第一話:シスコン、土下座をする
姉貴が『その層は少数派だよ』と残念そうに言われはったので描いた。
後悔はちょっとだけしてる。
この関係は……どんな媒体にしようが描写が面倒くさい。
お姉ちゃんに、ごろうちゃんくんかくんかって言われる。
時々、しにたくなる。
坪倉五十鈴は途方に暮れていた。
坪倉五十鈴は百合である。女の子が大好きな女の子である。
女の子を愛し、女の子に恋し、あらゆる暗黒面も好ましく思う。
そういう……まぁ、ぶっちゃけると、ガチレズだった。写真部に所属し女の子の写真を撮影し売りさばくのも、趣味と実益が織り成せる業だった。
かといって、男を根本から否定しているわけではない。口ではああ言ったものの、ムカつくしキモいが、生物として存在しているのだから仕方ないという諦観はある。
しかし、男が大嫌いなのは、もう色々と仕方がないと思っている。
(っ……確かに、私のやったことは褒められたことじゃありませんけども!)
なんなんだろうか?
どうしてこうなってしまったんだろうか?
昼休みにちょっとしくじっただけ。あの程度のミスなら何回もやって、その度に脅迫して解決してきた。今回は脅迫が通じなくて、石村未来が口を挟んできて……それで。
「口裏を合わせるだけでいいんだ……お願いします」
それでどうして、男に土下座されるようなことになっているのか?
放課後。夕日が差す空き教室で、五十鈴は土下座されていた。
眼鏡に短髪。顔立ちは少しだけ可愛い。男子にしては細くて貧弱な体つき。敬愛する生徒会長の弟で……植草五郎という男に、土下座されていた。
彼の必死だった。……必死で、なにかを訴えていた。
「ぼくにできることなんてほとんどないけど……なんでもするから」
「……とりあえず、頭を上げてください」
五十鈴に言われて、五郎はようやく頭を上げた。
苦虫を噛み潰したような渋面だったが、その目には決意の光があった。
(なんで頭下げてる側が嫌そうな顔してるんですかねぇ……)
なんとなく不満はあったが、元より五十鈴に選択肢などない。石村未来とは顔見知りでギブ&テイクの間柄でもあるのだが、今回のことは相当頭に来たらしく、脅迫の仕方に手心がまるでなかった。
もちろん、未来には退学クラスの弱みを握られているが、同じように五十鈴も未来を退学に追い込めるだけの弱みは握っている。……が、五十鈴にも逢引を邪魔して悪かったという程度の罪悪感はあった。
脅迫に乗った方が利益も出るし、悪いことなど何一つないのだが……。
「口裏を合わせるって……なんでですか? 別に、五郎さんは私と付き合いたいってわけでもないでしょう? それなら噂になったりしないように、大人しくアルバイト感覚でこの空き教室で一ヶ月ダラダラすればいいだけじゃないですか?」
「……理由は……その、あんまり言いたくない」
「理由が言えないのなら、お断りします」
「………………」
沈痛な面持ちで、五郎は大きく溜息を吐いた。
がりがりと頭を掻き、そして、真っ直ぐに、五十鈴を見つめた。
「……誰にも言わないって約束できるなら、話す」
「確約はできません。なぜなら私は人間だからです。うっかりポロッと言ってしまうかもしれませんし、他人のことなんてどうでもいいと思っています」
「お姉ちゃんの話なんだ。……この話は取引の材料で『情報提供』でもある。ぼくにとっては身内の恥で秘密だ。それを踏まえた上で、聞きたいなら話す」
「……今の発言は撤回します。お姉さまの話なら、確約しましょう」
他人のことなどどうでもいいが、憧れの女性のことなら、話は別だった。
姿勢を正して、五郎は正座をする。
「正直、五十鈴さんにとっては……嫌な話になると思う。嫌な話というか……幻滅するような話だと、思うんだ。ぼくとしてもあんまり他人に話したいことじゃない」
「ふん……ずいぶんと舐められたものですね。仮にあなたとお姉さまが肉体関係にあろうとも引かない自信がありますよ、私は」
「ねーよ。殺すぞ」
なぜか『姉』のことになると異様にキツくなる五郎は、ゆっくりと息を吸う。
そして、五十鈴を見つめながら、きっぱりと言った。
「ぼくのお姉ちゃんは、尋常じゃないブラコンなんだ」
その目には悲壮感すら浮かんでいた。拳を握り締めて、五郎は語る。
