第六章 腹部大動脈瘤の治療 六の3 弱音を吐く
弱音を吐く
「Oさん、自分は今年中生きられるだろうか」
わたしの研究室に入ってくるなり、Kはそう呟いた。かれが病気になって初めて口から出てきた、死を予感させるずしりと響く重く暗い言葉だった。わたしはその言葉に圧倒され、すぐに返す言葉をみつけられなかった。言葉がどこにも見当たらないのだ。二人の間にしばしの沈黙があった。それはわたしが感じたよりもずっと短かったのだろうが、わたしには耐えられないくらい長く感じられた。
「何を弱気なことを言っているの。生きようとしないと生きられないよ」
「生きられるか」と聞いてきたので「生きられる」と答えてあげたかったが、反射的にその言葉は出てこなかった。いまでもその言葉が出てこなかったことに、彼に対する申し訳ない気持ちが、わたしの心のどこかにしこりとなって残っている。でも、わたしにはその言葉がいまでも偽善のように思えてしかたがないのだ。しかし、わたし以外の誰かがかれに同じように尋ねられたならば、即座に「生きられる」と答えて欲しいと思う。口先だけでもいいのだ。もし世の中の誰一人としてかれに「生きられる」と答えなかったら、それはあまりに残酷だと思えるからだ。瀕死の人への励ましは、嘘や偽善を無罪にするだろう。
「どうしてそういう言葉を吐くの」と聞くと、医者から腹部大動脈瘤があるので肝臓がんの手術はできない、と告げられたと言った。手術中に大動脈瘤が破裂するおそれがあるというのだ。では医者は他の手立てを提案したのかと聞くと、何もしていない、というのである。「座して死を待て」というのに等しいことを、医者が宣告したのは、誰にだってわかる。
忘れていた腹部大動脈瘤が突如として浮上してきた。肺がんの手術の際に後回しにされていた腹部大動脈瘤が、肝臓がんの治療の前に立ちはだかり、いまこうして巨大な敵になって現れた。治療は難しく、1年以内に破裂する可能性が高いと宣告された。1年以内というリアルな時間が、がんになって以来初めて医者の口から告げられた。この眼前の敵を振り切って、肝臓がんの治療に行きつかなくてはならない。ついさっきまで肝臓がんの治療の前に立ちはだかっていたのは、感染症だったはずだ。それが腹部大動脈瘤という超難敵が登場した。これこそが真の敵だったのだ。
「コンピュータが大好きなんだから、こんな時にそれをいかしてインターネットで日本中の名医を調べて、そこで肝臓がんの手術をしてもらえばいいじゃない。決してあきらめてはいけない」
わたしは「あきらめたら終わりだ」の「終わりだ」の言葉を吐けなかった。二人の間でこれほどの重い空気は後にも先にもなかった。