第七章 肝臓がんの治療 七の5 筑波のウィークリーマンションを借りる
筑波のウィークリーマンションを借りる
肺がんの手術の後遺症である胸部の激しい痛みは弱まることはなく、かれを痛め続けていた。痛み止めとしてモルヒネを使用していたが、腸が動かなくなり便秘が続く副作用はあきらめることもできたが、吐き気と食欲不振には慣れることができなかった。体重は6月はじめには65kgあったが、7月5日には60.5kgに落ちてしまった。これはさすがにやばいと思い、その日からモルヒネの服用を中止した。鎮痛剤はリリカとロキソニンに頼ることにした。それでも、たった一個になった腎臓に負荷がかかるというので、ロキソニンを毎日服用するわけにはいかなかった。モルヒネをやめると、数日で食欲も戻り、体重も15日後には3kg増量することができた。体重は体力のバロメータだと信じ、なんとしても食べなければならないと思っていた。こうした時期に、新幹線に乗って東京の病院に出かけていたのである。
7月に入って、T大学病院を再び訪れ、陽子線治療が決まった。仕切り直しである。5月のT医科大学病院での腹部大動脈瘤の手術の前に、T大学の陽子線治療の前処置としてマーカーを挿入する段取りになっていたが、それをY大学病院の医者に勝手にキャンセルされたので、こんなに回り道になってしまった、と恨みは深くなった。いずれにしても、マーカーを挿入してもらわなくては、治療が始まらないので、7月末に5日間入院し、マーカー挿入することになった。
マーカーは金でできた直径0.5㎜、長さ5㎜程度の針状のものである。陽子線を照射する目標の場所であるがんの位置を決め、その両脇に2本挿入した。これで体内にはチタンとゴールドが入った。「金持ちになった?」と聞くと、「金属持ちになった」と答えた。
医者から陽子線治療の概要について説明を受けた。それによると、土・日曜日を除いて2週間毎日患部に陽子線を照射するらしい。その時間はたった10分だそうである。準備を含めるとトータルで1時間だという。入院して一日にすることはそれだけなのである。病院生活には慣れているので、治療が短いからといって不満があるわけではない。
医者の説明の後、経験豊富な看護師が入院の説明をしてくれることになった。看護師曰く「現在、入院病棟は混んでいるので入院するのは厳しいですが、まったく不可能というわけではないです。生命保険の請求のこともあるでしょうから。でも、入院すると、ベッドの上で退屈な日々を過ごし、毎日病院食を食べなければならないですよ。それよりも、近くのウィークリーマンションを借りて、毎日病院に通って治療を受けた方が、自由でいいんじゃないですか。治療以外は好きなところに出かけられるし、毎日好きなものも食べられますよ」とのこと。看護師はかれの心を見透かしているかのようだった。
かれの目はらんらんと輝いた。入院を覚悟していたが、入院しなくてもいいという選択肢があるのだ。何よりもうれしいことは、自分の好きなものが食べられる、という言葉の響きだ。かれは食べることが好きだが、料理するのも好きなのだ。大きな声では言えないが、毎日おくさんの料理を食べているが、おくさんが健康に気をつかって、脂ぎった肉が食卓に上らないことに不満を抱いていた。健康によくない食べ物が食べたい、と切実に思っていた。それが筑波の生活で可能になる。肝臓がんの治療を忘れて、心はうきうきしてきた。こうしてかれは筑波のウィークリーマンションを予約することにした。




