第三章 肺がんと胸椎の手術 三の1 入院前
第三章 肺がんと胸椎の手術
入院前
「H先生、Kです。先週(ゴールデンウイークも終わりの頃)から、これまでの(抗がん剤の副作用による)においに過敏のためほとんど何も食べることができなかった症状が、徐々に改善されつつあります。天ぷらの脂っこいにおいはまだ厳しいものがありますが、抗がん剤治療を始めて真っ先に拒否反応が出たコーヒーやピーマンを試してみたところ、問題なく飲み喰いできるようになりました。トンカツのにおいは気にならず、美味しく食べることができます。ということで、手術までの間に、しっかりと食べて体力を付けておきたいと思います。」
次の入院日は5月16日、手術は3日後の19日に決まっていた。在宅のゴールデンウイークをはさむ20日間のうちに、手術に耐えられる体を作るためには、無理してでも食べなくてはならない、と強く思っていた。退院してすぐには、副作用の影響が続いていたためか、すべての食べ物が鼻について吐き気をもよおすために、なかなか口にすることができなかったが、それでも漬物や佃煮と一緒に、なんとかご飯を喉に通すことができた。美味しいとか美味しくないの問題ではなかった。とにかく食べることだ。ゴールデンウイークが明けた頃には、いろいろなものが食べられるようになった。
ゴールデンウイーク中は、どこにも出かけなかった。別に静養する気はなかったが、声が出ないので、人と会って喋るのがおっくうに感じられたからである。ゴールデンウイークが明けてからは、自分で車を運転して大学に出てきて、少し仕事をした。
山形の春は気持ちが良い。厳しい冬を乗り越えて春が来ると、自然も人間も軽やかになり、色彩も豊かになる。手術を待つ身であっても、暗く落ち込むことはなかったし、ましてや気負い込むこともなかった。ただできるだけ食べて、手術に耐えられる体力をつけておこうと思っていただけだった。だけど、手術に耐えられる体力とは、どのくらいの体力をいうのだろう。反対に、手術に耐えられない体力とは、どんな体力なんだろう。本当に体力がなかったら、手術に耐えられないのだろうか。全身麻酔だから、体力がないからといって、痛みが増幅するわけではないだろう。まさか、体力がなかったので、手術に耐えられなくて、途中で死んでしまいましたってことはないだろう。Kの現状は、それほど体力がないわけではないし、もしそうだったら医者が手術をしてくれないだろう。
別に深く考えてもしかたないので、食べることに集中することにした。元来食べることは好きだし、抗がん剤の副作用で食べられなくなっても、インターネットで美味しい食べ物を出す食堂を探して、食べられるようになったら、そこに行こうと楽しみにしていた。




