団に入ってから1時間から2時間は寝付くことができないほど寝つきが悪く、布団の中で暗闇を恐怖する毎日だった。いつ頃か思い出せないが、わたしは布団の中で十字を切り、明日の朝も生きて目が覚めるように、神に祈るようになった。子供の頃から毎日の決まりごとができないわたしでも、なぜか十字を切ることは毎夜欠かさなかった。
わたしの家に仏壇はあるが、我々家族は普通の日本人家族と同じように基本的に無信仰である。山口県の田舎に育ったわたしの周りにキリスト教の教会はなく、キリスト教に触れることはまったくなかった。身近な人にクリスチャンもいなかった。それにも関わらず、わたしは誰に言われたでもなく、隠れキリシタンのように、家族の誰にも知られないように、毎夜布団の中で、死なないように十字を切ってアーメンと祈っていたのだ。死は恐怖なのだ。
家に小さな仏壇があり、近くの寺に先祖の墓もあったが、わたしにとって仏教は墓場のじめじめする暗いイメージが付きまとっていた。閻魔様や血の池地獄、嘘をついたものは閻魔様に舌を抜かれる、などの絵図や逸話は、子供が受け入れられるイメージではない。そんなものを見て、悪いことをしてはいけないと言われても、もともとそんな悲惨な目に会うほど悪いことをしようとは思っていないのだ。悪人になるほどの度胸もないのだ。
仏教の暗いイメージに比べ、子供心には、キリスト教の聖母マリアの優しい笑みと十字架にかけられているハンサムなイエスの姿は洗練されていた。わたしは一人隠れキリシタンとなって、何年も毎夜ふとんの中で祈っていた。死なないように、というのはエゴイスティックなことだと子供でもわかっていたので、世界が平和であり、戦争で人が死なないように、とも合わせて祈っていた。いつ頃祈ることをやめたのか、思い出すことはできない。




