第九章 現在の生活 九ー1再び転倒する
第九章 現在の生活
再び転倒する
心筋梗塞事件で、平成28年を締めくくり、平成29年を迎えて1月も終わろうとしていた。授業を終わったKが、「Oさん、大変なことになったよ」と昼前にわたしの研究室に血相を変えて入って来た。急性心筋梗塞にでもなったのかと思ったが、それにしては顔色はよかったし、声も力強いものだった。外見は普段と何も変わりはない。だが、かれが「大変だ」という言葉を吐いたのを聞いたことがない。2年前にがんになってからも「大変だ」とは言ったことがない。なにか緊急性を要しているのだろうか。
「銭形平次の子分の八五郎じゃあるまいし、「てぇへんだ、てぇへんだ」もないもんだ」
「おっ、懐かしいね。銭形平次はやっぱり大川橋蔵だよね。銭形平次の女房の名前知ってる」
「そんなの知るわけないよ」
「お静って言うんだよ。思い出さない。お静役の香山美子、きれいだったね」
「えっ、香山美子だったの。う~ん、そう言われれば、そうかもしれない。それなら、銭形平次の主題歌を歌える?」
「ううん、それはわからない」
「「男だったら一つにかける。かけてもつれた謎をとく。誰が呼んだか、誰が呼んだか、銭形平次」舟木一夫が歌っていたよ」
「思い出した、思い出した。それにしてもよく覚えているね」
「ところで、いったい何が大変なの」
銭形平次の話に引き込まれるほどだから、切羽詰まっているわけではなさそうである。かれの説明は、時系列に沿って授業の内容から入っていった。まるで講義を受けているようだし、これではしばらく大変なことに行きつきそうもない。わたしもじれったくなって、「それで何が大変なの」と聞き直すと、「おっ、そうだった」と言って、屋上で仰向けに転んだことを話し始めた。
話を要約すると、授業の中で地層の成り立ちを積雪を使って説明しようと考え、学生と一緒に屋上に出ていったというのだ。屋上に通じるドアを開けて外へ出た瞬間、スロープになっていて、そこでもろに仰向けに転んで、激しく背中と頭を打ったというのだ。打ち所が心配だったけど、そのまま授業を続け、50センチ程積っていた雪を掘って、何層にも積もった跡を比較しようとしたけれど、うまく雪の層ができていなかったという。こうして授業が終わった後に、私の研究室に「大変だ」と来たのである。
「チタンの胸椎はずれていないの」
「それはわからないけれど、胸に痛みはないから、たとえずれていたとしても、それほど緊急性はないと思うんだ。多分大丈夫じゃない。それよりも頭だよね。後頭部をまともに打ったんだ。脳の血管が切れていたりして」
「脳の血管が切れていたらどこかに障害が出ているんじゃないの。手足がしびれているとかないの」
「どこもない」
「意識はしっかりしているようだし、ろれつも回っているし。とにかく病院に行って、調べてもらったら」
「その前に、(学内の)保健管理センターに行って診てもらおうと思うんだ。そこから大学病院に連絡をいれてもらったら、と思うんだ」
「まどろっこしいね。実際、どこか痛いの」
「頭や背中は痛くないんだけど、手のひらがどんどん痛くなっているんだよね。転んだ時に手をついたようなんだ」
「受け身をとったんじゃない」
「いや、ただ手をついたんだ。それにしても、雪が凍った路上で転ぶ人を見ていると、若い人はすってんと転んでも、お尻から落ちていて、頭を打っている人はいないね。体が柔らかいんだろうね。関節がうまく折りたたまれるんだろうね。自分の場合は、棒が倒れるようだったものね。どこも柔軟性はなかったよ」
「早く病院にいった方がいいよ」
かれは腹部大動脈瘤と心筋梗塞によって、自分の血管がボロボロになっていて、それが脳の血管にまで及び、今回の転倒の衝撃によって、血管が切れてしまったかもしれない、と不安になっているのが見て取れた。背骨のことはたいして気にかけている風ではなかった。
その日の夕方になって、かれは再びわたしの研究室にやってきて、「保健管理センターの医者に診てもらったら、大学病院に連絡をしてくれてMRIを撮ることになったよ。授業中に起こったことだから、労災だというんだ」。労災という言葉がわたしに新鮮に映った。「病院から直接家に帰るから、今日はもう大学に戻らない」と言って出ていった。かれは少し弾んでいるように見えた。
翌朝、昨日の検査の結果はどうなったのか聞こうと思ったが、かれはまだ来ていなかった。わたしは仙台のとある大学から講演を頼まれていたので、すぐに研究室を出て行った。
仙台の大学に着き、携帯電話を見ると、かれから電話が入っていたことがわかった。わたしから電話をすると、MRIの検査では脳も背骨もどうもなっていなかったが、手首の小さな骨が骨折していたのでギブスをしてもらい、全治4週間であると報告してきた。「手の骨折程度ですんだのだからラッキーだったじゃない。しばらくじっとしておいたらいいんじゃない」、と電話で言った。かれもこの程度ですんで、ほっとしていることが電話越しでもわかった。
骨折した手首の骨は「とうじょうこつ」と言うので、「どう書くの?」と聞くと、豆を書いて「豆状骨」だという。ネットで調べると、手首にある確かに豆粒のように小さな骨である。普段まったく耳にしない骨だが、パソコンのキーボードを毎日打っていると豆状骨の周囲が慢性炎症になることが多いそうだ。現代病の一種である。ということは、キーボードを打っている時には、豆状骨の周囲の筋肉を頻繁に使っていることになる。小さな骨だが、かなりお世話になっているようだ。そう言われれば、わたしも豆状骨付近の筋肉の慢性炎症になったことがあるかもしれない。患部を湿布してしばらくコンピュータを使わなかったら、そのうち治った。
がんや心筋梗塞、脳梗塞などの重篤な病気でなければ、手首の小さな骨が折れたくらい、われわれにとっては、のどかな一コマである。などと、不遜な気分になっている。われわれと書いたが、それはわたしだけであって、かれはそれなりに痛みを覚え、手首に大きなギブスをして、少し不便な日常生活を送っていた。もちろん、大学には毎日歩いて通ってくる。足にギブスをしなくてよかったのが、不幸中の幸いなのである。そうだ。かれは、何事が起ころうと「不幸中の幸い」だと思えるのが、最大の強みなのかもしれない。