「学校じゃ優等生然としてるけど……家に帰ると酷い。いや、酷いなんてもんじゃない。べたべたしていない時間の方が少ないくらいなんだ」
「……あれ? なんですかそれ? 自慢? 自慢ですか? 殺しますよ?」
「自慢じゃない。坪倉さんにとってはそう聞こえるかもしれないけど……こっちは本当に切実なんだ」
「…………むぅ」
おふざけなどまるで含有していない、真剣な目付き。
沈痛な面持ちのまま、五郎は言葉を続ける。
「ぼくはまぁ……シスコンではあるけど、確かに気持ち悪く度を超えたシスコンではあると自覚はあるけども。それでもお姉ちゃんに人の道を外れて欲しいとは思わないし、延々とぼくに懐かれても困るんだ。スットコではあるけど、ぼくにも人生ってもんがある」
「分かりました。お姉さまのことは、私が引き受けましょう! 表面は素敵な生徒会長を振舞いつつ、中身が弟にデレッデレとか最高に大好物ですからね!」
「死ね」
養豚場の豚を見るような目つきで五郎は五十鈴を睨みつけ、暴言を吐いた。
言い過ぎたと思ったのか、五郎は少し赤面して咳払いをして、言葉を続ける。
「まぁ、それはともかく……ぼくが、誰かとお付き合いをするようなことになれば、それもましになると思うんだよ。少なくとも今よりは現状は改善すると、思う」
「それだと、私がお姉さまに恨まれてしまうのではありませんか?」
「ぼくのお姉ちゃんは、愚痴は吐くけど面と向かって恨み事を言うような人じゃない。そこもまぁ……心配っちゃ心配な面だけどさ。意外とストレス溜めこむから」
さくりと、五十鈴の胸に突き刺さるようなことを、平気な顔で吐く五郎だった。
愛情と忠誠心で負けた気がして、五十鈴は口元を引きつらせる。
(話は分かりましたし……意外と普通の悩みですね)
要するに、姉から自立したいと、そういうことなのだろう。
五十鈴にとっては憧れの人の意外な一面が知れたので満足だし、もちろん幻滅などしない。その程度の覚悟で追っかけなどやれるわけがないと五十鈴は思っている。
そして、植草五郎という少年についても、少しだけ分かったことがある。
(嘘が吐けないタイプの……典型的な、情けない男ですね)
自信なさげな表情。目線は常に逸らし気味。姉のことになると過剰反応するが、それ以外は基本的におどおどしている。運動はできそうにない感じだし、頭が回りそうにも見えない。五十鈴があまり好きではない……愚鈍そうな男だった。
(確かにお姉さまは正面向かって恨み事を言う人ではありませんが……それは正面向かって言わないだけで恨んでるんですよね。私としては恨み事になるのは、避けたい)
少しだけ悩み、五十鈴は思い付いた策を口にする。
「そうですね……五郎君の悩みは、よく分かりました」
「じゃあ……」
「とはいえ、いきなり昨日の今日で『この人とお付き合いが始まりました』というのはいささか早計に思えます。個人的には『好きな人がいる』くらいの表現に留め、徐々に様子を見た方が良いのではないでしょうか?」
「それはもうやった。今まで以上にべったりくっつかれた」
「私じゃなくても、五郎君が適当に恋人をデッチ上げれば済む話なのでは……」
「無理だし、適当にデッチ上げた人にもしもなにかあったら心が痛むじゃん?」
「私なら心が痛まないとでも言うのですか!?」
「ナイフで脅しつけてくるような女がどうなろうと知ったこっちゃないと思うよ?」
「くっ……この男、愚鈍そうな顔してなんつう悪辣なことを考えてやがりますか!」
「坪倉さんだってさっきから、なんとかお姉ちゃんの不評を買わないように行動してるじゃん。おあいこだよ。……大体、それ言ったらもう手遅れだしね」
「手遅れ? なにが手遅れなんですか?」
「ウチのお姉ちゃんは一度嗅いだ匂いは絶対に忘れないんだよ。犬並とは言わないけど滅茶苦茶鼻が効くんだ。……ぼくと坪倉さんがこうやって会っている理由を聞かれても、ぼくは馬鹿だから、すっとぼける以外に上手く誤魔化す自信はないね」
「…………っ」
曰く言い難い、底知れぬ深く黒いものを感じて、五十鈴は思わず喉を鳴らす。
五郎がハッタリやブラフが言えないタイプなのは見てて分かる。
愚鈍で馬鹿だからこそ、彼にまとわりついているものの異常性が際立っていた。
(お姉さまもなかなか業が深い……しかし、これのどこがいいんでしょうかね?)
