第三話:ブラコンの考えることはよく分からない
ちなみに、この物語とは全く関係がないが、自分が完ッ全にさじを
投げたのが奥山香の物語である。
姉貴曰く『真のヤンデレは周囲や世間体を重んじた上で、最も欲しいもの
だけを確実に獲る』とのことで、よくいる自分のわがままのために包丁振り
回すタイプはヤンデレとしては失格なのだそうだ。
それはヤンデレではなく……メンヘラだと言ってもいた。
後書きに続く。
生徒会長、植草美恵子。三年生。
副生徒会長、桜庭文枝。三年生。
副生徒会長、荒瀬智也。三年生。
生徒会書記、坪倉五十鈴。二年生。
生徒会庶務・会計(兼任)、空野博。二年生。
名物生徒会などと言われておりますが、基本的に仕事は雑務です。
生徒会庶務兼会計の空野博は、ぼさぼさの髪を手入れしない少年である。
身長は平均的に百七十センチ程度。垂れ目が印象的で見た目はやや地味だが可愛い系に入るのだろう。身長にしては体格が優れている。成績も運動もかなり出来る方なのだが、常に気だるそうな態度と人をナメた姿勢が、彼の印象を著しく下げていた。
そんな彼が生徒会にいる理由……それは、彼が有能だからだ。
「っつーわけで、今月のスケジュールと日程。やらなきゃいけねー仕事は裏面に記載してます。事務作業が少々遅れ気味ですが、これは会長が足引っ張ってますね。以後気を付けてください」
名物生徒会。そんな風に言われている彼ら彼女らは、力関係が逆転している。
有体に言えば、上の役職ほど発言力が弱く、下の役職ほど発言力が強い。中でも空野博と呼ばれる荒れた目をした少年は、庶務・会計を兼任し、縁の下の力持ち……どころではない役割を十全にこなしている。
彼抜きでは生徒会運営が成り立たない程度に……有能なのだ。
そんな彼に意見できる五十鈴は、生徒会の中では発言力が強い方だった。
「そうは言っても……お姉さまだって他の皆だって、外せない用事の一つや二つはあるでしょう? 空野君だって会議にはあんまり参加しないじゃないですか?」
「その代わりにスケジュール作ったり、面倒な作業は速攻で終わらせてるじゃねーか。要らないなら言ってくれ。速攻で辞めてやる。辞めさせてくださいお願いします!」
「それは却下で」
とはいえ、締めるべき所は締めるのがこの生徒会の在り方で、生徒会長である美恵子のの鶴の一声で、いつも通りに『辞任願』は却下されることとなった。
溜息を吐いて、博は別のプリントを各人に配布する。
「あとは、風紀委員会から『持ち物検査』の厳格化が書類で送られてきました」
「厳し過ぎるから却下で」
「会長、ちょっと黙っててください。アンタとりあえず即決で全部却下にするじゃねぇですか。マジでやめろ。とりあえず内容だけ目を通してください……で、副生徒会長の方々の意見はどうでしょうかね?」
博が視線を送った先には、二人の人物がいる。
桜庭文枝。五十鈴曰くの『清楚系美人』である。銀縁の眼鏡に細い顔立ち。黒い髪を肩まで伸ばしている。背丈は高く百七十センチほど。女性的な凹凸は少ないが、それは彼女が合気道部に所属していたアスリートだからだ。
(女性的な隙は極めて少ないですが、それがまたストイックでたまらんというか……)
五郎は『正直嫌い』と言っていたし、実際物言いがキツいので敵は多いのだが、それを差し引いても味方は多いし、彼女の方が好みという人間は男女問わずいる。
文枝はプリントを見ながら、口を開いた。
「問題ないと思います。そもそも学校に違反物を持ってくるのが間違い。この程度の罰則はむしろ的確でしょう?」
「的確じゃねーから議題に出したんですよ。緩めるべき所は緩めて、締めるべき所は締めなきゃいかんのですが、委員会の言うことを全部認めちゃ生徒会の意味がねェ。最終許可を出すのは生徒会だからこそ、丸投げされたものを直で受け取るわけにはいかねーんですよ。駄目出しの二つや三つはやって、少なからずケチつけとかんと示しがつかない。……荒瀬先輩はどう思いますか?」
「同意見だな。罰則はあって然るべきだが、締め過ぎは反発を買う」
荒瀬智也。空手部所属。端正で彫りの深い顔立ち。身長は百八十二センチ。いわゆる美男子というやつで、実家が武道を教えているそうで腕っ節も相当立つ。……が、体育祭の騎馬戦で女子に投げ飛ばされたり、プールで溺れかけたり、実はオタクだったりと、五十鈴の中ではあまり良い印象はない。単に『顔が良いだけの男』という認識である。
「特に、携帯電話の所持禁止はやり過ぎだろう。今時誰もが持っているような便利ツールを禁止というのは、明らかに反発を買うし、携帯電話禁止は、俺も困る」
