第八章 心筋梗塞の治療 八ー3心筋梗塞の治療
心筋梗塞の治療
学会から帰ってきて、月曜日の夕方に見舞いに行った。すでに、心電図、点滴、尿の管、酸素、などのすべての管や配線は外されていた。4人部屋の窓側で上半身を起こしてコンピュータをいじくっていた。顔の色つやも良く、やっぱり元気そのものであった。
「近所の病院に行って肺のレントゲン検査をしてもらったら、予想通りに肺が白かったんだよね」と得意げに説明してくれた。自分の予想が当たったからと言って、そんなに得意にならなくてもよかろうにと思うが、これがかれなのである。
「医者が念のために心電図もとろうといって、心電図をとったんだよね。最近の心電図にはコメントが付いていて、「心筋梗塞の疑い」があるとプリントされていたんだ。そこであわてて、医者が「エコーも見ましょう」ということになって、ベッドに寝かされ、エコーを撮ったんだ。見た瞬間、医者が「これはまずいですよ。ベッドから動かないでください」と言って、医者があたふたしたかと思ったら、「今、救急車を手配しました。Y大と交渉中です」って言うんだ。こっちはそんな瀕死の自覚はないんだから、キツネにつままれたみたいだったんだ。あれよあれよという間に、救急車が来て、Y大学病院の救急までひとっとびだったよ」
「救急車に乗っている時は、意識もあって、元気だったんでしょ」
「うん、元気一杯で、ずっとどこを走っているかわかったよ」
「景色は見られたの」
「いや、横になっていたから見えなかったけれど、タイヤから伝わる振動や音で、どこの交差点を通過し、橋を渡ったのか手に取るようにわかったね。だって毎日通う通勤の道なんだもの」
(ここでも得意げである)
「余裕たっぷりだったね」
「大学病院についたら、3つ扉があったのだけれど、一つ扉を越える毎に医者の数が倍々に増えていったよ。3つ目の扉が開くと、医師や看護師、それに加え学生さんもいて、総勢20数人くらいの人だかりで、出迎えてくれたんだ。救急はみんな顔が緊張していたね。ピリピリしているのがこちらにも伝わってきたよ。自分もだらっとしてちゃいけないんだ、と思って、気を引き締めたね」
「救急ともなると気合が違うんだね」
「うん、びっくりしたよ」
「お医者さんたちの気合で、患者のKさんも気を引き締めたの。まるで、つかこうへいの演劇みたいじゃないの。「熱海殺人事件」では犯人も立派な犯人にならなければならなかったものね」
「演劇のことはよくわからないけど、むだ口はたたかなかったね。処置室に着いたら、すぐに、右手首にカテーテルを通して造影検査をし、冠動脈に2か所の閉塞部があることが判明したんだ。この写真みたらわかるでしょ」
「えっ、2本も閉塞していたの」
「そうそう。2本のうち、1本の閉塞率は99%で、もう1本は75%だったんだ」
「えっ、99%だったの、それじゃほとんど血液は流れていなかったんだね」
「とりあえず99%の血管にバルーンを膨らませて拡張した後で、ステントを挿入したんだ。もう一か所は、ステントの金属反応を見て、後日改めておこなう、ということになったんだ。搬送後1時間ちょっとで修理完了したよ。へ、へ、へ」
「手際がいいね」
「実際、冠動脈の2か所が閉塞を起こしていたので、危なかったらしいんだよね。だけど、完全に塞がっていなかったので、ラッキーなことに心臓の組織はほとんど死んでいないんだよね」
「おおっ、それはよかったじゃない。不幸中の幸いだ。それにしてもがんの次には心臓と、三大疾病のうち2つもしちゃったじゃない。あとは脳が残っているけど、これには気を付けないといけないんじゃない。大動脈瘤と今回の冠動脈瘤の因果関係があるかどうか、医者は何か言っているの」
「明確な因果関係はないだろうと言っている。それでも気を付けなくちゃあいけないね。他の臓器はなんとかなるかもしれないけど、脳が梗塞を起こしたら、自分が自分でなくなるかもしれないからね」
「脳は大事にしたらいいよ。とは言っても、今さらどうしようもないけど、血管をきれいにできる方法があるかどうか、医者に聞いたり、インターネットで調べた方がいいんじゃない」
「うん、そうしてみる。脳は大事だね。ところで、普通の人(誰が普通の人か良くわからないけれど)だったら、今回の心筋梗塞だけで人生の一大事となって、人生の終わりのように思っちゃうんだろうね」
「そりゃ、そうだよ。Kさんにとってはもう慣れっこになっているから、たいしたことには思えないかもしれないけど、普通の人にとっては人生の一大事だよ」
病室でかれと話していると、かれを担当している2人の医者が来た。
「どうですか」
「元気です」
「もう一つを見てみないといけないし、心臓の薬を出していないので、これから出すようにします」
「今週の金曜日に退院できますかね」
(おっ、さすがKさん。まだ入院して一週間も経っていないのに、勝手に退院日を決めているよ)
「明日、検査をしてからにしましょう」
医者が帰っていった。
わたしとの会話に戻った。
「もう一つの悪いところはいつ治療するの」
「最初のステントの影響がないことがわかったら、そのうちにもう一つの方をすることになっているんだ」
「そのうちって、いつ頃なの」
「まあ、数か月後じゃないの」
「ふうん」
「金曜日に退院するの?」
「日曜日に学会があるんだ。それに参加する予定なんだ」
(なんと能天気な。本当に退院できるの?)
とにかく、明るく元気なKと会話をし、安心して病室を出た。




