第三章 肺がんと胸椎の手術 三の6 手術を語る
手術を語る
Kは、この時の手術をわれわれに語る時、2つの胸椎の切除とその部分にシリンダーケージ型の人工椎体を入れ、上下の胸椎にチタンのロッドを渡したことをメインに話して聞かせてくれる。実際には、この時同時に縦隔腫瘍や左肺上部を切除したのである。われわれは何度もこの時の手術の模様を聞いたり、聞かされたりすることになるのだが、かれの口からは縦隔腫瘍と左肺の一部の切除の話が語られることはほとんどない。語られても、胸椎の置換手術の説明時間に比べたら、ほんの短時間なのである。これでは手術してくれた呼吸器外科の医者たちがかわいそうじゃないか、と思ってしまうほどだ。
われわれが、かれからがんであることを最初に聞いた時には、がんの中心の地位を占めていたのは、直径が5㎝の縦隔腫瘍であった。たしかに「縦隔」という言葉になじみがなかったわれわれは、かれの病気は肺がんだと思い込むことになったが、それでもがんの実体は縦隔腫瘍にあることは間違いなかった。それが手術の段になると、主役として登場してこなくなったのだ。いつの間にか主役は、胸椎に入れ替わってしまった。聞いている方は、主役と脇役が入れ替わるような劇を見せられたようなものだ。そんな劇は見られたものではない。かれのがんストーリーを正確にフォローできる同僚はいなくなってしまった。まあ、誰も他人の病気をフォローしようとも思っていないのかもしれないけれど。
かれにしても、同僚に自分のがんの治療の流れをフォローしてもらわなくても構わないのだろうが、それでもかれは会う人ごとに自分のがんを語るのである。説明がうまくなければ、聞いている人は、かれのがんのロングヒストリーに付き合えなくなってしまう。
読者の中には、Kがどうしてこれだけ自分のがんの内容を他人に話すのか、話さなければならないのか、不思議に思われるかもしれない。科学者は自分が発見したことを世の中に公表する義務がある。Kが自分のがんを語るのは、こうした科学者魂がなせる業なのかもしれない。しかし、科学者も人の子、研究成果は別として、自分のことは一切外にもらさない科学者もいる。こう見てくると、がんを語るのは、Kのオープンマインドの個人的資質によることが大きいのかもしれない。たとえ、自分のがんの説明であったとしても、説明するからには、正確に、そして相手の興味をそそるように伝えて欲しいと思うのは、聞き手のわがままであろうか。
がんが浸潤している第2・第3の胸椎を取り除いて、その代わりにチタンで作った代用品を埋め込んだということを何度もかれから聞かされたが、聞かされた我々の側にも勝手な思い込みが生じてしまった。胸椎を頸椎、つまり胸の骨ではなく首の骨を2本取り除いたものと思い込んでしまったのだ。今でもそう思っている同僚や学生がほとんどだろう。これは最初の自覚症状が左腕が上がらず、その原因が首の骨のヘルニアにあるとするかれの仮説が、われわれに強く刷り込まれたことによるものと思われる。さらに、手術後、Kは長期間首にコルセットを巻いていたことも、我々を勘違いさせる要因となったのだ。首を人工脊椎に替えたと思い、それをイメージすると、頭が垂れ下がったり、首が回らなくなったりすることはないのだろうか、と心配するようになってしまった。少なくとも、かれに触れて、首がずれたら大変なので、気楽に体に触れることはできないと思うようになった。別にそれ以前からKの体に触れることはなかったのだが。
いずれにしても、多くの人たちにとって頸椎と胸椎の違いが明確ではなかったわけであるが、その違いを正確に知ろうと思う人もいなかったようである。正確な情報を得たからといって、自分がどうこうなるわけではないからだ。冷たく言えば、しょせん他人事なのである。それは決して悪い意味で言っているわけではない。他人事であるのは間違いないからだ。
いずれにしても、他人に物事を正確に理解させることは、非常に難しいことなのだ。その困難さを理解することが、コミュニケーションの大前提でもある。
情報が歪んでいくことそれ自体は、何の罪もないこともあるが、風評になって大きな被害を生むこともある。加害者は無意識の場合もあれば、大いなる悪意があることもある。後者はもちろんのこと、前者も許されるものではない。