「荒瀬君は自分の都合でのみ、よく舌が動きますね?」
「桜庭のように厳しさを全肯定するよりはましだ。桜庭自身が携帯電話持ってないからひがんでいるのか?」
「誰がひがんでるですって? ひがむわけないでしょうが、馬鹿じゃないの? ああ、荒瀬君は画面の向こうの嫁に夢中ですものねぇ? 携帯電話禁止は嫌よねぇ?」
「別にゲーム限定で困ると言ってるわけじゃないだろ!」
「お二人とも、痴話喧嘩はそこまでにしてくれやがりませんかねェ?」
『どこが痴話喧嘩だ!?』
博に二人で同時にツッコミを入れるあたり、どう見ても痴話喧嘩だと五十鈴は思う。
(しかしまぁ……空野君は本当に頼りになりますね)
副会長二人相手に全く引けを取らない。むしろ押してすらいる。
疲れたような表情で、博は言葉を続けた。
「こんな風に……『現実には不可能だけど案だけ通しておこう』って項目が結構ありましてね。桜庭先輩みてーにちょっと潔癖な方は賛同しちゃいますが、俺らみたいなテキトーやってる生徒にとっちゃ、やり過ぎは迷惑でしかないんですよ」
「でも、授業中に携帯でゲームやってる人もいるでしょう? 荒瀬君とか」
「授業中にやってたまるか。そこまで熱心じゃないぞ」
「デメリットを差し引いても携帯電話は便利過ぎるんですよ。震災の時に携帯があったから助かったとか、停電でなにも見えない時にバックライトが照明代わりになるとか、充電さえできればカイロの代わりにもなるアプリもありますし……携帯が必要な局面の方が多いくらいなんで、やっぱり禁止はやり過ぎなんですよ」
「そうだね。これは博君の言う通り」
口を挟んだのは、黙ってろと言われた生徒会長こと植草美恵子だった。
薄く笑って、美恵子は言葉を続ける。
「とりあえず……携帯電話、危険物、書籍、お化粧、持ち物検査の日付の隠蔽は全却下の方向で。生徒会として承認できそうなのは、服装関係くらいかな?」
「美恵子は甘過ぎます」
「文枝ちゃん。今はクラスメイトじゃなくて上役なんだから、会長と呼びなさい」
嗜めるように、嫌味にならない程度に、しかし有無を言わせぬ迫力を持って、美恵子はきっぱりと告げた。
確かにこの生徒会は、下の役職ほど発言力が強い。
しかし……それはあくまで『いざとなったら生徒会長がなんとかするだろ』という安心感に基づいている。
締めるべき所は締めて、それ以外がとことん緩んでいるだけなのだ。
薄く笑いながら、美恵子は続けた。
「危険物の取り締まりは見れば分かるもの以外は、放置でいいよ。私達は警察じゃないんだし風紀委員会もそこまで踏み込むのは越権行為だね。書籍については……これは個人的な意見だけど、漫画くらいはOKだと思うよ?」
「みえ……じゃなくて、会長。いくらなんでも漫画は駄目でしょう?」
「なんで? 漫画原作のドラマとか、大昔の歴史の偉人を元にしたコンテンツとか、今はいっぱいあるでしょ? 文字に触れて文字に親しむってのが学校特有のお題目だけど、そんな煩雑なものは興味がないと誰も読まない。煩雑じゃなくて、楽なコンテンツこそが興味への入り口でもいいと思うし……興味のありかは人それぞれで『これがあると学業が捗らない』なんてものはない。それこそ個人レベルで管理すればいい……とは、生徒会の立場からは言えないからね。当たり障りのない『現状維持』が妥当だよ」
「……まぁ、そう言われれば、確かにそうですけど……」
「お洒落もこれは酷いと呼べるものについては現状でも取り締まってるし、私も薄くお化粧してるからなんとも言えない。化粧なんて女の子が社会に出る段階になったら絶対に習得しなきゃいけないスキルだしね。……それから、持ち物検査の日付は公開されているからこそ意味があるものだよ。その日は気を付けなきゃっていう抑止力でいいの。その日さえ気を付けていれば楽勝でもいいの。下手に抜き打ち検査や日付の隠蔽なんかして、作業を増やす必要はないんだよ」
「その言い方だと作業が増えるのが嫌にしか聞こえないのですが……」
「当然、嫌だよ?」
あっさりと、あっけらかんと言い放って、美恵子は口元を緩める。
「私は無駄が大嫌いだからね。無駄な手間は増やさない。現状維持でなんとかなるなら現状維持でなんとかすればいい。無駄に新しいものは必要ない。必要な時に必要なだけ、必要なぶんを足せばいい。……桜庭副会長が『無駄作業大好き♪』ってことなら、風紀委員会からの案は全て副会長の責任で通してもいいけど?」
「冗談ではありません。せめてオブラートに包めと暗に言っているのですよ」