上から下まで観察してみるが、どこからどう見てもさえない男にしか見えない。顔は美恵子に似て可愛い系かもしれないが、それだけだ。
ついでに言えば、情けない男ではあるが、悪辣ではあった。
「んー……話を聞けば聞くほど、凄まじく面倒なことに巻き込まれつつありますねぇ」
「だから、昼休みの時に『利用する』って言ったじゃん」
「あの言葉をそのまま受け取る人はいないと思いますけど……まぁ、いいでしょう。要するに、五郎君が姉離れできれば、あるいはお姉さまが弟離れできればいいわけですからね。色々とやりようはあります」
勝利条件は二つある。一つが面倒なら、もう一つに着手すればいいだけだ。
口元を緩めて、五十鈴は言った。
「例えば……まずその『お姉ちゃん』という呼び方を変えてみてはいかがですか?」
「なんか意味あるの? それ」
「呼び方を変えることで意識を変えるんです。男性だって『僕』よりは『俺』の方がなんとなく頼りがいがある感じがするでしょう? 意味は全く同じでも、言葉を変えることによって印象がガラリと変わるのが日本語の面白いところです。印象を変えて、徐々に姉離れしていくように自分を仕向けていくのです。粗雑に姉貴などと呼んでもいいのです」
「………………」
「あと、懐かれても振り払う。うざったそうにする等々、甘えるんじゃねぇよ的な態度も必要でしょう。強い態度に出れないなら、徐々に接触を減らしていくのも手です。お姉さまに、『俺は一人の男なんだ』という所を示していく必要があると思います」
「………………」
「あの……さっきからポカンとしていますが、相槌くらい打ってもいいんですよ?」
「いや、まともな意見が出てきたからびっくりしただけ。てっきりお姉ちゃんにまとわりついてる、夢見がちなクソレズかと思ってたから」
「誰がクソレズですか! レズじゃなくて百合だし、クソを付けないでください!」
「いやぁ、同性愛は否定しないけど、下着とか要求してくるのはクソレズでいいんじゃないかなって思うんだけど……」
「下着を要求したことはありませんよ!」
「じゃあ、要らないの?」
「………………えっ?」
「やっぱりクソレズじゃないか!」
「騙しましたね! よくも純情な乙女心を弄びましたね! シスコンのくせに!」
「どこが純情な乙女心だ! 邪な上に変態じゃないか!」
「好きな人の下着が欲しいっていうのは、変態的かもしれないけど人間として当然のことでしょう!? 考えたことがないとは言わせませんよっ!?」
「ないよ」
「ないわけないでしょう!? 嘘を吐くんじゃありませんよ!」
「いや、ないから。装飾華美な布切れに萌えたことなんて、ただの一度もないね」
「下着を装飾華美な布切れと言いやがりましたね……っ。それじゃあ、五郎君はどういうものに萌えるんですか? まさか『姉にしか萌えない』とかじゃないでしょうね!?」
「そんなわけないだろ。強いて挙げれば、着物とか、素っ裸とか、かな?」
「それはそれで業が深いんじゃないですかねェ……?」
「じゃあ、どういうのが正常なのさ? ウチのクラスの如月っていうエロ野郎は、背が高いのかおっぱいが大きいのが良いって言ってエログラビアとか教室で平気で見ちゃう奴だけど、ああいうのが正解なの? 恥ずかしいし、ぼくには無理だよ?」
「……うーん」
真面目に切り返されるとは思わず、五十鈴は思わず考え込んでしまった。
(というか……正常も正解もないんですけどね)
同性愛だろうがシスコンだろうが巨乳派だろうが、エロスというものは人の根幹に深く根差すものである。どう足掻いたところで結局は『性欲』という大海に流れ着く。
