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第四章 胸椎再手術 四の2 退院勧告?

退院勧告?

 手術後1週間経って、見舞いに行ったわたしにかれは怒りをぶちまけるように、「担当医から「病院から出ていけ」と言われた」と語った。実際は、決してそんな強い命令調で医者に言われたわけではないだろう。医者の言葉が弱り切ったかれに、そのくらい強く響いたのだろう。医者からは、手術も成功し、傷も治ったので、退院していただきたい旨の事務的な勧告が行われたのだろう、と推測する。時として事務的な勧告は、心のこもっていない冷淡な響きとなるものだ。

 かれは激しく動揺していた。退院勧告は絶対に受け入れることはできなかった。わたしもかれのこの状態での退院勧告は信じられなかった。かれは首にコルセットをし、歩くことすらできない重篤な病人なのだ。かれが途方にくれるのも十分に理解できた。

 思い起こせば、入院する前の医者からの説明で、手術後は一週間から10日で退院、ということを伝えられていたことも確かだった。かれのメールにもそのことは残っている。だが、「一週間から10日で退院」は、「退院できます」というように早く治ることを意味し、患者を勇気づける言葉としていいように受け取られていた。「退院しなければならない」とか「退院しろ」の退去命令になるとは予想もしていなかったことだ。

 加えて、かれは手術前にこのように歩けなくなることをまったく想定していなかった。もし歩くことができるならば、家に帰って養生することもできるが、寝たきり老人になって、いつ歩けるかもわからない状態で家に帰ることは、とてつもなく不安なのだ。これからどうしていいか、かれの胸の内に、不安の二文字が広がっていった。

 Kの退院の話を聞き、わたしも思い出したことがある。わたしはY大学の学生サークルの一つである「ワンダーフォーゲル部」の顧問を20年近くしている。別に学生と一緒に山に登るわけではなく、書類に印鑑を押したり、壮行会に参加する程度である。大学のサークルは学生の自主的運営に任されているのだ。顧問は事故があった時にはせ参じ、関係者に謝ったり、学生に教育的指導をするのである。

 ある年のゴールデンウィークの日に、自宅に電話がかかってきた。新入生歓迎登山に出かけていたメンバーの一人の女子学生が、そり遊びで背骨をぼっきりと折り、Y大学病院に救急車で運ばれたという知らせであった。目の前が真っ暗になったが、病院に行ったり、大学や本人の親に連絡したりと動き回った。幸い、手術によって、下半身不随にならず、順調に回復していった。それが、手術後1週間程度で他の病院へ転院させられることになったのだ。まだ本人は腰にギブスをし、寝たきり状態なのだ。そうした状態でも大学病院を引き払えというのである。これはどうみても退去命令であり、理不尽なように思えた。

 転院先を紹介されたが、わたしの小さな車に乗せて新しい病院へ運ぶこともできないので、途方に暮れた。病院から専門のタクシー会社を紹介され、そこに連絡してストレッチャーに乗せて、新しい病院まで運んだ。その時、大病院の情け容赦のない薄情さが、強烈な印象としてわたしの心の中に残った。(転院先やタクシー会社を紹介してくれたことは薄情ではなかったのだろうが、わたしの不安に比べればそのようなサービスはたかが知れていたのだ。そのくらい心細かったのだ。時として、病院の意向と患者や家族の心情はすれ違いを生じる)。ちなみに、この女子学生は、背骨の骨折が完治し、何の後遺症もなく元気に大学生活を送って卒業した。

 Kは、手術の成功を喜んだのもつかの間、入院生活で最大の危機を迎えたのだ。



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