「オブラートに包むのは荒瀬君の仕事。議事録を取るのは五十鈴ちゃんの仕事。風紀委員会に提出するのは空野君のお仕事ってことで。文枝ちゃんはツッコミ担当」
「ったく……」
一番『ったく……』と言いたいのは仕事が多い男性陣だろうが、その辺に関してはツッコミは入らなかった。いつものことだからだ。
話がまとまったところで、博は口を開いた。
「んじゃ、今日はこれにて閉会。坪倉は明日中に今日の議事録をまとめて提出。荒瀬先輩は明日がきつかったら、なるべく明後日くらいに生徒会の意向をまとめてください。会長と副会長の承認が通ったら、俺が風紀委員会に提出してきます」
「はい、そういうわけでお疲れ様でした!」
いつも通り、生徒会長の終了宣言が出ると同時に、五十鈴以外の全員が席を立った。
議事録……今回の会議の内容を簡潔にまとめ、明日までに提出しなければならない。書記の仕事の一つではあるが、締切はわりと緩めなので余裕はある。
(部活動や『お付き合い』にまで支障を出すわけにはいきませんからね……)
余裕はあるが油断はできない。時間は刻一刻と浪費されていくものなのだから。
と、不意に、寒気が走った。
五十鈴は引きつる口元を全力で偽装しつつ顔を上げる。終了宣言が出た後に生徒会室に残るメンバーはほとんどいない。……何か用がない限りは、だが。
五十鈴の隣に、にこにこといつもの微笑を浮かべた、美恵子が立っていた。
「五十鈴ちゃん……ちょっといいかな?」
「なんでしょうか、お姉さま?」
「五十鈴ちゃん、私の弟と付き合ってるよね?」
「っ!?」
いきなり切り込まれ、五十鈴は露骨に慌てた。動揺した。とぼける隙もなかった。
その動揺を見て取って……美恵子は腕組をして、ゆっくりと息を吐いた。
「やっぱりそっか……五郎ちゃんといい、別に隠さなくてもいいのにねぇ」
「ち、違うんですお姉さま! これはなんというか……策略と言いますか、脅迫されてると言いますか、とにかく私の自由意思とは一切関係ないことでして! 私は別にあんなひょろ男はどーでも良くてお姉さまラブですからね!」
「五十鈴ちゃんのそういう所はいっそ清々しい感じで結構好きなんだけどね……」
特に怒っているわけでもなく、悲しんでいるわけでもなく、少しだけ物憂げに美恵子は頬を掻いて五十鈴を見つめた。
「五十鈴ちゃんは……えっと、レズなんだよね?」
「女性が好きなだけです。あと、レズじゃなくて百合です。お姉さまラブなだけです」
「まぁ、それは常々聞いてるから知ってるけど……さすがにね、毎日『お姉さまぁ♪』みたいな感じだったのに、最近はいきなりテンションダウンしてるからね、ああこれはなんかあったな、絶対五郎ちゃん絡みだろうなとは思ってたよ? 五郎ちゃんの服から五十鈴ちゃんの匂いがするし。正確にはシャンプーの匂いだけど」
「……え、えっと……それは……」
「付け加えるなら、五十鈴ちゃんから五郎ちゃんの匂いがするしね」
「………………っ」
五十鈴は絶句した。五郎の言っていたことを否定していたわけではないが、半信半疑くらいだったのも事実である。軽く見てはいなかったが、重く見てもいなかった。
まさか『五郎が事実しか言っていない』などと、誰が思うだろうか?
五十鈴が困惑していると、美恵子は口元を緩めて軽く笑った。
「別に、嫌ったり怒ったりはしないよ。私はそれほど寛大じゃないけど……事情があるなら仕方がないし、弟と後輩の自由恋愛を束縛するつもりはないからね」
「いえその自由恋愛というか、脅迫の上に束縛されっぱなしなのですが……」
ツッコミを入れつつも、五十鈴は内心でほっとしていた。
少なくとも嫌われたり怒られたりはしていないらしい。一番懸念していたことはこれで解消されたと言えなくもない。
美恵子は不意に笑顔を消して、眉をひそめて口を開く。
「その『脅迫』って、どれくらいの期間続けなきゃいけないの? 在学中ずっととかだとさすがに私も動かざるを得ないよ?」
「あ……いえいえ、期限と条件付きで一ヶ月です。生徒会の方優先して良いって言われてるので、仕事に支障はないと思いますし……条件も意外と悪くはないので」
「一ヶ月かぁ。楽勝っぽいなぁ……仕方ないのかな。うぬぬぅ……」
「お姉さま?」
「んじゃ、次の質問。五十鈴ちゃんは五郎ちゃんからどの程度聞いてるの?」
「……色々、聞いてます。主に五郎君がお姉さまから自立したいとか……そういう話ですけど」
「中途半端に隠さなくても、私のプライベートがグダグダなのは仕方ないしね……でもまぁ、五郎ちゃんがそこまで話すってことは、私の目が節穴だったってことかな」
