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第六章 腹部大動脈瘤の治療 六の7 チーム医療

チーム医療

 かれはこの急な変更がすぐには腑に落ちず、担当医にどうしてこんなことになったのか、強い語調で問いただした。すると担当医は、自分はこれまでステントグラフト術による手術は700例くらいあるが、そのほとんどが心臓の冠動脈で、腹部大動脈瘤の手術は100例程度しかない。それもそれほど複雑なものではなかったので、Kのように肝臓や腎臓に様々に分岐している大動脈瘤の手術は自信がなかった、とぼそぼそとではあるが、正直に答えた。結果として、自分では手術は無理だ、と判断したんだという。一方で、この担当医が教授に相談したところ、教授が日ごろ懇意にしているO教授にかれの病状を直接話し、その後検査結果を送って診てもらい、O教授が引き受けてくれることになった、という経緯を教えてくれた。

 Kは、大学病院の医療がチームで話し合われて進められているもの、と思い込んでいたので、かれの治療方針の手術ができるかできないかという大事なところが、目の前の担当医一人の判断で進められ、決定していたことにびっくりした。自分の治療方針は、担当医自身が手術する自信がないので腹部大動脈瘤の治療をしないことになった。「座して死を待て」、というかれにとって絶望的とも言える方針が、何百人もいる大学病院の中でたった一人の医者の判断だけで決められた、とKは思った。「三人寄れば文殊の知恵」という諺もあるではないか。どうしてチームで検討してくれなかったのか。その疑問を目の前の担当医に何度も投げかけたが、その医者は「うーん」とうなっただけで、何も答えなかったという。

 Kは担当医がかれの治療方針を最後になるまで誰にも相談せずに一人で考え決めたのは、この医者の個人的資質によるものだろうとわたしに説明したが、それは間違っているのではないか、とわたしは思う。それぞれの診療科は定期的にカンファレンスを開き、診療科のスタッフ全員で一人ひとりの患者の治療方針を決めているはずである。治療方針を主治医が提案しても、全員の合議で決定されていくのだろう。Kのケースにしても、そうした手順を踏まえたはずである。なにも担当医のかれが手術に自信がなかったから、一人で決めたわけではないはずだ。おそらくスタッフの全員が手術は無理だ、と判断したのだろう。そうした意味では、Kの追及に、担当医は他のスタッフに責任転嫁せずに、自分が責任を一人でかぶったのだと思える。

 そうした状況下にあって、カンファレンスの際に、教授はKの病状ならばO教授が手術を引き受けてくれるかもしれないと考え、担当医にもそのことを話していただろう。だが、まだ引き受けてもらってもいないのに、O教授のことを軽々しく患者に話すことはできないだろう。もし引き受けてくれなかった場合、患者の失望が大きいと考えられるからだ。こうして、急転直下にみえるO教授のステントグラフト術への方針転換が、かれに告げられることになったのではなかろうか、とわたしは推察する。かれを満足させることはできなかったかもしれないが、担当医は誠意を持って説明責任アカウンタビリティを果たしたのだ、とわたしは思う。

 もちろん、どの病院にもいろいろな性格の医者がいる。医者も人間である。コミュニケーションがそれほど得意でない医者もいるだろう。そうした医者がいることを前提として、患者のために情報交換を密にするチーム医療をシステムとしてきちんと構築し運用しなければならない。そこには「患者ファースト」の理念が必要であり、システムが形式的ではなく、現実に患者を中心に運用されなければならないと思う。

 いずれにしても、こうして腹部大動脈瘤の治療の方向性が決まった。Kから教えてもらったT医科大学のO教授をインターネットで検索し、病院のホームページの中で、かれがこれまで行った胸腹部大動脈瘤の手術の成績を明らかにしていることに驚いた。相当に自信がなければできないことだろうと思われた。


人工血管置換術:122例

手術死亡:7例(5.7%)

合併症:

・肺炎・気管切開:4例(3.3%)

・対麻痺:4例(3.3%)

・腎不全:4例(3.3%)

・創部感染:2例(1.6%)

・腸閉塞:2例(1.6%)

・腸管虚血:1例(0.8%)

・上行大動脈解離:1例(0.8%)

・下肢コンパートメント症候群:1例(0.8%)


 Kの残り少なくなっていた命の砂時計は、回転し、たっぷりの砂がゆっくりと落ちていくように思えた。


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