第一章 がんの発見 一の7 モルヒネの副作用に苦しむ
モルヒネの副作用に苦しむ
左肩の痛みを緩和するために、医者がモルヒネを処方してくれた。モルヒネは痛みに苦しむ末期がん患者に投与されるものとの先入観があったので、入院していきなりモルヒネをもらったので目をぱちくりせざるを得なかった。(俺って末期がん患者なの)。だが、医者の説明を聞くと、それほど深刻になることはなく、脳と末梢神経という作用部位が違っても、よく知られたロキソニンなどの鎮痛薬の一種に過ぎないということがわかったし、痛みを訴えてくる患者には、普通に処方されていることがわかった。
飲み始めてもそれほど肩の痛みが和らぐことはなかったが、てきめんに腸の動きが悪くなり、便秘、排尿困難、吐き気、食欲不振というモルヒネの教科書的な副作用の症状が現れ、それが続いた。便秘は何日も排便ができず、汚い話であるが、肛門に指を突っ込んで便をかき出したことも一度や二度ではなかった。便秘の経験はこれまでもあったが、膀胱にたまった小便を出したくても出せない排尿困難の経験は初めてのことで、非常に不愉快であった。吐き気を催すことは頻繁にあったが、実際に吐いたのは一度きりだった。
かれはベッドの上で、この副作用を小さくするためには、投与量を最小に抑える必要がある、と考えた。そこで自分でモルヒネを飲んでからの痛みの変化を定期的に記録しグラフにした。これが科学者魂なのだ。同時に、モルヒネの説明書から血中濃度の変化もグラフにし、二つのグラフを照らし合わせて、自分に合うモルヒネの最小量を割り出した。この一連のグラフを使って緩和ケアを担当する医者に説明して、自分に効くモルヒネの最小量を提案した。医者はとても興味を持って面白がってくれた、とわたしに言うが、ただあきれられただけなのかもしれない。実験結果の正しさはともかく、こんなことをする患者はそれまでいなかっただろうから、おもしろい人間がいると興味を持ってもらえたのかもしれない。本当に馬が合ったのかもしれないし、Kの一方的な思い込みかもしれないが、その後もこの医者を頼りにし、困ったときには、痛みだけでなく治療方針全般ついても相談し、意見を求めるようになった。
モルヒネの副作用にはそのうちなれるだろう、という淡い期待を持っていたが、現在に至るまで慣れることはなかった。それでは副作用の代償として、モルヒネが激しい痛みを抑えてくれているかというと、そんなこともなかった。わずかに効果があるのかな、という程度である。それでもこのわずかな効果は、かれにとって大切なものなのだ。
Kのように、誰でもがモルヒネの副作用に苦しんでいるわけではない。個人差があるのだ。Kは一日に50㎎の量でも副作用に苦しんだが、同じ病室にいた80代の患者は、3倍量の150㎎を飲んでも、毎日普通に食事をしていた。まったく副作用に苦しんでいるようには見えなかった。通常の投与量は一日に100㎎という。Kの量は半分なのだ。わたしは「昔だったら、いつまでも吐き気がするとか便秘だとか言っていたら、根性なしって言われていたんじゃないの」というと、「昔はすべてが根性ですまされていたからね」と同調する。「いまはいいよね。多様性という言葉ですまされるんだから」とからかうと、「そうだよね。昔だったら根性が出てくるまで飲まされていただろうね。病院だから、さすがに「巨人の星」のように、うさぎ跳びをやらせられることはなかっただろうけどね。だけど、いつまで経っても根性は出てこないよ」と笑った。根性のないわたしは、世間からこの根性論が薄れたことを歓迎している。
モルヒネに頼らずに痛みがとれないかと、かれはY市内にある漢方内科医院に行って漢方薬の指導を受け、漢方薬を配合してもらったりするが、かれの痛みを完全に取り去ってくれる薬は、今のところ西洋の薬も東洋の薬もない。それかと言って、薬がないと不安なので、西洋も東洋も両方一緒に服用している。気休めでも、わずかでも痛くなくなればいいのだ。