「あの、お姉さま……さっきからなんのお話を……」
「独り合点だから気にしないで」
あっさりきっぱりと言い放ち、美恵子は眉間に皺を寄せて、腕を組んだ。
息を吐いて、口元を緩めて、言葉を続けた。
「仕方ないかー……いつまでも独り占めと書いて独占状態は続かないってことだね。惜しい物件だけど、人に譲渡しなきゃいけない時はいつか来る……悲しいね」
「あの、私は五郎君と付き合うつもりは全くこれっぽっちもありませんからね? 一ヶ月経ったら以後はお友達ですからね? お姉さまにはとんでもなく失礼ですが……どうしてお姉さまが五郎君にデレているのか、さっぱり分かりません」
「そりゃ、可愛いからだよ。エロスギリギリ直前で寸止めした時の顔が最高です」
「お姉さま、言っちゃなんですが性質悪いです」
「五十鈴ちゃんは他の自称百合な子とは違ってざっくり斬り込んでくるよねぇ」
私以外にも百合がいるのか……などと、少しだけ五十鈴はショックを受けた。
にひひ、と人懐っこそうに笑いながら、美恵子は口を開く。
「そりゃまぁ、高校三年生ですから女の子に告白されたことくらいは、あるよ」
「マジですか!? いいなぁ、すごく羨ましいです!」
「五十鈴ちゃんは素直だね……まぁ、そういう子たちの望んでいるモノを提供はできないから、全部お断りしたんだけどね……変な噂広められたりして大変だったなぁ」
「そいつらの住所を教えてください。百合のなんたるかを体に刻み込んでやります!」
「五十鈴ちゃんのそういう清々しい所は、結構好きだよ」
そう言われると五十鈴としてはくすぐったい気分になるし、美恵子に迷惑をかけた皆殺しにしたい気持ちはちっとも薄れたりはしないのだが、少しだけ引っかかったことがあった。
(望んでいるモノの……提供)
五郎も言っていた言葉。こういう所はいかにも姉弟らしいと、思う。
妙な所でストイックで……変な所で遠い目をするあたりは、似ていると思う。
「五十鈴ちゃんは、どうして女の子が好きなの?」
「え?」
「その辺のパターンは人それぞれだから、言いたくなかったら言わなくてもいいけど……私が思うに『憧れ』か『恐怖』か、あるいは両方の併せってところなんだよね」
憧れた人が女性だった。好意が恋になった。
男の人に酷い目に遭わされた。恐怖がトラウマになった。
あるいは……その両方か。
「五十鈴ちゃんはちゃんと弁えてる子だと、私は思う。自分が大多数の中じゃ少数派で『自分は気持ち悪いんだ』って、きちんと自覚してる。私に告白してきた子たちは、憧れて押し付けて過激に幻滅してきた子ばっかりだったからね……正直、百合っ子ちゃんはもうこりごりだよ五郎ちゃ~んといった感じなんだよねぇ」
「いや、その……暴言になりますけど、お姉さまのブラコンも大概ですよ?」
「お姉さまがハマるほどの『なにか』が、五郎ちゃんにはあると思いねェ」
なぜか、芝居がかった口調で美恵子はとぼけたように言う。もしかしたら美恵子なりに恥ずかしがっているのかもしれない。
こほんと咳払いをして、美恵子は口元を緩めた。
「まぁ……危ない関係じゃなくて少しだけ安心したかな。五郎ちゃんがいきなり『彼女ができた』とか言うから、近々地球が滅亡するのかと思っちゃったよ……」
「さりげなく酷い発想ですね……地球は滅びませんし、五郎君に彼女はできませんし、私が彼と正式にお付き合いすることはあり得ません。私とて生半可な覚悟で百合をやっているわけではないのです」
「……でも、脅迫されて強制されてる状態とはいえ『お付き合い』自体は了承したんだよね? 色々とやりようはあったんじゃないかな?」
「土下座までされてしまっては、私も折れざるを得ないということです」
「そーかなー……五十鈴ちゃんは土下座程度で折れるような子じゃないと思うなー」
「そのあたりは守秘義務ということでお願いします。こちらも相談を受けている手前、言えることと言えないことはあります」
「五郎ちゃんの自慰行為の頻度とか?」
「そんな相談を受けた覚えはありませんし、それはただのセクハラですよっ!?」
「ちなみに、十日に一度くらいなんだけどね。これは多いのか少ないのか……男の子として正常じゃなかったらどうしようとか、最近悩んじゃったりしてます」
「知りませんし、それはお姉さまが把握しちゃいけない情報ですっ!!」
顔を真っ赤にしながら五十鈴は叫んだが、その心中は穏やかではなかった。
(面白半分で性欲の処理方法とか聞くんじゃなかった……っ!)
