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第九章 現在の生活 九ー4胸の痛み

胸の痛み

 平成27年5月に肺がんと縦隔腫瘍を切除し、2本の胸椎を人工胸椎に置換する大手術した後遺症がかれを苦しめ続けていることは、これまでも何度か触れてきたが、現在もそれは一向に治まることがない。第4・第5肋骨付近の大胸筋や広背筋の上部の筋肉部分とその周辺の表皮部分が、突如ジーンと痛くなり、徐々に弱くなったかと思うと、また激しくジーンと痛む。発生するタイミングはでたらめで、しかも左右の部位が独立してランダムに起こる。筋肉を動かすと、痛みは増幅されることもある。痛みの前兆がないので、突然の痛みに悶絶するのである。こうして痛みが起こると、それが治まるまでじっと耐えるしかない。

 Kの仮説では、手術の際に切断した神経がきちんともとに修復されずに、でたらめにくっついて、神経系の秩序を回復できていないことによるものと考えていた。

 鎮痛薬として、モルヒネをずっと服用していたが、便秘、排尿困難の症状に加え、食事がのどを通らないなどの副作用が出てきた。当初、医者の説明では、投与後2週間くらいで慣れるはずだということだったが、4週間我慢し続けても副作用は一向に軽くなることはなかった。食べられないことで体重を5kg減らし、免疫力が低下し、新たに肝臓がんにもなった。そこで現在は、モルヒネを止め、脳内で痛みの伝達物質をブロックするリリカを飲んでいる。加えて、漢方薬もいくつか試し、現在はツムラの漢方薬を服用している。

 かれは、痛みが気圧の変化に相関があることを見出した。気圧が低くなると、痛みが激しくなるのだ。このことはなにも新しい発見ではなく、偏頭痛やリュウマチを持っている人が以前から言っていることである。

 かれはインターネットで「頭痛ーる」というアプリを発見した。気圧予報で体調管理や頭痛対策をしようと呼びかけるものである。このアプリは、以前NHK山形のテレビに出演していた気象予報士のお天気お姉さんが開発したものである。気圧の変化予報をグラフで表し、大きく気圧が低下するときには危険であることを示している。そこで痛みは起こらないとされる、わずかな気圧の低下の時も、かれの場合は痛みを感じる。気圧に対して人よりも敏感なんだと自慢するが、それで痛んでいれば世話がない。

 痛みを感じることは生きている証であると、ポジティブにとらえているが、それでも痛みは日常生活の質を著しく低下させている。もし痛みがないならば、病気の前と何も変わらないだろうと思う。そう思うと、痛みがなかったら、すぐに病気のことを忘れてしまうかもしれない。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことは、かれにとっては火を見るよりも明らかなのだ。と言って、宗教家でもないかれに、病を忘れないように、と重荷を背負わせるのも酷すぎる。これだけは断言できるが、Kに宗教家は似合わない。

 当初胸のあたり全体だった痛みは、現在痛みの位置が特定できるようになり、分極化してきたそうだ。と言うことは、少しずつ治ってきているのではないか、と思えるのだ。2年が経過して、この痛みの回復もほんの少し期待がもてるようになったのだ。

 胸の痛みのせいで大好きだった車の運転をあきらめたが、いつか胸の痛みが取れたら運転を再開しようと思っている。たとえ胸の痛みがいまのままであっても、平成32年に開催される東京オリンピックまでに国が目指している自動運転の車ができたならば、自分もその車を購入して、好きなところに行きたいという望みを持っている。自分で運転できなくても、マイカーを持つ夢は捨てていないのだ。かれの可能性は、自分の体調が回復することだけでなく、自分をサポートする科学技術の発展によって拡大していくだろうと考えているのだ。

 世の中には痛みに耐えかねて死を選ぶ人たちもいる。それは弱い人間がやることだ、と他人は何とでも言える。人の痛みを察することはできない。耐えられない痛みや苦しみがあるだろうし、それが継続することに精神的にも耐えられなくなることはあるだろう。だが、痛みを感じることができるのは生きているからである。

 フランスの作家のカミュの作品に『シーシュポスの神話』がある。シーシュポスが神々から受けた罰は、休むことなく大岩を一人で山頂に転がして持ち上げることであった。しかしながら、せっかく山頂に着いても、すぐに大岩は下まで転がり落ちてしまうのだ。シーシュポスは山を駆け下りて再び大岩を山に持ち上げなければならない。こうした仕事が無限に続くのである。カミュはこれを人間の生きることにたとえたのだ。Kが味わっている痛みはわたしに『シーシュポスの神話』を想起させる。別に神々からの刑罰ではないが、生きていることは不条理を確認し続ける作業なのかもしれない。


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