第二章 放射線と抗がん剤治療 二の5 抗がん剤治療で病人らしくなる
抗がん剤治療で病人らしくなる
「15.3.19(木).11.15コースのみなさまへ。Oです。Kさんの近況をお知らせします。先週月曜日からY大病院に入院しています。病室は「西○○○」です。週末は家に帰ってきているようで、土・日には大学内をふらふらしていることでしょう。今週の月曜日に会って、以上の話を本人から聞きました。では、また。」
「15.3.26(木).10.23 みなさま。Oです。 昨日、二人の見舞いに行ってきました。Kさんは薬の副作用で食べられない状況、○○さんは絶食で飢えている状況。なんやかんや言っても二人とも元気でした。病室はKさんは〇階○○○号室、○○さんは〇階○○○号室です。では、また。」
縦隔組織にできた直径5㎝のがんを治療するために、あらかじめ放射線照射や抗がん剤投与によってできるだけ腫瘍を小さくし、それから手術でがんを除去する、という治療方針が決まった。放射線と抗がん剤治療は、月曜日から開始して5日間連続の処置を1クールとして、土・日曜日は休んで、翌月曜日から次のクールが始まった。こうして4クールが行われることになった。ほぼ一か月間の戦いである。
治療に入る直前に、抗がん剤の薬本体を溶かしている液体がアルコールであることを、かれのおくさんが気づいた。Kは若い頃から酒を一滴も飲むことができない。アルコールを分解する酵素がないので、体が酒を受け付けない体質なのだ。医者の説明では、抗がん剤治療のために、一日にビール一本分のアルコールが点滴によって血液の中に入るという。普通の人ならば少し酔っぱらった気分になれてうれしいかもしれないが、アルコールをまったく受けつけないかれは、急性アルコール中毒になって死んでしまうかもしれない、と不安に思った。そうなったら笑うに笑えない。ということで、急遽、ノンアルコールの抗がん剤に変更してもらうことになった。かれのベッドには、「禁アルコール」の張り紙がされ、注射の針を刺すときも、皮膚の消毒はアルコールが使われなかった。
抗がん剤投与が始まると、一挙に食欲がなくなり、好き嫌いのなかったKは好きな食べ物がなくなってしまった。毎日何倍も飲んでいたコーヒーは、病院内の喫茶店の前を通ってコーヒーの香をかぐだけで、吐き気をもよおすほど気持ち悪くなり、喫茶店に近づけなくなった。
食べ物がほとんど何も口を通らなくなったKは、入院前に70㎏あった体重が日に日に落ちていったので、体力を回復し、免疫力を高めなくてはがんにも打ち勝てないと思い、意識して食べるようになった。入院中、体重が戻ることはなく、退院時の体重は60.5㎏になった。今回の50日あまりの入院期間中に10㎏まで体重が落ちたことになる。かれは10㎏の減少ですんだのは、自分が頑張って食べた成果だと思った。もし無理して食べなければ、もっともっと体重は落ちただろうと思った。かれの体重減少は、かれのみかけを病人らしくしていった。傍から見ても抗がん剤治療はつらいことがわかった。
かれは徐々に食べる工夫をしていった。前回の検査入院の際に、モルヒネで食欲不振になり体重が減少した経験を踏まえて、無理をして一気に食べようとはせずに、その都度、食べたいものだけを食べるように心がけた。病院食の野菜の煮物、ゆでたもの、魚の煮付けなど、ほとんどの料理はにおいを嗅いだだけで吐き気をもよおし、口にすることはできなかった。なんとか食べることができたのは、パンにシリアル、牛乳、バナナを少々だった。思いつくいろいろな食べ物を試してみて、そのほとんどがダメだったが、干し芋とチーズは食べることができることがわかり、これを少量ずつ一日に何度か口にした。栄養をとるために意識して食べたというか舐めたのがあめ玉だった。あめ玉の種類には詳しくなった。傍から見ると吐き気や便秘で苦しみ、体重を下げないために、無理して食べていることに同情したが、本人は苦しみながらも食べられるものを調査研究することを楽しんでいた。いつなんどきでも、Kの科学者魂は衰えないのである。
抗がん剤治療で髪の毛が完全に抜けてつるっぱげになるかと思っていると、かれの髪はほとんど抜けなかった。抜けたらしいのだが、髪が薄くなったという印象はほとんどなかった。かれの髪は若い頃から真っ白だった。若白髪というやつである。髪は白いが、量は多い。60歳を過ぎても、はげるような兆候はまったくなかった。
驚いたことに、髪が抜けるどころか、誰の目から見ても、真っ白だった髪の生え際が徐々に黒くなっていくのがわかった。この色の変化が抗がん剤の副作用なのかどうかはわからない。そうこうするうちに、突然、かれはバッサリと髪を切り、坊主頭にした
最終的にはげることも、髪が真っ黒になることもなかった。いまは以前のボリュームのある真っ白な髪である。