セクハラが転じて大型地雷である。『へっへっへ、なかなか可愛い顔もできるじゃないですか』などと考えていた自分を、五十鈴は少しだけ恥じた。
神妙な面持ちで、美恵子は唇を尖らせて言った。
「屋根裏からPCの中まで知識を総動員して漁ってるんだけど、えっちな本とか動画がどうしても見つからないのよね。……襲ってくる気配もないし、五郎ちゃんは一体なにを考えてるのかさっぱり分からない時があるのよねぇ」
「いや、彼の気質から考えて、絶対に襲うわけはないと思いますが……」
「男は狼なのよ? 五郎ちゃんも狼に違いないんだから!」
「………………」
狼だとしたら五郎君は『飢狼』でしょうね、とは言わなかった。
草食系かと思ったら、まさかの本格的な絶食系男子だったことに意外とショックを受けている五十鈴である。
(さすがに……ちょっと、気の毒になってきましたね)
両親はほぼ不在で祖父母に育てられた五十鈴ではあるが、だからこそ過干渉をされたことはないし、五郎のように姉に縛られたりすることも……ない。
趣味が災いして友達は少ない。それは孤独ではあるが、自由でもあるのだ。
五十鈴は、大きく息を吸って吐き、自分が好きな人を見据えた。
「お姉さま」
「なに? 五十鈴ちゃん、なんか怖い顔してるけど……」
「お姉さまは明らかにやり過ぎです」
「知ってるし自覚もあるよ。でも、赤の他人の五十鈴ちゃんにそこまで言われる筋合いはないかな? これはあくまで家庭の問題。私達、姉弟の問題だと思うけど?」
「知ってます。踏み込むつもりは毛頭ありません。それでもお姉さまは、どう考えてもやり過ぎだと思います。……五郎君はペットではなく、れっきとした一人の男の子です。お姉さまにだって誰にだって、暴かれたら生きていけない秘密の一つや二つはあるし、暗黙の了解で暴いてはいけないものがあります。お姉さまにとっては面白半分かもしれなくても、五郎君にとっては細心の注意を払って守っていることかもしれません」
「…………ふぅん?」
「私はお姉さまが好きです。……しかし、看過できることとできないことはあります。それは私が人間だからです。好きだからこそ全肯定はできないと、そう思います。言わねばならないことがあって、それを言ってウザがられたり気持ち悪がられたり、嫌われたとしても、これを言わねば『坪倉五十鈴』ではないのです。……だから言います。やり過ぎです。五郎君はれっきとした一人の男性で、尊厳と人格のある人間なのです」
「………………」
言い終わってから、五十鈴は後悔した。
後悔はしたが言いたいことは言った。五郎の話を聞いてて思ったこと。今美恵子が言った言葉の数々を、自分の中で煮詰めた感想だ。言いたかったことだ。
美恵子はじっと五十鈴を見つめていた。特に嫌悪を表に出すわけでもなく、怒るわけでもなく、物事を観察する冷めた目で、まっすぐに五十鈴を見つめていた。
三分が経った頃だろうか……美恵子は、不意に口元を緩めた。
「よろしい。ならば、テストをしましょう」
「はい?」
「節度を弁えた発言の数々、大変身に染みました。ご高説はごもっとも。納得もいたしましたね。ええ、確かに私はやり過ぎです。姉弟の問題だと切り捨てる前に、人道に沿わぬ行いだということも重々承知しています……だから、テストをするんだよ」
美恵子は笑う。酷薄に笑う。口元だけを緩めて目で笑わずに。
五十鈴を嘲笑うかのように……笑っていた。
美恵子は鞄から封筒を取り出す。それを五十鈴の前に叩きつけた。
「テストだよ、五十鈴ちゃん。私は……植草美恵子は、あなたを試します」
「……試すって……」
「その封筒には温泉旅行のペアチケットが入っています。期限は二泊三日。ちょうど週末の連休と同じ日数だね。石村ちゃんの奢りだから、お金は気にしなくていいよ」
「ちょっ!? な、なんで石村のことをっ!?」
「怪しそうな人に一人ずつ揺さぶりをかけて、一番動揺した人が犯人だから」
「ッ!?」
その一言に、五十鈴は戦慄した。
行動が早過ぎる。そして、大胆過ぎる。有能だとは思っていた。廃スペックだと思っていた。……思ってはいたがこれほどだとは思っていなかった。
美恵子は笑う。目は笑っていなかったが、笑っていた。
「というわけで……ここからはこの『脅迫』は私が仕切ります。今週末、五十鈴ちゃんは五郎ちゃんと一緒に温泉旅館に宿泊すること。部屋はもちろん同室。自称百合とシスコンだから、変な気は起こさないよね?」
「いっ……いえ、そういう問題じゃなくて、男女が同室というのは……っ!」
「大丈夫。五郎ちゃん尋常じゃなく腕力ないから。へっぽこだから」
「だからそういう問題じゃなくてですねっ!」
「私は、節度を弁えて、安全地帯でご高説を垂れる人間が、大っ嫌いなの」
