第八章 心筋梗塞の治療 八ー2心筋梗塞だった
心筋梗塞だった
何気なく携帯電話をのぞくと、Kから数時間前にメールが入っていることが分かった。いつもわたしは携帯電話をマナーモードにしているのだが、携帯電話のバイブレーションに気づくことはほとんどない。気が向いた時に携帯をポケットから取り出して、メールや電話があったことに後から気づくことになるのである。
今回もどうしたのかな、と思ってメールを開くと文面には「主要な原因は心臓の冠動脈閉塞でステントの緊急手術をうけてY大のHCUに入院中です」とあった。えっ、夏の肝臓がんの陽子線治療以来さして何事もなく順調に推移していたのに、今度は心臓、とかれが止まらないローラーコースターに乗って振り回されているような錯覚にとらわれた。心臓は予想外のことだった。
メールの冒頭にあった「主要な原因」は、かれが考えわたしも同調した、風邪による肺に溜まった痰に原因があったのではなく、ましてや気管支の収縮でもなく、心臓の冠動脈閉塞にあったのだ。わたしが生物学の教科書を開いてかれにした研究室での気管支収縮の調節のメカニズムの解説は、もしかするとかれの寿命を縮めることになったかもしれない。「生兵法は大怪我のもと」という諺があるが、この時ばかりは、この諺を痛感することになった。もしかすると「生兵法は死のもと」になったかもしれないのだから。
ずるいことに、かれとの会話に、わたしはいつものように保険をかけていた。「早く医者にかかったら」と。この言葉は、こういう事態になった時に、責任を回避するための保険となるものだ。別にかれから責任を追及されるとは思っていないし、かれがそうするわけでもない。自分の良心に対して保険をかけているのだ。自分はそれほど軽薄ではなく、自分には責任がなかった、と思えるために。なんという自己保身であり、偽善なのだろうか。そんなわたしでも、心筋梗塞を思いつかなかったことを、心の中では悪いと思っている。
わたしが体調が悪い時、いろいろと冗談を言っても、最後に「早く医者にかかったら」と付け加えて欲しい。それがいくら儀礼的であろうと、その人の保身であろうと、一向に構わない。わたしはその人を決して悪く思うことはない。
メールの中のHCUという耳慣れない単語に首を傾げたが、ICUとの比較からHはハートのHなんだろうと勝手に推測したが、後にこれは間違いであることがインターネットで検索してわかった。ICUはIntensive Care Unitの頭文字をとったものであることは以前から知っていた。HCUとICUのCUは同じ単語であるだろう。残りのHは、HeartのHではなくHighのHだということがわかった。ICUの訳語は集中治療室、HCUは準集中治療室である。つまり、HCUはもっとも手厚く患者を見守るICUと普通の患者がいる一般病棟の中間の患者が入る病棟だということである。いずれにしても、Kは緊急手術をしたのだから、一晩くらいはHCUに滞在するのは当たり前のことだと思った。
わたしはかれにすぐに返信したが、その日のうちにメールは返ってこなかった。HCUに入っているのでメールすることはできないのだろうと考えてみたが、先のメールはHCUの中で打たれた文章であるはずだ。そんなところで打っていいのだろうか、と思ったが、ルール無用のかれのことだから、そうしたこともありなのかなと思った。少し不安を抱きつつも、かれのことだから深刻な事態に陥っていることはないだろうと楽観し、その夜、わたしは熟睡した。
返信は翌日の昼過ぎにきた。「一般病棟〇階東○○○の〇に移りました」というものだった。わたしはかれからのメールを受けた時には千葉市にいた。駅裏に安いホテルをとっていた。明日からの土・日曜日にC大学を会場に開催される学会に参加するためだった。一般病棟に移ったということは、事態は深刻ではないということだし、急速に回復に向かっているということに間違いない。病室を知らせてきたのは、見舞いに来て欲しいということを、言外ににおわせていることを了解した。わたしは学会で千葉にいることを知らせると、「ご苦労様です。近所の町医者の対応がナイスでした」という返信が返ってきた。




