風の声 "使者"
「皆、落ち着け! 俺が来たからにはもう大丈夫だ! ハハハ! 大船に乗ったつもりでいてくれぇ!」
あまりに唐突にやってきた青年に、クラス全員が呆気に取られた。
「あっはっは……あー、あれ?」
「君、ちょっとこちらへ」
我に返ったアーシア先生が、その青年を教室の外へ連れ出す。
「なんなんですかあなたは!」
「いや、あのですね、俺は決して怪しいものじゃ……」
「怪しいことこの上ないですよ」
「ゴホン! 失礼、あー…」
「ここの担任教師のハイドベルドといいます」
「あー、ハイドベルド先生、俺は―――」
青年が名乗ろうとすると、耳障りな甲高い警報が鳴り響いた。
「どうしたんだ!?」
青年がびっくりしていると、アーシア先生は教室へ戻っていた。
「皆さん、落ち着いて行動してください。私が先導しますので、後からゆっくり付いて来るように」
生徒を連れて出て来ると、青年に「殿はお任せします」と言って、スムーズに生徒を誘導していった。
「ええ、もちろん。お任せください……」
校庭へ避難すると、エマエルに囁く声が聞こえた。
『あいつ何してるんだろうな』
「へ?」
『さっきの変な奴だよ。後ろから来いってアーシアに言われてたのに、まだ校内に残ってるぜ』
まさか……!
嫌な予感がエマエルの頭を過る。それは不確かで他の人に説明できるようなはっきりしたものではないけど、エマエルにとっては何より信じられる直感だった。
「行かなきゃ!」
校内へ戻ろうと走りだすと、当然のごとくアーシア先生に止められた。
「エマエルさん、どこへ行くのです」
「えっと……あの、さっきの男の人が……」
「ん? さっきの……ああ、殿をと頼んでいたのですがね……仕方ありません、私が見に行きますので、エマエルさんは皆さんとここで待っていてください」
「でも!」
エマエルの今までにない心配や不安の声と瞳に、アーシアは一瞬目を丸くしながらも、今度は優しく語りかけた。
「大丈夫、先生はとても強いですから。何かあっても彼を連れて戻りますよ」
そう言ってエマエルの頭をポンポンと撫でると、アーシアは校内へと向かった。
アーシア先生を見送るエマエルは、どうしようもなかった。確実に何かがいる。何かが起こる。良くないことが、アーシア先生を襲う。それでも、力も知識もないエマエルは、どうしようもなく無力だった。この不安を、予感を、誰か分かってくれる人はいないだろうか。周りを見ても生徒はみんなお喋りに夢中だし他の先生も気にする様子がない。
誰か、助けて……!
「お困りかな?」
澄んだ声に顔を上げると、微笑む青年が立っていた。
「あなたは……?」
「お姫様を助けにやってきた通りすがりの者ですよ」
きちんとした身なりで文句のない容姿、金色の髪は太陽の光を乱反射してキラキラと輝いていた。そして何よりも印象的なその吸い込まれそうな翡翠の瞳がエマエルを捉えて離さなかった。
「あの……旅の人に頼めるようなものでは……」
「大丈夫ですよ、私はあなたとアーシア先生を助けるために、ここへ来たのですから」
「へ……?」
そう優しく微笑むと、青年はエマエルの頭を撫でた。
その暖かな手に、大きな安心感があった。気分は落ち着き、青年に見入ってるエマエルがいた。
「では、行くとしましょう―――」
しましょうか。と言い終わる前に、地鳴りが響いた。
「きゃぁ!」
よろけ転びそうになるエマエルを青年はしっかり抱きとめ、持っている木の杖を前方へ構える。
「どうやら、行く手間が省けたようですね」
校庭の土が盛り上がり、土人形〈ゴーレム〉が現れた。
「まずは小手調べということですか」
青年が「レビテーション」と唱えると、杖の周りに光の球が浮き、ゴーレムに向かって飛んでいった。光に触れたゴーレムはあっという間に吹き飛び、ただの砂へと戻った。
あっという間の出来事に呆然としていると、今度は無数のゴーレムがエマエル達を囲むように現れた。
「どうすれば……」
不安がるエマエルに、やはり青年は微笑み、「大丈夫ですよ」と言った。
青年はスッと立ち上がると、杖を上空へかざす。
「舞え、一陣の風よ」
青年が唱えると、周りだけ突風が吹き荒れ、無数のゴーレムが跡形もなく吹き飛ばされていった。
その圧倒的な魔法力、凛とした姿を見て、エマエルは確信した。
この人はヴェルムだ!