そこで、美恵子は笑顔を消した。
誰もが背筋に寒気を覚えて、戦慄するであろう無表情。
怜悧な視線を五十鈴に向けて、美恵子は口を開いた。
「百合だから問題ないんでしょう? 相手がシスコンならときめかないんでしょう? なら、それを実地で実証なさい。節度を弁えず、安全地帯から身を乗り出して、ヘッドショット覚悟で五郎ちゃんと接しなさい。その上で全く萌えず餓えずときめかないのなら、言葉だけは聞いてあげる。……できないのなら、今の言葉を撤回なさい」
「……言葉は撤回しません。私にも覚悟はあります」
「そう。まぁ……五十鈴ちゃんのそういう所が好きで、書記に推したのは私だしね」
放っていた怜悧さを消して、不意に柔らかく、美恵子は口元を緩める。
「ああ……それと、一ヶ月我慢できたら、デートしてあげる」
「? デートと言いますと?」
「私と五十鈴ちゃんがデートするの。……ま、弟に付き合ってくれたご褒美だね」
「マジですかっ!?」
「いや……すごい食いつきだね」
「そりゃ食いつきますよ! お姉さまとデートなんて素敵過ぎます! どこに行きましょう? どこに行くんですか? 箱根でしっぽり温泉旅行とかですか!?」
「あの……私、百合じゃないからそこまでテンション上げられても……」
「一晩あれば十分過ぎますよ。へっへっへ……楽しくなってきちゃいましたよぅ!」
「ああ……うん……頑張ってね?」
テンションが際限なく上がっていく五十鈴と、さっきまでの覇気とは打って変わってドン引きしてテンションが際限なく下がっていく美恵子。
なんだかんだ言いながらも、本日も生徒会は通常営業だった。
「そういうわけなので、正直五十鈴ちゃんはやめておいたほうがいいと思うな!」
「ああ……はいはい」
テキトーに相槌を打ちながら、五郎はなんとなく泣きたい気分だった。
色々と言いたいことはある。帰って来るなりリラックスしていた弟の膝の上に座り込んむ姉にそういうことを言う権利はなかろうとか、あの百合口が軽過ぎだろとか、お腹が減ったけど夕飯どうするんだろうとか……言いたいことは、ある。
(まぁ……予想通りっちゃ、予想通りか)
人間関係の悪化が避けられただけでも、喜ばしいことなのだろう。
そう思いつつ、言いたいことは言わずに、五郎は口を開いた。
「なにがどう『そういうこと』なのかは知らないし、昨日も言ったけど、五十鈴ちゃんなどという人は知らないよ」
「この期に及んでしらばっくれるか。五十鈴ちゃんと石村ちゃんから言質は取ってるんだから、とぼける必要はもうどこにもないんだよ?」
「……言っちゃなんだけど、女の子って口軽いよね。ふわっふわだよね」
「そりゃまぁ、女の子の会話は連想ゲームですから。思い付いたら、即ですから」
そう言いながらも、なぜか美恵子は誇らしげに胸を張る。
逃げることはできないので、五郎は開き直ることにした。
「そーだね。脅迫されてなんやかんやあって、状況を利用したよ。はっきり言って、ぼくはチャオズ状態なんだね。修行はしたけどお姉ちゃんにはついて行けません」
「あれ、テンシンハンさんも正直ついて行けてないから、なにかあってもチャオズには生き残って欲しいっていう、ただの親心かなんかだと思うん……ん? もしかして、今回のコレもそういうこと? 別にお姉ちゃん、五郎ちゃんのことは足手まといだとは思ってないよ?」
「いや……お姉ちゃんが足手まといなんだよ。坪倉さんの話を聞いてても、今のこの状況が異常だってことは……まぁ、常々思ってはいたけど……よく分かったしさ」
「この世界に異常などなぁい! あるのは自分と他人だけよ!」
「中二病でも再発したの?」
「WAO! どうしよう……五郎ちゃんが冷たい! きっと五十鈴ちゃんのおっぱいにしてやられたんだ! これだから巨乳は淫乱なのよ!」
「冤罪だよ。全世界の巨乳に謝れ。冷たいのは単にお腹が減ってるからだよ」
「ふふん! お姉ちゃんの手料理が食べたいのなら、最初からそう言えばいいのに♪」
「三十分前にご飯炊いたから、あとはレトルトのカレーを温めて……」
「五郎ちゃん。お姉ちゃんがレトルト食品大っ嫌いと知っての狼藉かしら?」
「ふみはへん(すみません)」
正常に発音できなかったのは両の頬をつねられていたからで、結構痛かった。
美恵子はレトルト食品を極端に忌避する。レトルト食品は駄目で冷凍食品はオーケーという訳の分からない区分だったが、理由はなんとなく分かった。
(うろ覚えだけど……小さい頃はレトルトばっかり食べてた記憶があるしなぁ)
五郎は時々食べたくなるが、美恵子には嫌な思い出があるのだろう。
例えば……嫌いな物を嫌いと言える相手がいないとか、そういう思い出だ。
「まぁ、レトルト食品は冗談だけどさ……お姉ちゃんが遅いから夕飯どうしようかって思ってたら、ちょうどいいタイミングで帰って来た感じ?」
