第一章 がんの発見 一の6 Y大学医学部附属病院への検査入院
Y大学医学部附属病院への検査入院
T病院のレントゲン写真の深刻な結果が出てから3日後の平成27年1月23日に、Y大学病院に外来で診察を受け、その日から急きょ入院することになった。大学病院に外来に行った日に即入院ということは、救急車で運ばれる以外はほとんど聞いたことがなかったので、かれはいやでも自分がおかれている重大さと緊急性に気づかざるを得なかった。だが、かれの表情や態度からそれ程の深刻さはうかがえなかった。少なくとも、深刻な顔をしたり、物思いに耽ったりするようなことはなかった。他人の前で気を使ったり、格好つけたり、粋がっているのか、といったら、かれにはそんなよそ行きの態度を持ち合わせてはいない。常に自然体なのだ。それかと言って、わたしの好きなジョージ秋山作の漫画「浮浪雲」の主人公のような飄々とした格好良さがあるわけでもない。
毎日、毎日、いろいろな検査があったが、これまで病気の一つもしたことがないかれにとってはどれも目新しいものであり、痛みを伴うような検査はないので、それなりに入院生活を楽しむことができた。仕事から離れて、久々の息抜きとさえ思えた。
Kやわたしが所属するY大学T学部のSコースには、当時12人の教員がいたが、そのうち2人の教員が同じ病院に入院していた。かれらは互いの病室を訪ねたり、訪ねられたりして、退屈することはほとんどなかった。コースの教員たちは代わる代わるにかれらの見舞いにいった。この頃は、Kよりも関節リュウマチの痛みに苦しむ教員の方がずっと痛々しかったが、この教員も明るく入院生活を過ごしていた。
病院は土・日曜日と祝日には何の検査もないことがわかったので、医者の許可を得て、毎週金曜日の夜から日曜日の夕方まで、自宅で過ごすようになった。そして、土曜日には入院前と同じように大学に出てきた。
大学は土・日曜日は休みである。学生だけでなく教職員も休みである。建物はすべて施錠されている。だが、教員の中には、研究のために土・日曜日も大学に出てくる者たちがいる。わたしやかれもその中の一人である。静まり返った大学では、教職員や学生に会うことがないので、いつもよりも仕事がはかどるのだ。
Kが重篤な病気で入院していることは、同じフロアーの教員ならば誰でも知るところとなっていた。ところが、入院していると思っていたかれと大学の真っ暗な廊下でばったりと会い、びっくりした教員が続出するようになった。病気だと聞かされていたのに、以前と変わらずに元気一杯のかれがすたこらと廊下を歩いていた、というのだ。それはそうである。肩が痛いこと以外は、外見的にはどこも変化がないのだから。いや内面的にも、学会発表などの研究活動や授業は今まで通りしていこうと思い、入院しても何の変化もなかった。この頃は後期の授業も終わり、春休みに入っていたので、入試業務以外は比較的のんびりしている大学教員なのである。研究でいくら忙しいといっても、それは研究者として本望なことである。
わたしがかれに携帯電話でメールを送ると、かれからすぐに返事が返ってきた。
「祈る全快。早く元気になってね。」
「ありがとうございます。」
「とりあえず、検査入院です。今日はMRIとCT。火曜日にペットCT。月曜日はなにも聞いていないので、一時退出可能か。それで、お願いなのですが、入院の連帯保証人になっていただけないでしょうか。よろしくお願いします。」
「連帯保証人になります。書類にはんこを押せばいいですよね。病室を教えてください。他に必要なことがあったら言ってください。お元気で。」
「すみませんが、よろしくお願いします。」
「今日、明日は検査がないので(月曜日も?)これから明日の18時まで外出・外泊です。月曜日は11時から17時まで外出許可の予定です。保証人のサインは月曜日に伺いますので、よろしくお願いします。」
「日曜日と月曜日は大学にいません。今日(土曜日)12時から18時まで大学にいます。」
「了解です。それでは、お昼にでも、お邪魔します。」
(くれぐれも病院代を踏み倒すんじゃないよ)