何が好きか嫌いかで正解だのなんだのを言い争っても、全く意味がないのだ。
とはいえ、『業が深い』とうっかり言ってしまったのは事実だ。ここで『正解がない』などと言っても五郎は納得しないだろう。
仕方なく……今月販売予定の写真をいくつか鞄から取り出し、並べてみる。
「なにこれ?」
「マイ・フェイバリット美少女写真です。今月撮ったばかりの最新作ですが……まぁ、この中の誰かに萌えられれば正常なのではないですか? そこそこ売れてますし」
「へぇ……こんなのが売れるんだ」
「こんなのとは失礼な! グラビアやアイドルと違って見に行こうと思えばすぐに見に行ける上、粒ぞろいばかりですよ! 私のオススメはこの卯月水面ちゃんですが……」
「へぇ、卯月さん人気あるんだ……でも、水無月君に惚れてるし、ぞっこんっぽいから他の男がアタックかけても無意味なんじゃないの?」
「な……ならば室町先輩はどうでしょう? 良いチチしてますよ?」
「室町先輩、ソフトボール部のマネージャーの男子と付き合ってるでしょ? 他人の女のチチに興味はないよ」
「副会長とかすごいですよ! 清楚系の美人でお譲様ですから! 会長の懐刀なんですから弟さんともなれば、面識もあるでしょ!?」
「面識はあるけど、男の外見と成績で露骨に態度変えるからなぁ……そのくせ他人に嫌味言うくせに、言われると滅茶苦茶怒るしさ、正直嫌いだな」
「外見が可愛けりゃいいでしょうが! 可愛いだけじゃご不満ですか!?」
「ご不満というか、ぼくの好みじゃないだけなんだけど……」
「それとも、お姉さまみたいなのが好みですか? あんな上モノ、そうそういるわけないでしょ?」
「人のお姉ちゃんを上モノ言うなや」
そこはしっかりと釘を刺して、五郎は写真をじっくりと検分していく。
その目は真剣そのものである。
「んー……とりあえず、三分類くらいにしてみるか。……お、これはなかなか」
「真剣過ぎるでしょ。ぶっちゃけ引きますよ?」
「根腐れ百合女がゆ●ゆりとか読んでる時と同じくらい真剣でなにが悪い」
「根腐れてませんしほのぼの百合漫画でそんな真面目くさった顔するわけないでしょうが! いくらなんでも百合というジャンルを馬鹿にし過ぎでしょ! 百合はなんていうか、精神的な繋がりを大事にするんですよ!」
「それは、百合だろうがホモだろうが普通の恋愛だろうが、全部同じじゃない?」
至極もっともなことを言いながら、五郎は写真を次々とめくっていく。
三分類と言ったわりに、ほとんどが彼の好みからは外れるらしく、自信のある写真でも容赦なく切り捨てられ分類4……つまり、問題外に積まれていく。
(ぬぐぐ……な、なんかこれはこれで異様に悔しいですね)
五郎の趣味が他の人間と違うと言ってしまえばその通りだが、売れている……需要がある写真に限って少し首を捻って、しばし考え込んでから分類2に入れたりする。
結局、五十枚中、分類1が二枚、分類2が三枚、分類3が一枚。残りが全て分類4という惨憺たる有様であった。
「よし、こんなもんかな」
「個人的な趣味があるとはいえ……厳選したものをさらに厳選されると凹みますね」
「萌えられる写真があったから、ぼくも正常の枠に入るよね?」
「…………えっと」
「なんで目を逸らすの?」
「黒髪ロング萌えは分かるんですが、全員前髪ぱっつんは……お姉さまを彷彿とさせる感じで、業の深さというか、シスコンが至る所にまで侵食しているようで……その……」
「………………」
五郎の顔は真っ青だった。なにやら思う所があったらしい。
がしがしと頭を掻いて、大きく息を吸い、吐いて、目を細めて写真を検分する。
