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第九章 現在の生活 九ー2 3年ぶりの帰郷

3年ぶりの帰郷

 がんになって2年間、Kは母の住むM県のT市には一度も帰省していなかった。帰省する時間がなかったわけではないし、体力がなかったわけでもない。がんで体が弱っている自分を、年老いた母に見せたくなかったのだ。息子が自分よりも早く死ぬかもしれないと思ったら、どんなに嘆き悲しむだろう。親より先立つこと、やはりそれは最大の親不孝と思えるのだ。もちろん、この2年間の闘病生活の間でも、自分が母よりも早く死ぬなんて思ったことはないのだが。

 平成29年3月末、3年ぶりにおくさんと二人で帰省することになった。96歳になる母は、実家の近くの有料老人ホームに2年前から入居している。現在、実家には、姉と甥が2人で住んでいる。かれは姉との2人兄弟で、気丈な姉には子供の頃から頭が上がらずに現在に至っている。姉は小学校の校長をし、いまは退職して悠々自適な生活をしているそうだ。K夫婦はその実家に宿泊することになっている。

実家に帰る前から、がんであることを母に告白するかしないか迷っていた。


「母が見ても、がんだったということは、わからないよね」

「そりゃ、がんだと顔に書いてあるわけじゃないから、がんということはわからないだろうけど、身長が5センチも縮んだのだから、それには気づいて、さすがにおかしいと思うんじゃないの。「T、しばらく見ない間に、ずいぶん小そうなったのお」って言われるんじゃないの」

「目の錯覚だよ、って言えないかな」

「いくらなんでも、5センチはわかるんじゃない。ぼけていないんでしょ。しらばっくれることはできないでしょ。それにわれわれは毎日Kさんを見ているから、変化がわからないけど、久しぶりに見たらずいぶん変わっていることに、びっくりするかもしれないしね。どこの変化に気づくかわからないよ」

「まあ、そこらは年取ったということですまそう」

「ということは、がんになったことを言わないの」

「言わないつもりじゃないけど、会った時の母の反応を見て、決めようと思うんだ。」


 K夫婦は自宅の近くにあるY空港からN空港まで飛行機で飛び、そこからバスと電車を乗り継いでT駅に到着した。駅には姉が車で迎えに来ていた。そのまま老人ホームにいる母をピックアップし、予約してあったうなぎ屋に向かった。

 会うなり母は、「えらい背が低くなったなぁ」と言った。やはり低くなった背は年老いた母にも隠せなかったのだ。すると間髪をいれずに姉が「Tももうええ爺さんやで。背ぐらい縮むよ。いつまでも子どもと思ってるからやない?」と返し、かれも調子よく同調した。母は納得していない風だったが、子供二人はこれで言いくるめたことにして、この話題を打ち止めにした。あとあと、かれは結局言いそびれてしまったというが、ほとんど確信犯なのである。そこは親に嘘をついてはならない、という母の言いつけよりも、老いた母を心配させたくない、という子の心情が強く働いていたのかもしれない。嘘が母にばれないように、母より先には死ぬことはできない、と心に強く誓うKであった。その母は確実に100歳以上は生きそうだと思えるのだった。


「お母さんが100歳まで生きたとして、あと4年じゃない。Kさん、4年くらいでいいの」

「いや、それじゃ困るよ。とりあえず母親より長生きをするってことだけで。母が亡くなったからといって、すぐ死ぬつもりなんかないよ。そこが目標じゃないね。子供として、父や母のように、90歳以上は生きないといけないでしょう」

(90歳以上生きること、できれば100歳まで生きること、これがかれの本音なのである)


 滞在中、姉に新しくできたM県立博物館に連れて行ってもらった。巨大なミエゾウの骨格標本とI市大山田付近のH川河床の足跡化石のレプリカが、圧倒的な迫力でホールに展示してあった。郷里に、明るく開放的な博物館ができてうれしかった。

 土産として、入院していたときからずっと食べたかった地元の味付けのあさりの佃煮、赤だし味噌(八丁味噌じゃない赤味噌)をスーパーマーケットで買った。M県産が欲しかったのだけれど、いずれもA県産だったのが少し残念だった。

 ところで、飛行機で帰省する際に、背骨に埋めたチタンは空港の金属探知機に引っかからなかったのだろうか。それを聞くとKは「どうだったと思う」とにんまりと笑った。金属探知機の前で、担当者に体内にチタンが入っていることを告げると、「とにかく通過してください」と言われ、不満げに通過したそうだ。するとブーと鳴った。ここでKは声には出さなかったが「やったー」と喜んだはずである。だが、担当者はポケットに何か入っていないかと聞いてきたので、ポケットに手を突っ込むと小銭が入っているのがわかった。それをポケットから出して通過すると、何も鳴らなかった。肩透かしを食ってしまった。

「厳重なアメリカだったらわからないよね」とまだアメリカに希望を持っているが、当面、かれはアメリカに行く予定はない。


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