「母さんは?」
「仕込みがあるとかで、今日の……今日も夕飯は任せるってさ」
「……ちゅー」
「怒りを性欲に変換するのはやめてくんないっ!?」
「お姉ちゃんは生徒会で疲れたので、夕飯は作りたくありませんー」
五郎にもたれかかりながら、顎を五郎の肩に乗せて、美恵子は拗ねたように言った。
(ようにじゃなくて……拗ねてるんだろうけどね)
誰だって『やる気があっても、押し付けられればやる気が失せる』ものだ。
五郎は美恵子の背中に腕を回して、ぽんぽんと背中を撫でた。
「じゃあ、休憩してからなにか食べに行くか買いに行くか……気分で決めようか」
「ウェーイ……さすが五郎ちゃん。名案だね。じゃあ、ちゅーをしながら休憩しよう」
「やめろっつっぐむっ!?」
「……ちゅー……」
実際は『ちゅー』などという生易しい表現では到底追いつかない。五郎は渾身の腕力で美恵子をどけようとしたが、非力に非力を重ねてさらにもう一つ非力を重ねた少年の腕力では、少女をどけることすらかなわなかった。
成す術なしとはこのことである。
エナジードレインあるいはオーライーターの如き所業は、五分ほど続いた。
「ぷはっ……うしっ! 充電完了! 今日は奮発して回るお寿司にしようか?」
「…………っっ」
「朝の話の続きだけど、これだけやればカウントしていいよね?」
「ノーカウントで……少なくともぼくの意志で行ってない行為はノーカウントでっ! っていうか、それ以前にキスとかマジでやめてくれないかなっ!?」
「キスじゃないよ。べろちゅーだよ」
「おい、お姉ちゃん。一休さんのとんちみたいな発想で誤魔化すのはやめてもらおうか」
「そもそも、頭とか背中撫でてくれた時は、オッケーってサインでしょ?」
「なに勝手に暗黙の了解作ってんのっ!? なんか疲れてそうだったからなんとなくやっただけでそれ以上の意味はないよっ!?」
「こんなお姉ちゃんがいたら世の男性は狂喜するというのにウチの弟ときたら……」
「こんなお姉ちゃんがいたら世の男性は絶対に引くよ。……もうこの際ぶっちゃけるけどね、お姉ちゃんは彼女でもないのに束縛がキツいような気がするよっ!?」
「気がするじゃないのよ? キツいどころか……超キツいに決まってるじゃない!」
「開き直りやがった……だとっ!?」
「ほらほら、とりあえずお寿司買いに行こうよ。行かないと首筋にキスマークの刑」
「分かったからくっつかないで!」
そんなこんなでじゃれ合いつつ、結局二人で出掛けることになった。
行き先はそれほど遠くない回転寿司屋で、夕飯を作るのが面倒な時などによく利用している。
(……ぼくも如月みたいに、料理覚えるべきかなぁ)
そんなことを思いつつ溜息を吐く。おつまみ系の簡単なものなら作れるが、本格的なものになると作ったことはないし、そもそも台所に入れてすらもらえない。
「あ、そういえば五郎ちゃんに朗報があるんだけど」
「なに? 嫌な予感しかしないんだけど」
「今週の連休いっぱい使って、五十鈴ちゃんと温泉旅館に行ってらっしゃい」
「…………はィ?」
「巨乳と温泉旅行だぜイェー! 役得! ギャルゲー主人公みたいだね!」
「ちょ……ちょっと待って。どこからどうなって、そんな流れになったの?」
「今回の件、石村ちゃんから私に引き継ぎになったから、私からのお題で温泉旅行行って来いってこと。その代わり、連休までは五十鈴ちゃんは生徒会の方でこき使うから」
「……うっわ……最近知り合ったばっかりの女の子と温泉とか……」
「嫌?」
「普通に嫌だよ。あのレズ、時々テンション高くてついていけないし……」
「あー……分かる分かる。基本すごく良い子なんだけど、テンションは高いよね」
「言ってることは表向きまともなんだけど、なんていうかこう……お前絶対に色々計算してるだろ的な、ちょっと信用ならない部分があるし。まぁ、別に良いんだけどさ」
「一生懸命なのは分かるんだけどねー……ちょっと分かりやすいのが難点かなー……」
「でも、時々すごく心配してくれてるんだよね」
「意地っ張りで妙な所で意固地だけど、確かに基本的には良い子だよね。……ところで、話は変わるけど、五郎ちゃんも生徒会入らない? 臨時メンバーでいいから」
「姉と同じ組織所属とか、御免だよ。桜庭先輩に睨まれるのも面倒だし」
「五郎ちゃん、文化祭の時文枝ちゃんのこと泣かしたもんね……」
「いや……トドメ刺したのはぼくのクラスにいる如月って奴と生徒会の空野君なんだけど……半死半生くらいまで言葉で追いこんだのは事実だけどさ……」
「まぁ、文枝ちゃんはちょっと繊細過ぎるからね。ここからの奮起に期待してます」
「疲れてたみたいだけど、生徒会の方はどうなのさ?」