そして、不意に体育座りになった。
「……うわぁ……ぼくって、思った以上にマジで気持ち悪い奴だったんだ……」
「さっきから自分で言ってたじゃないですか」
「いや、自覚してるかしてないかって意外と重要なんだよね。女性の好みに姉が密接に食いこんでたとか、マジで死にたくなるレベルの気持ち悪さだよね……死のうかな」
「お姉さまならある程度仕方ないですよ。最初に見た時『うわっ、可愛い!』って思いましたもん。完全敗北は慣れたもんですが、アレになら負けても仕方ないって思うくらいでしたからね。……まぁ、死にたいなら死ねばいいと思いますよ?」
「やっぱりいいや。ぼくは気持ち悪いかもしれないけど……落ち込んでる人間に死ねって言ったり、他人の迷惑省みず盗撮したり女の子に興奮するクソレズよりましだよね」
「そろそろぶっ飛ばしていいですか?」
「嫌だよ」
しれっと言い放ち、五郎は口元を緩めた。
笑っているのか呆れているのか、よく分からないが気分は良くなったようだった。
厳選した六枚を写真の山に戻して、五郎は口を開いた。
「まぁ……いいや、逆に考えよう。好みなんて、これからいくらでも探していけばいいしむしろ今、ここでシスコンの片鱗を指摘してもらってラッキーだったんだ」
「いやいや、礼には及びませんよ。写真を一枚買っていただければそれで……」
「いくら?」
「お? 買っていただけるんですか? 一枚三百円です。十枚セットなら三千円で、チョッピリ際どい写真が付いてくるオマケ付きです」
「ん」
五郎は携帯でパシャリと五十鈴の写真を撮った。
「…………は?」
五十鈴が唖然としていると、五郎は財布から五百円玉を取り出して五十鈴に渡した。
そして、口元を緩めて意地悪っぽく笑った。
「よし、これでオッケー。携帯の待ち受けにしておけばいいんだよね?」
「ちょ……な、なにをしているんですか?」
「よく分からない風習だけどさ、彼氏って彼女の顔を待ち受けにするらしいよ?」
「誰が彼女ですかっ!?」
「さっきも言ったけど口裏だけ合わせてくれればいいから。どうせこのまま帰ったらお姉ちゃん……姉さんに速攻でバレるし、覚悟だけ決めてもらえると助かるんだけど」
「嫌ですよ! そもそも、あなたがシスコンから脱却すればお姉さまも自然とブラコンから脱却しますよ! あなたが甘やかすからお姉さまも甘えるんでしょうが!」
「まるで見て来たかのように言うね……でも、まごうことなき事実だね。これからもアドバイスよろしく」
「よろしくしませんよ!?」
「あ、もう時間か。彼氏彼女なら一緒に帰らなきゃいけないんだろうけど……初日だし石村さんも大目に見てくれるかな? んじゃ、ぼくは帰るね」
「待てコラ! 待ちなさい! 人の話を聞けェ!」
「一緒に帰るの?」
「違います! そうじゃなくて一人でサクサク話を進めるんじゃありませんよ! まず、口裏を合わせるって時点で了承してませんし、人の写真を勝手に携帯の待ち受けにするんじゃありません!」
「了承しようがしまいが、今日からどうせ帰宅時間が遅くなるんだから、姉さんの勘が鋭かろうがなんだろうが遅かれ早かれ、毎日続けば絶対にバレるでしょ。なら、今バラしても同じことだよ。待ち受けは説得力を増すためのものだし、普段他人の写真撮って勝手に売ってるのに自分が嫌ってのはおかしいでしょ? 写真はお金払って買ったものだし文句は言わせない。……というか、そもそも五十鈴さんに石村をどうこうできる逆転の秘策があるんなら、ぼくは大人しく身を引くけど?」
「せいやぁ!」
「ぐげっ!?」
