第四章 胸椎再手術 四の1 歩くことができない
歩くことができない
平成27年5月25日(月)10:43
「コースのみなさま、おはようございます。昨日、Kさんのお見舞いに行ってきました。先週の5月19日火曜日に12時間を超す大手術をしましたが、無事成功しました。胸椎を2本抜いたり、肺の一部を切除するなど大変だったようです。昨日は、ベッドで上半身を起こして、かすれ声で元気に話していました。補助具に頼ってトイレに歩いて行けるようになったようですが、ICUに48時間いたので、歩き方を忘れてそのリハビリを行っているようです。現在、個室(〇病棟〇階○○○号室)ですが、近いうちに4人部屋に移ることになるそうです。しばらく土・日も病院を抜け出せないようです。まずはお見舞いのご報告まで。」
手術して5日後に見舞いに行ったが、首にコルセットをはめ、体のいろいろなところにチューブを入れられ、ベッドに横になっていたが、大手術の後はこんなものだろうと思っていた。
首に20kgくらいのおもしをつけている感じがするというので、この時点でも胸椎ではなく頸椎の手術をしたと思い込んでいたわたしは、首の骨を2本もとったのだから、さもありなんと思った。
首に重いおもしを下げているような辛さをかかえながらも、かれはベッドから上半身を持ち上げ、かすれた声で手術のことを具体的に説明し始めた。だが、かれは手術中は麻酔にかかってぐっすりと寝ていたので、何も覚えているはずがない。医者から聞いた説明を、あたかも自分が見たようにしているだけなのだ。
それから雑談に入っていった(手術の説明も雑談に過ぎないのかもしれないが)。
「体の中に入れたチタンは空港の金属探知機にひっかかるんじゃないの」
「そうだね。国内旅行だったら、日本語で簡単に説明できるけど、海外旅行に行った時には、外国の飛行場で説明するのは、難しいよね」
「レントゲン写真を持ち歩いて、それを使って説明した方がいいんじゃないの」
「レントゲン写真の説明も難しいと思うけれど、ないよりはましだよね。お医者さんに頼んで、コピーしてもらおう」
手術をしたばかりで、体は満身創痍なのに、はや全快して、海外旅行に行く話である。気が早いといえば気が早いが、これからしばらくかかるリハビリテーションの話はとても明るい話題だとは思えないし、それは医者や看護師と何度もやることになるだろう。少なくとも、この時点で、医者や看護師と海外旅行の話をすることはないだろう。病人に対しては、医者には医者の、妻には妻の、子供には子供の、わたしにはわたしの役割があるのである。
肺の一部や2本の胸椎がなくなっても、それは手術前に説明を受けていたことで、腫瘍がすべてうまく除去できたことを意味しているので、残念がる必要はどこにもなかった。だが、多くのチューブが外れてトイレに歩いていける段階になっても、一人で自立して歩けなかった。補助具に上半身をもたれることなしでは、一歩も歩くことができなかったのだ。手術して、まったく体を動かさなかった2日間の間に、歩き方を完全に忘れてしまったことに、Kは愕然とした。
1960年代の宇宙飛行士は、無重力状態の中で何日も過ごすと筋力が衰え、地球に生還してから他人の助けなしに立つことができなくなっていた。両脇から支えられて宇宙船のハッチから出て記者会見に臨んでいた。ヒーローには似つかわしくない、そんな弱弱しい宇宙飛行士の映像を、子供の頃何度も見たことがある。この衝撃的な映像から、運動をしなくても、地球の重力によって負荷がかかり、日夜我々の筋肉を鍛えてくれていることを理解することができた。現在は、宇宙船の中で絶えず運動することによってそれも回避されるようになった。Kのようにベッドでずっと起き上がらなければ、宇宙飛行士のように筋力も衰えることだろう、と一旦は納得した。だが、かれの場合、体の筋力が弱ったから歩くことができない、という状況だとは思えなかった。歩けないほど筋力がないようには思えないのだ。
かれの説明というか、かれが質問した医者の解答によると、ベッドに長期間寝たままになっていると、歩き方を忘れることはままある、というのだ。かれはその説明を受け入れた。わたしも、初めはかれの説明をすんなりと受け入れたが、少し考えると、病気やけがでかれが動けなかった2日間以上にわたってベッドで寝ている人をわたしは何人も知っているが、少なくともKと同じような年頃の人たちが、歩くことを忘れたことはない。トイレにしっかりと歩いていっていた。Kのような歩き方を忘れるというのは、非常にまれなケースだと思う。
忘れるということ、逆に言えば、覚えているという記憶を司るのは脳である。確かに脳が歩行の記憶を司っているのだろう。それでもどうしてKの場合は、たった2日で歩くことを忘れてしまったのか。記憶力が悪い? 歩行がそんな浅いレベルの記憶の引き出しに入っているわけはないだろう。深いところにしまい込まれているはずだ。おそらくそこになんらかの障害が起こったわけではなく、歩くことを妨げるブロックが、精神的にかかったのではないかと、素人のわたしは考える。そのブロックこそ、2日間寝たきりで歩かなかったことであり、胸椎が2本なくなったことであり、首に20㎏のおもりが下がっているような辛さであり、胸の筋肉と神経がたくさん切られたということの心理的衝撃によるものではなかろうか。もちろん、Kはそんなことはないという。だが、無意識のうちにそうしたことが入り込んでいるのではないだろうか。もちろん、心理的にだけではなく、手術による筋肉や神経の切断という機能にも大きくかかわっているとは思うが。
Kは医者の説明から、脳が歩き方を忘れたという説を信じ、赤ちゃんのように、這い這いから初めて、つたい歩きをし、それから自立的歩行に持っていかなければならないのではないかと考えることもあった。すると歩けるようになるには、1、2年かかるのではないかと思えた。ただ筋力をつけたくらいでは、歩けるようになるとは思えなかったのだ。
「このまま歩けなかったら、社会復帰はできないよ」
「Oさんに車椅子を押してもらって、大学の中を移動しなければならなくなるね」
「ぼくは車椅子を押さないよ。トイレに行くたびに呼び出されたらたまらないもの。なんとか自力で歩けるようにならないと、誰も助けてくれないよ」
「うん。退院までには這い這いできるようにはしておくよ。這い這いで、早く走れるようになったりして」
「それじゃ、犬や猫みたいじゃない。大学の中を這い這いして移動するのは無理だよ。ゆっくりでもいいから、歩けるようにした方がいいよ」
このまま歩けなければ、退院してもたいへんである。おくさんが車椅子を押してくれるかもしれないが、甘えは禁物である。おくさんにも仕事があるのだ。毎日送り迎えや、付きっ切りで補助することなどできない。日常は短期戦ではなく単調に続く長期戦である。わたしのような他人の気まぐれな善意など日常に入り込む余地はない。かれならばたとえ歩けなくなっても、一人で車椅子を使って、飄々と大学に出勤してくるのだろうけれど。
当面は首や傷口、胸の痛みなど様々な手術の後遺症に悩まされることになるが、かれにとっての最大の悩みは歩くことができなくなったということで、これをいかにして回復するかが最大の目標になった。




