出会い ☆
最初から思い出してみよう。初めて綾音と会ったのはいつだったっけ。
図書室。
放課後に図書室で借りた村上龍の続きを読もうと探したが書架には下巻が無く、窓口の脇に備え付けられている端末で検索すると『貸し出し中』のフラグが付いていた。続きが読みたいもどかしさを感じつつ書籍情報をプリントアウトし窓口に向かった。
窓口の図書委員に感熱紙を渡すと、彼女は無言で感熱紙に印刷されたバーコードをパソコンに読み取りディスプレイを凝視した。
「あれ?おかしいな、返却されてる」
「もしかしてコレ?」
彼女の隣で返却処理していたらしい別の男子委員が薄い文庫を手渡した。探していた下巻だ。
「これこれ」文庫を受けとった彼女はキーボードをいくつか叩き始めた。
その時あたしは隣の窓口に立っている綾音を見た。あたしより10㎝は背が高く長い黒髪、白い肌と相対的に目立つ赤い唇、くっきりとした目鼻立ち。街中ですれ違うただの通行人なら間違いなく見つめてしまう容姿だ。
「村上龍好きなの?」
赤い唇が開いてそう言った。
「あー、うん...はい?」
いきなり話し掛けられてあたしはしどろもどろな返事をしてしまった。内心また失敗したと後悔したが綾音は笑って会話を続けてくれた。
綾音はあたしと同じ一年生で、別名『特進』と呼ばれるAクラスだった。
彼女も本が好きらしく、好きな作家を訊かれたので答えると彼女も同じものを読んでいた。定番の太宰・芥川・三島から、今まで周りの誰も知らなかったH・P・ラヴクラフトも知っていた。
ダブル村上の話になった時、あたしが「龍は好きだけど春樹は苦手」と言うと帰り際に春樹の本を勧めてくれた。その中の『レーダーホーゼン』という短編が特に好きだと言っていた。
その夜あたしは最後まで読んだ。けどレーダーホーゼンの何が両親の離婚のきっかけになったのか、サッパリ分からなかった。
翌日朝、Aクラスを通りすがりにあたしはドキドキしながら綾音を探した。教室のドアとドアの間を挟む4枚の窓の向こうに綾音は居た。
指通りの良さそうな黒髪を垂らした彼女は立ったまま俯いて、薄いボストンバッグからノートやらを取り出していた。髪の毛の間から見える唇は微かに開き潤んでいた。細い腰、女性らしい胸元、長い手足。
あたしは足を止め、呆けたまま彼女を眺めていた。綺麗だなあ、と素直に思った。嫉妬してもどうしようもないくらいの容姿の差があることをあたしはすんなり受け入れていた。
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彼女が死んだ今、考えると何故だろう。
普通に考えれば、隣に居たら金属が煮えるほどの重篤な劣等感を感じるはずだった。でも暗い感情を覚えたのは最初の頃だけで、気づけば綾音との容姿の差を殆ど感じなくなっていた。
もちろん彼女は外見に関する事で一度もからかったりしなかった。自分の容姿をひけらかすことも無かった。でもどうして。
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そういえば、綾音の周りには男子の匂いがしなかった。
生物的な意味の匂いではない。綾音にはあたしの知る限り彼氏は居なかった。一緒に歩いている所を見たこともなかった。それどころか、綾音は近寄る男子の殆どを避けているように見えた。
ある日綾音との下校中に、上級生らしい男子が話し掛けて来た。先輩はあたしが目に入らないようで目もくれず、綾音に話し始めた。まず自己紹介をして、部の後輩から綾音の話を聞いたと言い、今度遊ぼうと誘った。綾音は控えめに断ったが、先輩は果敢に話を続けた。
2、3度誘いが繰り返された辺りであたしはその場に居づらくなり、つい「じゃ、あたしはこれで」と言いかけた。
そのとたん、綾音はあたしの方に振り向くと口を一文字に硬く結び、乱暴な位に強く、あたしの手を握った。
あたしはびっくりして立ち止まった。
「ごめんなさい」
綾音は頭を下げ先輩にはっきりそう言うと、あたしの手を握ったまま足早に歩き出した。先輩は諦めたようで追っては来なかった。あたしは綾音を見た。少し表情が固いように見えた。口元は固いままだ。
「あのね綾音」
「池澤夏樹って読んでる?」
「...えっ」
まるで先輩との遭遇自体が無かったかのように綾音は話始めた。あたしは言いたかった話題を飲み込んで、彼女の話に乗った。そのあと何を話したか覚えていない。でも先輩と別れたあとも離さなかった綾音の手の温かさはまだ覚えてる。
あのときどうでもいい話を制止して、彼女にもっと話を聞いていたら、良かったのかも知れない。
綾音と一緒にいることが気持ちよくて、一緒にいるのが自然なんだと思っていた。
でもどうして。
何も教えてくれないで。
頭痛がする。少し寝た方がいいかもしれない。空が明るくなってきた。今日は学校を休もう。