「シロイ村ですか?」
アンジェラは山積みにされた書類を手際良く片付けながら聞き返した。
「ええ、闇森に動きがあったと報告がありましたので」
実験用の魔法薬を準備しながらカイムが答える。
「先生自ら行かれるんですか?」
手際良く軽快に動いていた手が止まる。
「はい。君も行くんですよ」
今度は思わず眼鏡を外してカイムを見る。
「私も……ですか?」
「ここに来てからまだ外に出たことはないでしょう。……ああ、そういえばシロイ村は君の故郷でしたね」
「はい」
「仕事中ですが、少しは時間に余裕があります。一日ぐらいは自由時間がありますから、ゆっくり自然と対話するのも良いものですよ」
「……ありがとうございます……!」
王都アルフェルドの最高研究機関は規則が厳しく、仕事以外での外泊は認められていない。もちろん年末であろうとも帰省は許されていない。それだけ多くの国家級機密を抱えているということでもある。
そのため、こういったまどろっこしい言い方がしばしば使われる。
「ところで、君には妹がいましたね」
「はい、それが何か?」
「今回の保護対象に、妹さんが入ってるみたいでね」
アンジェラは信じられないという顔でカイムの出した一覧表の紙に目を通す。そこには確かにエマエル・ワトソンの名が記されていた。
「どうして……!」
「情けない話ですが、私にも分からないのです。その真偽を確かめるためにも、今回は私とあなたで行くことにしました」
魔法薬の準備が終わり、いくつかの書類にサインをする。
「闇森に、なんらかの関係があることは確かです」
カイムは、厳しい目でアンジェラを見る。
「ただし、本人にこの事は秘密にしておいてください。不安を煽りたくはありません」
「分かりました……」
保護対象とは文字通り保護すべき対象だ。ただ、この機関でいう保護の意味は、王都のみならず、エルミナ全体の事を言う。つまり、エマエルは世界のために保護されるべき存在であると認定されたことになる。
ここから、再会と出会いが物語を動かしていく。
ゴーレムを片付けると地鳴りも止み、いつの間にかエマエルの不安も消えていた。
校舎へ行くと、アーシア先生と謎の青年が一緒に倒れていて、気絶してはいたが2人共無事だった。
「名乗るのが遅れました。私はカイムと申します。連れがいるんですが、今は別件で動いていまして、そちらの紹介はまた改めてということで」
「これはご丁寧に。わたくしはこの学校長を任されておりますカルディア・ゴンザレスと申します。この度はまことに―――」
「堅い挨拶は抜きにしましょう」
村では有名な校長の長話を笑顔でキャンセルした。この地味だがすごい話は、あっという間に村全体に広がった。
「ところで……高貴な御方とお見受けしましたが……」
「ヴェルムですよね!?」
我慢できずに、エマエルは叫んだ。
思わぬ大声に、エマエルは慌てて口を両手でふさぐ。しかし、変わらぬその真剣な眼差しに、カイムは優しく「はい、そうですよ」と答えた。
その光景と事実に、その場の全員が呆然とした。
「さぁさぁ、飲んでください食べてください!」
カイムの前にはありったけのご馳走が並べられた。この村の事情を考えれば贅沢な限りだ。
「……ありがとうございます」
学校での一件のあと、ぜひ夕食をとしつこく誘ってきたため、学校長であるカルディアの自宅へ来たのだが……。
言いたいことはあった。しかし仕事の最中、しかも初日のため、悪戯に印象を悪くして摩擦を作るわけにはいかない。
「先生は素晴らしいご研究をなさっているのですなぁ。さぞ王都アルフェルドで……いや、エルミナ全土でご活躍なされているのでしょう!」
うんうん、と1人で演説に酔っていた。
「ところで」
と、カイムは話しを適当なところで切った。
「行方不明者の件はどうなっていますか?」
その一言に、カルディアの表情は一変した。
「……やはり、そのことを調査に来られたのですか」
先程までのお調子者は影を潜め、学校長としての姿がそこにあった。
「闇森が王都アルフェルドの管理される神聖な場所であることは、あなたもよく分かっているはずです」
「それは分かっています。だからといって何をしても良いわけではないでしょう。どうするおつもりですか?」
ムスッとしていながらも正論だった。
カイムは箸を置き、改めてカルディアの方を向いた。
「調査をした上で、闇森を解放します」
それを聞いて、カルディアは信じられないという顔をした。
「解放するですって!?」
「然るべき調査を行った上で判断いたしますが、上の指示は解放せよとのことです」
「あなたはその指示に従うおつもりか!」
「いえ、私は調査の結果次第では、見送る考えでいます」
一口お茶を飲み、礼をして立ち上がった。
「……行方不明になったのは小さな女の子です」
出て行こうとした足を止め、再び席に戻る。
「詳しくお聞かせ願いたい。村長なども同席の上で。よろしいですね」
カルディアは静かに頷いた。