第六章 腹部大動脈瘤の治療 六の11 ノーテンキ・K
ノーテンキ・K
Kを初めて診たO教授は、かれがうつ状態でないことに驚いたそうである。「最後の砦」と呼ばれているO教授のところにやってくる患者のほとんどは、全国の大学病院から見放された人たちであるという。生きる希望もなくなり、体の中に大動脈瘤という、いつ爆発しても不思議ではない時限爆弾を抱えて生活している人々である。うつにならない方が不思議なくらいである。
それに比べ、かれは肺がん手術で肺の一部や背骨の2本、4本の肋骨の一部を除去し、今も肝臓がんが体の中にあり、加えて8㎝の腹部大動脈瘤がある。このような苦難にもめげず、明るい表情で冗談がしょっちゅう口から出るほど屈託がない。歩き方が不自由なところを除くと、見かけはひょうきんなおっさんである。
かれは肺がんになって1年と数か月、うつ状態にはなったことがない。病気の前、病気の後と長く付き合っているわたしに対してそんな風なことを微塵も感じさせたことはない。本人に聞いても、生まれてこの方、うつ状態になったことはないという。これは決して強がりではないようだ。うつに陥らないことが人並み外れてすごいことだということを、O教授というスーパー・ドクターにお墨付きをもらったようで、かれも少し鼻が高くなった。わたしも魔法にかけられたように、かれが何かすごい人間のように思えてきた。
わたしがかれのような状況に置かれたならば、すぐにうつ状態になってしまうことだろう。これからだって、きっとそうなるだろう。決してわたしがそうなることを望んでいるわけではないが、わたしは強い人間ではない。たとえわたしよりも強い人間であっても、かれのような立場に立たされれば、ほとんどの人はうつ状態になると思う。
それでは、うつ状態にならない稀有な存在ともいえるかれは、人並み外れて肝っ玉の据わった人間なのだろうか。日頃のかれを知るわたしには、どうしてもかれが肝っ玉の据わった人間には思えない。自分を強く律しているとも思えない。自分の心をしっかりとコントールできているわけでもないだろう。はっきり言ってしまえば、普段の生活はちゃらんぽらんでいい加減だからだ。約束の時間はあてにならないし、提出しなければならない書類はたいてい教員の中で最後に提出する。謹厳実直という生き方とは、無縁のところにいるのがかれだ。
「O先生が言うように、大動脈瘤が大きくなったら誰でもうつになると思うよ。Kさんはそうなっていないよね。夜、爆発したらどうなるか、不安になることないの」
「全然ないよ。そんなこと想像してもどうしようもないじゃん」
「たしかに想像してもどうしようもないし、ただ暗くなるだけで、いいことなにもないけど、自然とそう考えてしまったりするんじゃない。自分だったら悪い方に悪い方に考えてしまうと思うな」
「そういうことないよ。考えても何もいいことないじゃん」
「たしかに何もいいことがないから考えたくないけど、考えてしまうじゃない。それが普通の人間だと思うよ」
「そうなのかな。いまの状況を認めて、それからどのように改善するかしか考えないけどね」
「こりゃ、天性のものだね。天性の能天気なんだ。こりゃ、誰もまねができないくらい、持って生まれた特性なんだ」
かれが病気に立ち向かっていく原動力は、天性の能天気さが大きな力になっているように思えてしかたがない。わたしのような一般人が、この能天気さをいまさら身に付けようと思っても、決して身に付けられるものではなさそうだ。かれは絶望的な状況に置かれた時、決してパニックやうつにならない本源的な力を有しているように思える。わたしには残念ながらかれのような能天気さはない。
いずれにしても、かれは無自覚な能天気さで、怒涛のように襲って来る病の大群に立ち向かっていくのである。素晴らしきかな「能天気」である。




