第七章 肝臓がんの治療 七の1 またまた肝臓がんの手術を拒否される
第七章 肝臓がんの治療
またまた肝臓がんの手術を拒否される
2016年5月23日のT医科大学のO教授の手術によって、腹部大動脈瘤という体内の時限爆弾のスイッチは止められた。これですぐにでも肝臓がんの手術に取りかかれると信じていた。以前に動脈瘤が治ったらY大学病院で手術をさせてください、と医者が言っていたので、T医科大学病院を5月30日に退院し、勇んでY大学病院に出かけた。
担当医は手のひらを返したように、肝臓がんの手術はできないと言い出した。
(えっ、それは話が違うじゃない。今さらどうしてそういうこと言うの)
肝臓がんはこの年の1月に2.4㎝だったものが、2月に3.0㎝、そして5月末には5.0㎝と着実に大きくなっていた。肝臓がんのマーカーの一つであるPIVKA‐IIも、1月は24、2月は20と基準値の40 mAU/ml以下だったが、5月末に120と飛躍的に増加し、ウルトラマンの胸のアラームが激しく点滅するようになった。
「どうして手術ができないというの」
「手術の際に肝動脈を挟むクランプの開閉を繰り返すと、血管が弱いので出血して、死んでしまうかもしれないから、というんだよね」
「大動脈瘤ができ、それが上にまで成長したことを考えると、全身の血管が弱っているだろうと考えても不思議ではないね」
「うん、そのようなんだ。でもO先生は血管は大丈夫だから、すぐに肝臓がんの切除手術をしてもらいなさい、と言ってくれたんだけど。O先生のこの言葉を伝えても、手術はできないの一点張りなんだ。だから自分のパソコンを開いて、腹部大動脈瘤のレントゲン写真を使って説明したんだよ。それでもわかってくれないんだよね」
「肝臓がんの手術ができないと困るじゃない。手術以外に他の手立てはないの」
「その医者が説明するには、手術以外にも、ラジオ波で焼く方法や、化学療法があるらしいんだ。肝臓がんの場合、手術による5年生存率が52%、ラジオ波で焼く方法だと40%、化学療法だと35%。手術に比べて、それぞれの方法は5年生存率が12%か17%下がるだけだから、手術に固執する必要はないと主張するんだよね。こちらから言わせてもらえば、何を言っているんだということだね。10%の違いは当事者からしたら、決して小さくないよ。10人中1人生き残る確率だからね」
(かれは医者とのやり取りを思い出して、怒りがこみ上げてきたようだった)
「ラジオ波って何なの」
「なんかよくわからないけど、通電して焼くみたいなんだよね。だけど、自分の場合は背骨にチタンの金属を入れているので、この方法は使えないみたいなんだ」
「そうだよね。肝臓の治療をしていて、突然背中に火がついたら、笑うに笑えないよね」
「それじゃ、カチカチ山の狸さんだよ」
「肝機能とかは大丈夫なの。黄疸にはなっていないようだけど」
「うん、肝機能の検査はほぼ正常なんだよね」
「腹部大動脈瘤が治ったら、手術させてくれと医者の方から言ってたんでしょう。なぜ手のひらを返したんだろうね」
「それがわからないんだよね」
「手術できないのは、血管が弱いからという理由だけなの」
「その他にも、がんが肝臓の奥の方にあるから手術が難しいというんだよね。浅いところにあったら、すぐに切れるというんだけど」
「たしかに肝臓は再生能力が強いから、結構切除しても大丈夫らしいけどね」
「それに・・・」
「まだ理由があるの」
「うん。肝臓がんの手術が成功しても、手術が引き金となって肺がんが再発したらどうしようもないだろうというんだ。そのリスクがあるというんだよね。肝臓がんで死ぬか、肺がんで死ぬか、という感じなんだ」
「八方ふさがりじゃん。じゃあ、このまま肝臓がんの治療をしない、ということなの」
「どうも、そういう雰囲気なんだよね」
「また、どこかの医者を探した方がいいんじゃないの」
「うん、そうだね」
傍から見てもかなり差し迫った状況にありながら、肝臓がんの治療の方針は示されなかった。それでもここがKの真骨頂ともいえるところだが、かれはとりあえず肝臓がんの治療のことは脇に置き、T医科大学病院に入院していた際に休講していた2週間分の授業を、集中講義で取り戻すことに精力を傾けることにした。肝臓がんの治療を引き受けてくれる病院のあてはなかったが、勝手に8月に入って手術する予定を立てていた。そのためにも7月中に予定の授業を終わらせておかなければならないのであった。




