第六章 腹部大動脈瘤の治療 六の12 腹部大動脈瘤の完治
腹部大動脈瘤の完治
予定通り5月16日月曜日にT駅からY新幹線の「つばさ」に乗って東京に向かった。出発するときYは晴れていたが、東京に近づくにつれて雲がでてきた。東京駅を降りると心地いい気温だった。3月以降、C、T、Tと4度目のY新幹線の乗車となるが、それでも、これまではおくさんと一緒に県外の病院に行って、医者の話を聞いていたが、今回は一人での入院だった。かれは一人で東京に出てくることに何の不安もなかった。大学教員は学会などで全国各地に出張するのが常である。かれは大学時代に東京に住んでいたので、土地勘もあったし、大都会の喧騒もいやではなかった。それにおくさんにはおくさんの生活があり、勤めている小学校をそんなにしょっちゅう休むわけにもいかなかった。
回診に来たO教授は、Kの体調の確認をした後で、机の上に置いてあったカメラに目をやり、やおらそれを手に取って、スタッフや学生に「このカメラもう売っていないけど、すごいものなんだぞ。わたしも持ってるんだ。値段は1万数千円と安いんだけど、このつまみが折れた時、部品がないというので、特注で作ってもらい、2万5千円もかけて修理したんだ」と得意そうに話をした。「そんなに金を出して修理をしたのは、愛着があるからですか」とスタッフが聞くと、「いやいや、使ってる人しかわからない、素晴らしいカメラなんだよ」と答えた。最後に、かれに向って「同じカメラを持っているとは奇遇ですね。これも何かの縁でしょうから、手術もきっとうまくいきますよ」と言ってくれた。かれはこの取り留めもない話で、手術に対する不安が吹っ飛んでいくように感じられた。この先生に任せればきっとうまくいく、という確信が湧いてきた。
医者の何気ない一言が、患者を勇気づける。医者も患者に話す言葉をすべて計算づくで話すことはできないだろう。それでも、他のどんな薬よりも医者の一言が、患者を快方に向かわせることを、心にとめておいて欲しい。
手術の前日の5月22日18時18分にわたしは携帯電話から「手術の成功を祈っています。ファイター・Kへ」とメールを送ると、間髪を入れずに「ありがとうございます。まあ、わたしは何もしなくて、まな板の鯉ですが」という返信が帰ってきた。
手術後に、「手術はばっちし成功です。両側の大腿の付根に2㎝くらいと両肘の内側に1㎝くらいの、計4か所に切り傷が残っただけ。それぞれの場所からステントと冶具を入れて中で組み立てた」というメールが携帯に入った。そこでわたしは「手術の成功おめでとうございます。無理はしないようにね」と返信した。するとすぐに「ありがとう。了解。」と返ってきた。軽快である。
手術に伴う若干の発熱があったが、それも2日ほどで治まった。感染症が悪化することはなかった。腹部大動脈瘤は魔法のように前後の血管と同じ太さになって、心臓から送られてくる血液が、野球ボール大の大きな瘤を拍動させることもなくなった。手術前の説明のように、左側の腎臓は大動脈瘤のために機能不全となっていたので、血流を確保することなく犠牲にした。これからは今まで以上に残された腎臓に頑張ってもらわなければならない。
とにかく体内の時限爆弾の処理は成功し、5月30日に地元に戻ってきた。