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第二章 放射線と抗がん剤治療 二の2 同僚へのがん宣言

同僚へのがん宣言

 わたしはKに、これからみんなに世話になるのだから、コース会議で自分の口から病状をみんなに直接伝えた方がいい、と説いた。そのことに対して何のわだかまりもないかれは、会議の席で10人程度の教員に自分の病状を詳しく説明した。同僚たちには来年度の授業の担当を交代してもらったり、委員会の委員を引き受けてもらわなければならないのだ。こうした他人に負担を担ってもらうためにも、かれが直接病状を説明するしかないのだと思う。

誰もが自分ががんだということを同僚に告白し、病状を具体的に説明できるわけではないだろう。わたしはかれとの長い付き合いから、かれはそれをためらいもなくできることをわかっていた。私自身がかれと同じような状況に立たされた時、それができるか、といったら必ずしも自信がない。それでも、かれにみんなの前で告白することをすすめた張本人として、わたしもかれのように同僚の前で告白しなければならない、と決めている。それができなかったら、わたしは卑怯者である。

 かれの口からがんの告白と説明を直接受けても、がん患者に対して語りかける言葉を普通の人間は持ち合わせてはいない。「きっと完治するよ」という気休めの言葉をおちおちとは吐けない。われわれはその根拠を持ち合わせてはいないからだ。あまりにも無責任なように思ってしまう。ましてや我々科学者という人種はなおさらのことである。それは客観性という科学の不文律に染まった人種が成せる技なのか、それとも世間の人たちが持っている本人のためならば少しくらいの嘘は、という常識的な感性が欠如しているのか。おそらく両者がない交ぜになって我々科学者の人格を形成しているのだろう。わかっていても、悲しくっても、口先だけの、その場限りの嘘はつけないのだ。社会からみたらぶきっちょな人種なのだ。それは彼自身もよく承知していることだ。かれもそんなぶきっちょな人間だからだ。だから、かれは同僚からの気休めの言葉を期待してはいない。

がん告白の場が、重々しく暗くならなかったことはよかった。誰もが暗黙のうちにそうならないように、かれに対して気を使っていたのかもしれないし、全員天然ボケなのかもしれない。

 かれから説明を受けていた間、同僚たちはその都度思いついた疑問をかれに聞いていった。学会の質疑応答である。かれが答えられる質問もあれば、あまりに専門的なことで答えられないこともたくさんあった。がんの勉強会になったのである。

Kへの質問がひと段落すると、同僚たちは最近自分も動悸がするとか、頭痛がするとか、下痢をするとか、歯が痛いとか、朝起きれないとか、肩が凝るとか、足腰が痛くなったとか、忘れっぽくなったとか、様々な訴えが出てきた。その多くは老化のせいだろうが、自分たちも重篤な病気なのではないか、と次々に健康の不安カードを出し合うようになった。わたしが「そんなの大丈夫だ。病院に行っているんでしょう」というと、みんな病院にかかっていることを白状する。それでもKの話を聞いていると、気分がふさいできたようだった。これがその場に居合わせた全員に伝播しそうな勢いだったので、わたしは火消し役にまわった。

Kの病気よりも自分の病気なのだ。なんと自己中心的なのだ。自己中でなければ、他人の痛みも真に迫らないのかもしれない。別に自己中であることが悪いなんて思わない。社会は自己中や偽善者がご飯にかけるふりかけのように、適度に混ざっているくらいがいい。自己中は過度に発現されたり、権力や権威に結びついた時に悪となるのだ。

我々のコースに所属する教員の一人が、年始から足の痛みを訴え、関節リュウマチということで、Kと同じ時期に大学病院に入院した。我々のコースはたたられているので、お祓いをしなければならないという教員が現れ、不安が全員に広がっていった。中心にいるKはわれ関せずという風に飄々としていた。

 科学者がお祓いを言い出すとは、と読者のみなさまは不思議に思われたり、笑ったりするかもしれないが、人間なんて矛盾だらけのいきものである。通常神や悪魔などの神秘的な力をバカにしている科学者も、困ったときには神頼みをするのである。近くの神社でお守りを買い、おみくじを引くのはあたりまえなのだ。インチキ宗教家やペテン師に法外な値段の怪しい薬や壺を売りつけられなければ、なんでもありだ。そんな矛盾の中に人間は生きているし、生活を楽しんでいる。科学者もしかりである。寺や神社に行かない、というほど偏屈な科学者はそうそういない。どこの国においても文化と歴史の中心の一つは宗教である。それを拒絶しては世界文化遺産も楽しむことができない。

