第九章 現在の生活 九ー7がんの伝道者として
がんの伝道者として
わたしの研究室で他の教員や職員、学生とKが出くわすことがある。そこでKを交えてがん談義となることがある。別に誰に隠すこともなく、過激なまでにオープンなのだ(実際には、母親だけには隠しているのだが)。時には、レントゲン写真や開腹手術中の写真も見せながら、かなり詳細に病気の模様を説明する。
「このレントゲン写真で、はっきりとわかるでしょ。ここに外した2個の胸椎の代わりにシリンダーケージを埋めているの。これは上下3本の背骨にバーを通して、それぞれの背骨にネジを通して補強しているのね」
「ずいぶん大きいんですね」
「大きいでしょ。本物を見せてあげようか」
「えっ、本物は体の中にあるんじゃないですか」
「2回手術したから、1回目のバーやボルトはもらったの。見たかったら持ってくるよ」
「いえ、結構です」
「これは大動脈瘤の写真ね。大きいでしょ。野球のボールよりも大きくなったんだよ。破裂しそうだったんだから」
「どうして治したんですか」
「大動脈瘤の中にステントという人工血管を入れて、正常な血管の太さにしたんだよね。すごいでしょ」
「すごいですね」
「いや、Kさんが手術したわけじゃないから」
「これは心筋梗塞の時の写真、2本の血管が詰まっているのがよくわかるじゃない」
「これはどうしたんですか」
「救急車で運ばれて、ステントを入れて、すぐ治ったよ」
われわれががんの話をすると、聞き手は大きく二つのタイプに分かれることがわかってきた。一つのタイプは、こちらがどんどん熱が入ってきて微に入り細に入り詳しく説明していくと、暗くなって落ち込んでいくタイプである。このタイプは「もう充分です」とわれわれの話をさえぎる。表情がつらそうなので、こちらも無理強いして話すことはしない(当たり前だ)。かれらは途中で話を止めたことを申し訳なく思い「大変な手術をしたんですね」とねぎらいの言葉をKに送る。この言葉はそれ以上の説明を聞くのを許して欲しい、という誠意ある意志表示なのである。
もう一つのタイプは、我々の話にぜんぜん動じないタイプである。いくら体が切り刻まれていようと、背骨が金属に置き換わっていようと、半日かかる手術をしていようと、大動脈瘤が破裂しそうになっていようと、表情を崩さずに平然と話を聞いているのである。こうした人たちには、われわれも時間が許す限り、詳しい説明をすることになる。質問をしてくれれば、なおいいのである。このタイプの人たちが全員肝っ玉が据わっているわけではない。しょせん他人事として聞いているので、驚かない人もいるようなのだ。失礼だが、こうした人たちはイマジネーションが貧困なのかもしれない。かれらの中には虫歯が少し痛んだだけで大騒ぎをする人がいることも付け加えておこう。
両タイプに喫煙者がいる場合は、次のように話が進んでいくことが多い。
「ところであなたはタバコを吸うんだっけ」
「たくさん吸ってるよね」
「わたしの肺がんは扁平上皮がんと言って、喫煙と相関が高いと言われているんだよね。自分もがんになるまでたくさんタバコを吸っていたから、がんになったと思うんだ。まず間違いないね。そんなわたしが言うんだから、タバコは止めた方がいいよ」
「Kさんは、前髪がタバコのやにで黄金色になっていたものね。そのくらいヘビースモーカーだったんだよ。かれががんになったと聞いて、みんなすぐに肺がんだろうと思ったくらいだからね」
「タバコ止める気あるの」
「あっ、は、はい」
「こりゃ、ぜんぜんやめる気ないね」
そうなのだ。Kががんになり、どんなに辛い闘病生活を送ったか、という話を言い聞かせれば、タバコを止める者が続出するだろうと思っていた。何といっても、体験談はどぎついほどリアルなのだから。それがどうしたことか、いまのところタバコをやめたという者は皆無である。上記の両タイプとも、話を聞いたあとで、気持ちよく一服しているのだ。おそらくすごく美味しいタバコだろう。
Kの話はまだ続くのだ。
「タバコ、なかなかやめられないよね。でも、タバコを止めてよかったことがあるんだ。毎月妻から小遣いをもらっているんですが、その額が病気になる前と同じなんだよね。つまり、病気になって車に乗らなくなったのに、ガソリン代が減らされていないんだ。そのうえ、タバコを買わないから、小遣いがいっぱい残るんだ。きみは小遣い制なの」
「はい。毎月もらっています」
「それなら、タバコを止めて、おくさんにはそのことを内緒にしておけば、小遣いは現状維持だよ。本当にお金貯まるんだから。好きなものが買えるよ」
「それは魅力ありますね」
喫煙者にタバコを止めさせることを説くには、健康を強調するよりも、小遣いが貯まることの方が、より説得力があるようだ(ああ、情けない)。でも、現実はこんなものかもしれない。
実際、タバコを吸った経験がない人にはわからないかもしれないけれど、タバコを止めるのはかなり至難の業なのである。わたしは20年前までかなりのヘビースモーカーだったので、よくわかる。わたしは、タバコを止めてから何年も経って、タバコを吸った夢を見、禁煙を破ったと飛び起き、後悔することが何度もあった。それほど中毒性の強いものであるから、やめるのは難しいのだ。ある人たちは、がんになって入院するまで、やめられないかもしれない。だが、入院してもどこかに隠れて吸っているかもしれない。Kを知る人の中には、かれががんで入院したからといって、タバコをやめたということを信じていない人もいる。かれはそれほどのヘビースモーカーだった。
Kは喫煙者に対してはタバコを止めることを勧めるが、それはわたしから見て決して強いものではない。何か口先だけで言っているようにも聞こえる。かれ自身もタバコを吸っていたことを、まったく後悔していないからそうなるのだろう。タバコに関しても、過去を振り返らないのである。反省の2文字がないのだ。これでは他人にも偉そうなことは言えない。それはかれもよくわかっているようだ。




