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第七章 肝臓がんの治療 七の8 夏、セミが鳴く

夏、セミが鳴く

 毎日通院する道で新たな発見がいくつもあった。樹木にアブラゼミの抜け殻が鈴なりになっているのを発見した。その木をよくよく見ると、抜け殻が密集しているところとガラガラのところがある。どうしてこうしたことが起こっているのだろう。かれは大学の中学校教員養成課程に勤めている理科の教員らしく、小学生の夏休みの自由研究で,抜け殻の密度調査をやって、その理由を考えてみたら面白いだろうに、と提案しているが、すでに誰かがやっているのか、それともこれから誰かがやってくれるのかはわからない。

 ところで、セミと言えば、松尾芭蕉の名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」は、山形市の立石寺、通称山寺で読まれたものである。芭蕉は当初『奥の細道』の旅では山寺に立ち寄る予定はなかったが、山形の北部の尾花沢市に滞在していた時に、そこの人々から山寺がいいとすすめられたので、急遽ルートをはずれて南下し、山寺に立ち寄ることになったのである。

 この句の中に登場するセミはどのような種類か、と昔に論争になったことがあるそうだ。歌人の斎藤茂吉はアブラゼミと主張したが、芭蕉がこの句を詠んだ時期が7月上旬ということで、その時期には山形ではアブラゼミは鳴いていないということになり、ニイニイゼミに落ち着いたそうだ。

 日本の映画がヨーロッパで上映される時、セミの鳴き声は消されてしまうということを聞いたことがある。日本とは違って、ヨーロッパの夏はセミの鳴き声がバックグラウンドミュージックにはなっていないらしい。だから、ヨーロッパの人たちは映画の中のセミの鳴き声が何なのかさっぱりわからないそうだ。意味のないただのノイズにしか聞こえないのだ。

 ヨーロッパの人たちには「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の風情は理解できないだろう。閑さとセミの声、その対比は禅問答のようであるが、うるさいセミの声は山寺の凝灰岩の長い年月をかけて風化した虫食い状の深い割れ目に染み入って消えてゆき、残された景色はどこまでも静寂なのだ。もし岩で反響したならば、閑さはどこにもないだろう。

 セミは短命の代表のように思われている。芭蕉の句にもセミの命のはかなさが背景にあるのかもしれない。小学生だった頃、セミを捕まえて虫かごに入れて飼っても、一晩で死んでしまっていた。親からセミは捕まえるものではないと教えられた。セミは土の中から成虫になって一週間程度で死んでしまう儚い虫だと思っていた。

 だが実際は、自然状態では1か月以上生きているらしいのだ。なかなかしぶとい虫だった。おまけにアブラゼミは土の中で幼虫時代を6年ぐらい過ごすという。人生の花盛りを成虫の時だと思うから、人生を短いように思ってしまう。本当は、セミはミミズやモグラのように、土の中のいきものなのだ。人生の最後に色気を出して土の中から空へ飛び出してしまうから、すぐに死んでしまうのかもしれない。

 人間といういきものは色気がなくなってからも長く生きる。延長された老後をどのようにして生きるかが、他のいきものとは違った人間独自の生き方を特徴づけることになるのかもしれない。


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