日本人は八百万の神々である。わたしも森羅万象すべてのものに霊が宿っているとするアニミズムに近い考えを持っている。いや、唯物論と無神論とアニミズムを都合よく使い分けているだけであろう。一神教の人たちから見たら絶対に許せないことだろうが、これをそんなに罪深いとは思っていない。

 当時のKの説明で全員が納得したことがある。肺がんらしいということである。かれは何度も何度も繰り返して「縦隔」のがんだと説明したが、そんな耳慣れない用語が頭に残るわけがなかった。この時点で、肺がんだと医者から言われていたわけでもなく、事実に則して説明しようとしたかれは、ひたすら縦隔、縦隔と繰り返したが、誰も右の耳から左の耳へとさわさわっと吹き抜けていった。みんなの頭の中には「肺がん」しか残らなかった。わたしも例外ではなかった。先入観や固定観念から、かれの胸にできたがんは全員の中で「肺がん」しかありえなかったのである。(そんな無茶な。もう科学者もへったくれもあったもんじゃない)。

だって、かれはヘビースモーカーだった。毎日何箱もの煙草を吸っていることをみんなはよく知っていた。体全体がタバコ臭いのだ。髪は真っ白なのだが、前髪だけは金色をしていた。ゴールドに染めているのかなとも思ったが、おしゃれでもなく、かえってめんどうくさがり屋のかれが、そんな手のかかることをするはずはあり得ない。あれはたばこのヤニで金色になったんだ、という見解が真実味を帯び、全員がそう思っていた。この場で、かれにこのことを問いただすと、あっさりとたばこのヤニ説を認めた。入院してたばこを吸わなくなると、金色の前髪もいつしか真っ白になっていった。もはや再び金色に戻ることはなかった。

かれの研究室も常にたばこ臭かった。窓ガラスはヤニで茶色っぽく汚れていた。こうしてかれががんになるなら「肺がん」以外にはありえないと誰しもが思っていたのだ。「肺がん」の状況証拠は十分にそろっていると我々は確信していた。状況証拠だけでは冤罪が生まれるのかもしれないが、犯罪を犯していないかれの場合はどうなるのだろうか。別に、「肺がん」ではなくても、冤罪で刑務所に入れられるわけではない。罪のない勘違いですむだけの話だ。


同僚A「入院中もたばこ吸ってたんじゃないの」

K 「いや全然吸ってないよ」

同僚B「入院中も隠れて吸っていたんじゃないの」

K 「本当に吸ってないって」

同僚C「病室で吸えなくても、トイレで吸ってたんじゃないの」

K 「高校生じゃないんだから」

同僚D「じゃ、退院してからは元のように吸ってるんじゃないの」

K 「いや、全然吸ってないって」


病人なのに容疑者のように尋問を受けた。誰からもたばこをやめたことを信用されないほど、かれはたばこと切っても切れない生活を送っていたのだ。入院しても、手術をしても、病室では吸えなかったとしても、どこかで隠れて吸っているのではないか、とみんなが思った。病気になってから2年経ったいまも、一部の同僚はかれがたばこをやめたとは信じていないようだ。やめたことを疑われても仕方がないほど、かつてのかれはニコチン中毒だった。

 一方で、Kががんになったことは、かれをよく知るものにとっては不思議でもあった。いつも元気一杯で、大飯を喰らい、野山を駆け回っていたからだ。それに両親が長命ときている。父親が亡くなったのは94歳で、母親は96歳になった今も健在である。本人も病気をする前は、いくら不摂生をしても長寿の遺伝子が守ってくれる、とかたくなに信じているようだった。たしかに両親から引き継いだ先天的な遺伝子は長寿遺伝子であったかもしれないが、それは生まれてからの後天的な喫煙の習慣によって駆逐されてしまったようだ。

 Kは病気の真っただ中にありながら、見た目はがんを宣告される前と全然変わっていない。自分の病状を話すときも、何か他人事のように客観的に話している。以前のかれとどこも変わったところがない。それでもこれまで話したことはすべて嘘ですよ、というほら吹きでもないことは、誰しもが知っている。たしかにこれがKなのだ。かれはがん患者が当然持つだろう深刻さをまったく持たず、少なくとも他人に微塵も感じさせず、飄々と日常を過ごしているのである。みんなどこかキツネにつままれた気分になった。キツネ払いのためにも、お祓いが必要だったかもしれないが、実行には移されなかった。


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