「空野君と荒瀬君は問題なし。今期の生徒会は男子に恵まれたね。文枝ちゃんは潔癖なのと気分にムラッ気があるのがちょっと難点。五十鈴ちゃんはテンション高めで若干ウザいけど、それはそれとして物事を客観的に見つめる視点がある。こういう人材は特に貴重でね……爽鬱のブレ幅が激しいからちょっと扱いにくいのは事実なんだけど」
「面倒そうだね」
「面倒だけど楽しいよ。ちょっと……いや、ちょっとどころじゃなく、疲れるけどね」
「大丈夫?」
「まぁまぁ大丈夫」
「大丈夫ならいいけど、あんまり無理はしないでね?」
「そうだねぇ」
柔らかい苦笑を浮かべて、美恵子は五郎の手を取った。
特に今更なにか言うこともない。なんとなく手を握り合うのは……普通だった。
それは別に普通ではないと五郎は知っていたけど、これくらいはいいかと少し思う。
言い訳ではあるけれど、そう思った。
美恵子は五郎の手を握って柔らかく笑いながら、口を開く。
「五郎ちゃん」
「……なに?」
「やっぱりお寿司はやめてラーメンにしようか?」
「却下で。今はなんとなく酢飯の気分だし」
「五郎ちゃんは我がままだから、ちゃんとそういう所も出していかないと駄目だよ? 五十鈴ちゃんはテンション高くてちょっとウザいけど……器量は良いからね」
「……善処はするよ」
返事をして頬を掻く。小さく息を吐いて姉の顔を見つめた。
いつも通りの姉の顔。可愛いと他人は言うが、五郎にはよく分からない。
可愛いとは思うが、それは普段の生活態度を見てのことだ。今まで生きてきて、五郎のことを頼って甘えてくれるのは、このだらしない姉以外にはいない。
人の美醜にぴんと来ない。綺麗と醜いがよく分からない。
その『分からなさ加減』は五郎の敵である如月与一が一番顕著で、不気味という人間もいれば、接しやすく良い奴という人間もいる。
五郎は接しやすく良い奴だと思う。敵だけどそう思う。
毎日違う女の匂いをさせているのと、五郎にしか見えない変なマスコットを頭に乗せていることと、人の心にさくりと刺さることを言うことを除けば、良い奴だと思う。
(お姉ちゃん子でも別にいいんじゃねぇのと、あいつは言ったけど……)
自分でも悪くはないと思っているけど。
それでも、他人に言われたからでも、社会で禁忌とされているからでもなく。
単純に、自分の意志で……五郎は、それをやろうと決めた。
自分が駄目人間だという自覚はある。誰かと添い遂げる資格がないのも分かっている。あっちこっち全部怖くてにっちもさっちもいかない人生だけど。
だからこそ……やらなければならないという『意志』だけは大切にしたいと思った。
「ああ、そういえば五郎ちゃんに言い忘れたことがあったね」
「なに?」
「一ヶ月以内に五十鈴ちゃんを落とせなかったら、罰ゲームとして五郎ちゃんから私にキスをしなさい。能動的かつ熱烈に唇にちゅーしなければならないことにしました」
「…………は?」
「五十鈴ちゃんにはデートという名のご褒美を用意したんだから、罰ゲームとしては妥当だと思うんだけど、どうかな? っていうか、絶対にやってもらうけど」
「……あのさぁ、お姉ちゃん」
「なにかな? 弟よ」
「ぼくが坪倉さんと付き合えなかったら、お姉ちゃんだけ三両得って感じだよね? っていうか……ぶっちゃけ、お姉ちゃん坪倉さんのことかなり好きでしょ?」
「あれで百合的な意味でテンションが高くなければなー……と、常々思ってるよ。五郎ちゃんも私と同じ感想なんじゃない?」
「おおむね当たりだね……まぁ、無理だと思うけど、頑張る」
「頑張れよ、男の子」
にひひ、と悪戯っぽく笑って、美恵子はいつも通りに五郎の手を握る。
なんとなく苦笑を返して、五郎は美恵子の手を握り返した。
頑張っても無駄だし。
頑張っても駄目だろう。
そんなことはとっくに分かり切っていたけど、それでも決めた。
かくて、戦いは始まる。
姉貴にかかればこの世のほぼ全てのヤンデレが失格になってしまうのだが、
それならそれで自分がその『真のヤンデレ』とやらを描写してみようと試みた。
……開始四百文字で挫折した。百合を落とす小説よりなお難しかった。
周囲に迷惑をかけず、包丁も振り回さず、己でヤンデレを完全制御した上で、
恋愛対象を爪先から髪の毛まで愛する。ヤンデレが仮にバレてしまっても、
その時にはもう遅い。恋愛対象も彼女以外見えなくなっていて、二人でズブ
ズブとヤンデレの海に沈む。ちなみに子供も心から愛するそうだ。お互いの
一部から生まれたんだから当然だよね♪ ……とのこと。
ヤンデレについて理解が薄い人間がそれを描写するのは不可能だった。
ヤンデレ好きな人も、描写は是非やめておくべきだろう。
包丁振り回してるスタンダードなヤンデレの方が、心へのダメージは少ない。