第六章 腹部大動脈瘤の治療 六の8 Y市の春
Y市の春
平成27年から28年にかけての冬は例年よりもかなり暖かく、積雪の量も極端に少なかった。そこでY市では例年よりも2週間も早い3月初旬に、ウメの花が咲いた。
4月になると、Y市を取り囲む蔵王や月山の山々は、まだ残雪で真っ白であったが、盆地の底の平地では、サクラの花が満開となり、サンシュユ、ダンコウバイ、ツバキ、トサミズキ、サクラゲンカイツツジ、ジンチョウゲ、シャクナゲ、オオバクロモジ、タムシバ、ライラック、オオヤマレンゲの花々が庭を彩り、果樹園では特産品のサクランボ、モモ、リンゴ、ラフランス(洋ナシ)の花々が咲きほころぶようになった。長い冬から目覚めた北国の美しい春である。
最近、わたしは大学の周りを散歩しながら、若い頃には興味もなかった、庭に咲く花木を見て回るのが好きになった。歳をとったのかもしれない。いや確実に歳はとっている。
4月になり、大学は新学期を迎えた。大学は、毎年新入生を迎えるので、いつまでも古びることはなく、新鮮である。もちろん教職員は4年で入れ替わることはない。教員は65歳が定年の年である。昔から定年の年は他の職業の人たちよりも遅く設定されている。それは最低でも5年間の大学院を修了してから働き始めるので、人生で働いている期間は他の人たちと違いはないか、かえって短いくらいである。
わたしは65歳で定年になることを当たり前だと思っていたが、アメリカの大学に視察に行った時、ニューヨーク州の文部官僚たちが、我々に日本の大学教員の定年の年齢を聞き、そもそも定年があること自体に驚いていた。アメリカの大学教員には定年がないというのだ。「おまえも65歳になったらリタイアするのか」とわたしに聞いてきたので「そうだ」と答えた。すると全員一斉に英会話の学習のように「アンビリーバボ(信じられない)」という英語(当然である)を喋ったが、かれらのボスが「強制的にリタイアするシステムがあるから、日本はいつまでもリフレッシュされ、活気があり続けるのかもしれない」と言った。これは卓見かもしれないと感心させられた。10年以上前の出来事である。思うに、今の日本に活力はあるのだろうか。アメリカ人は今も日本を活気のある国と思ってくれているのだろうか。
日本全体に活気があろうとなかろうと、4月の大学のキャンパスには活気が溢れる。大学教員を何十年していようと、4月はピッカピッカにまぶしいのである。Kは今年もこのまぶしさを満喫しながら、授業を開始することになった。授業を必死でやらなければ、通院や入院で休講しなければならなくなるからだ。当面、腹部大動脈瘤の治療のために1週間以上入院しなければならないことが決まっているので、それは集中講義で取り戻すことにした。