ぐぅの音も出なくなった人間がなにをするのか、五郎はよく知っていたがまさかここでそれが出るとは思っていなかった。
五十鈴が繰り出した拳が、五郎の腹を打つ。痛みはそれほどでもないが、驚いて思わず尻もちをついた。五十鈴はそれを見逃さずに容赦なく五郎を床に押し倒す。
いわゆる、マウントポジションである。
このまま放っておくと拳が振ってくると察知した五郎は、拳を封じるために五十鈴の手を掴んだ。五十鈴も反射的に掴み返す。両者が互いの向き合う手をつかみ合った状態で押し合う……いわゆる、手四つの状態になった。
渾身の力を込めながら、五十鈴はこめかみに青筋を浮かべて叫ぶ。
「そんな便利な秘策があるんなら最初から使ってますよ! それはそれとして私はぐぅの音も出ない正論を吐き散らかす野郎が大嫌いです! 死にさらせ!」
「正論じゃないしぼくが納得してると思ったら大間違いだぞコラァ! 今だって仕方ない仕方ないって、自分に言い聞かせて無理矢理諦めてるだけだからな!」
「クソ根腐れ百合ババァが彼女役で悪ぅございましたねぇ!」
「ババァとも坪倉さんが悪いとも言ってないだろ! むしろ口実にして悪いと思ってるし引いてるのにアドバイスくれてありがたいとも思ってるよ!」
「ぬっ……ぐっ……」
五十鈴は少しだけ怯んだ。確かに今の状況、石村未来に脅迫されているのは五郎も五十鈴も同じなのだ。五郎はシスコンから脱却するという、切実な理由のために今の状況を利用しているというだけで、置かれている立場は五十鈴と変わりない。
どのみち、五郎と名目上『付き合う』ことになった時点で、憧れのお姉さまから嫌われることは確定する。それが嫌なら退学だ。さすがの五十鈴も退学は嫌だった。
目を逸らさず、五郎は切迫した口調で言葉を続けた。
「本当はさ、坪倉さんの好意を踏みにじるような真似はしたくないさ。百合だろうがなんだろうが、誰だって好きな人に嫌われるのは嫌だし、振り向いて欲しいと思う。……でもね、形振り構わなくなる程度には、僕も限界なんだよ。高校在学中にお姉ちゃんに彼氏ができたり、友達付き合いが忙しくなったり、そういうことを期待してたのに」
「……えっと、限界とは具体的に?」
「人間抱き枕」
その一言で、五郎がいかに限界かよく伝わってきた。
抱き枕とはあくまで枕である。人間は枕ではない。枕にしてはいけない。
それはある種の禁則であり暗黙のルールである。どう考えても『限りなくアウトに近いアウト』であり、つまりアウトである。
疲れたように溜息を吐き、五郎は五十鈴を見つめた。
「そろそろ、どいてくれない? このままだと帰れないんだけど……」
「一つ聞かせてください」
「なに?」
「私には、お姉さまがどうしてあなたにそこまでするのか分かりません。なにか心当たりはありますか? 甘やかしている以外に……決定的なイベントでなにかしたとか」
「一切ない。……ただ、唯一納得できた敵の言葉がある」
にやりと……追い詰められた人間特有の卑屈な笑顔を浮かべて、五郎は言った。
「下等生物を侍らすのは……きっと、心が安らぐんだろうね」
そうは言ってみたが、実際の所、五郎は限界など感じていなかった。
限界はない。あるのは深淵だ。深淵をひたすら歩むことなど今更苦ではない。
いつだって駄目だった。どこだって駄目だった。
昔も駄目なら今も駄目で……これからも駄目だろう。
だからこそ、植草五郎はやらねばならない。己の意地に賭けて、やらなければならないことを……今、ここで決行することにした。
誰かの好意を、すり潰しながらやり遂げることにした。
そういうわけで、次回に続きますww