第一章 がんの発見 一の1 体の異状を知らせる警告アラームが鳴りっぱなし
第一章 がんの発見
体の異状を知らせる警告アラームが鳴りっぱなし
平成26年12月に入ったある日、大学の隣の研究室の住人であるKが、わたしの研究室にふらっと入ってきた。週に1度、不定期にわたしの研究室にやってきて、お茶を飲みながら話をするので、この時の訪問もさして珍しいことではなかった。
この日もいつものように他愛ない話をしていたが、話題が途切れると突然、先月から左肩が痛くて上げることができない、と言い始めた。このところのかれのそうした変化に、わたしはまったく気づいていなかった。40肩、50肩、いや60肩じゃないかと61歳のかれに聞くと、そんな痛みじゃないと言う。40肩になったことがあるのか、とわたしが尋ねると、「ない」と言う。それじゃ比較できないじゃないか、と突っ込むと、それでも40肩の痛みではない、と強く否定した。
自慢ではないが、わたしはこれでも40肩になったことがある。肩が上がらないほどの痛みだった。病院に行き、医者に痛み止めをもらい、バケツに水を入れてそれを肩の付け根から回す運動を毎日すれば治ると指導されたが、水浸しになりたくなかったので、バケツの力を借りずに毎日肩の付け根から腕をぐるぐる回していたら、いつの間にか治った。40肩も肩が上がらないほどの痛みなのだが、Kはそうではないと断言する。言いしれない不気味な痛みなのだろう。かれの話を聞くと次のようだ。
「Y県立O高校の高校生と一緒にやった研究が、平成26年11月29日土曜日に東京であった地質汚染-医療地質-社会地質学会主催の『環境地質シンポジウム』で講演賞を受賞したんだ。へ、へ、へ」
(かれは得意満面な時には、この「へ、へ、へ」が出てくる)
「そりゃ、よかったじゃない」
「生徒たちと地面を掘って、縄文早期の1万2千年前にはO盆地は湖が広がっていたことを明らかにしたんだ」
「高校生も喜んだんじゃない」
「うん。シンポジウムが終わってから、高校生全員にたい焼きをごちそうしたよ」
(肩の痛みはどうなったんだ?)
「たい焼きと言えば、大学の近所の○○の店が美味しいよね。ところで、たい焼きは頭から食べる、それとも尻尾から食べる」
(どっちでもいいだろう。肩の痛みはどうなったのよ?)
「頭からかな」
「正解(何が正解なのかよくわからないが)。では、第二問 (いつクイズになったんだよ)。尻尾まで餡子が入っているのがいいか、それとも尻尾には餡子が入っていない方がいいか」
「そりゃ、尻尾まで入っていた方がいいよ」
「ブー。それは間違いです。たい焼きは、餡子の詰まった頭から食べて、最後に餡子の入っていない尻尾で口直しをするのが、正しい食べ方です」
「誰がそんなこと決めたんだよ。一見理屈は通っているようだけど、やっぱり尻尾まで餡子が入っていた方がいいよ。口直しなんかしなくていいよ。それじゃ、Kさんは尻尾に餡子が入っていない方を選ぶんだね」
「いや、やっぱり尻尾までたくさん餡子が入っていた方を買うな」
いつものように、会話は大きな寄り道をし、バカ話をしながら進んでいった。肩の痛みはどこへやらである。しばらくして、やっと話の本筋に戻っていった。
シンポジウムの前の日に泊まっていたホテルで、夜どおし肩が痛くて寝られなかった、という。肩の痛さは、その数週間前からずっと続いていると言うのだ。我々の会話を傍から聞いていると、冗談ばっかりで、まったく切迫感がないように受け取られるかもしれないが、これはこれでかれの痛みは十分にわたしに伝わってくるのである。別に緊張をほぐそうとしてこんなバカ話を入れているわけではない。われわれ二人の会話の流れであり、リズムなのだ。
20年以上にもわたるかれとの長い付き合いの中で、かれが体の痛みを訴えることをわたしはほとんど聞いた記憶がない。かれの痛みに対しての我慢強さが人並み外れていることを、わたしはよく知っている。野生の熊やライオンがひっかき傷程度で、痛がったりすることはないだろう。肋骨にひびが入っても、耐え忍んでいることだろう。そんな野性的な力が、かれに備わっているようにみえるのだ。実際、大学1年生の時に縄文杉で有名な屋久島の調査にアルバイトで出かけ、調査器具や食料、水が入った50㎏以上の重いリュックサックを担いで、何十日も山中を行ったり来たりしたという。中学生の頃には、バスケットボールで目を負傷したり、足の指の骨をほとんど折るけがをしたそうだが、その微に入り細に入りの話を聞いていると、われわれはその痛さを想像して顔をしかめるのだが、本人は何もなかったように飄々と話し続ける。一時流行った鈍感力に長けているのかもしれない。けがで入院したことはあるが、これまで病気で入院したことはなかった。いたって健康体である。
いずれしてもそんなかれが、なにか深刻そうな顔をして、左肩の痛みを訴えている。よほど痛いのだろう。「そんなに痛いのなら、早く病院に行った方がいいよ」というのが、わたしがかれの痛みに対して助言できる唯一の言葉だった。
体の変調を訴える人の中で、まだ病院にかかっていない人には「早く病院に行ったらいいよ」と言い、病院にかかっている人には「大丈夫だよ」というのが、わたしの習わしとなっている。病気の人に言う言葉として、無難なのである。わたしの言葉で病院に行くのが遅くなり、病気が取り返しのつかない状態になったら、自責の念にかられてしまうからだ。
「痛みは整形外科ではなかなか治らないから、かかりつけのマッサージ師のところに行ってみるよ」とかれは答え、これでかれの痛みの話題から離れ、再びたい焼きの話に戻っていった。たい焼きの発祥は、かれの故郷のM県T市のある店屋だとする説がある、と何気なく故郷自慢をした。それが正しいかどうかわからない。
もしこの後に続く大事件がなかったならば、この時の肩の痛みの話はたい焼きのうんちく話とともに忘れられてしまったことだろう。だが、この頃、かれの体の異状を知らせる警告アラームが激しく鳴っていたのだった。鈍感力もいい加減にしろ、と・・・。
Y大学の黄金色に輝く銀杏並木も、いまはすべて散り、あとは本格的な冬の訪れを待つばかりだった。