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虹と精霊の仮面舞踏会  作者: まるあ
一章 求めるは真実を視る能力
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榛は恐怖心と戦う

 この部屋の主人が怒りながら出ていった後も、グラティスは渋柿を食べたような微妙な表情で一人アイリスの部屋に居た。

「……わからない。どこに怒る要素があったんだ?」

 シドの事を聞かれてわからないと答えたからだろうか。

アイリスはシドの側女になる事が決まったらしい。だから、未来の伴侶に興味を持って、俺に聞いたのだろう。

 従兄弟だと言っても、あちらは国に守られている皇太子だ。本当に解らないから仕方がないじゃないか。嘘八百並べて「シドは最高な男だ」とでも褒め称えればよかったのだろうか。

 いや、しかし彼女はシドが向ける視線に恐怖を感じている。実際にさっきもシドの名を口にした途端、瞳が揺らいだじゃないか。



 重いため息を吐きながら、今すぐに金色の兎耳の彼女を追って謝るべきか迷った。

 この雨の中、行く場所は決まっている。アイリスの義父―――ヘルツが居る召喚塔だろう。

 謝って甘い物でも差し出せば、つんけんした態度で照れを隠しながら許してくれるに違いない。

 でも辞めた。

「……雨の中、追いかけるのが面倒くさい」

 それにさっきから胸が少し痛い。早く帰って医者に診せよう。何かの病気の初期症状かもしれない。


 帰るべく本を片づけだしたが、何故だかモヤモヤして手が動かない。視線は片づけるべきの本ではなく、アイリスが出ていった扉から離せない。

『―――バイバイ!』

 彼女のその言葉が、頭から離れない。

 泣きそうな顔で怒っている姿が、頭から離れない。

「バイバイは別れの言葉じゃないか……」

 彼女からそう言われたのは初めてかもしれない。

 なんだか、無性に腹立たしくなってきた。

「せっかくアイリスの為に本を借りてきたのに」

 いや、本を渡すのは口実だ。

 一週間前、両親からアイリスがシドの側女になると正式に聞いて、なんだか彼女の顔を見づらくなった。それで、この場所に来るのを避けてた。

 でも、アイリスの顔を見ないと落ち着かなくてイライラして、とうとう我慢の限界がきた。だから『本』という口実を作って来たのだ。

 幼い頃に伯父から『アイリスを生かせ』と命を受けて、ずっと傍で見守ってきたからだろうか。強くなって良い見本であろうと、良い兄のようになろうと躍起になった。

 彼女が初めて俺の名を呼んだ時は、天に召されるほど嬉しくて、弟の存在を忘れてしまったほどだ。……はっきり言うと、実弟よりも愛情を注いできた気がする。

 実妹ではないけれど、妹の様に大切な存在だと思う。

 今までアイリス優先で事を進めてきた。これからも、そのつもりでいた。彼女の類稀(たぐいまれ)な魔法の才能に負けない様に、彼女に色々な事を教える見本になりたくて学院だなんて面倒な場所に通う事にした。

 ……そう、彼女の為に。

 いずれシドの妻になり、子を生むだろう彼女を助けてあげたくて……。

 学院に通い始めてからも、アイリスの顔を見ないと落ち着かなくて、面倒だけれども遠回りをして毎日のように彼女を見にきた。遠目から見て、元気そうなら声を掛けずに帰る事が殆どだったけれど。



 いつもは機嫌を損ねても、ずっと近くに居た。なのに、今日は「バイバイ」と別れの言葉を口にして俺の前からの脱走だ。

 途端に胸が痛んだ。まるで、いくつものいが栗が胸の中で転げまわっているようだ。

 チクリ、チクリといくつもの針が胸を刺しているほどに痛い。

 痛む胸の部分の服を握りしめて、誰に言うでもなく呟いた。

「本格的に病気かもしれない。……早く帰ろう」

 

 


 本を貰いにくると言う口実を残しておく為に、本はそのままで帰ろうと腰を浮かせた瞬間、両目に電気が走ったような痛みが生じた。

「―――っぁ! アイリスのでたらめ魔法……!」

 アイリスがでたらめな魔法を使うと、不思議な事にこの榛の瞳は痛む。その痛みは魔法の強さに比例していた。

 意識がチカチカして、痛む瞳からは生理的な涙が流れ落ちる。あまりの痛みに脂汗まで出てきているようだ。首筋に汗の流れ落ちる感覚が気持ち悪い。

 今のコレは、尋常ではない痛みだ。となると、大きなでたらめ魔法を使っている可能性が高い。

「アイリスに何かあった……?」

 途端に、この間の葦での出来事がよぎった。

 ―――何かに襲われたと言っていなかったか?

 たしかあの時も、でたらめ魔法を使っていた。今ほどの痛みはなかったから、小さな魔法だったのだろう。

 じゃあ、今は……?

「―――アイリスッ!」

 痛む両目を閉じ、アイリスの気配を追う。

 確かに召喚塔に居たようだ。気配の軌跡とでも言うべきだろうか。彼女の虹色に輝くそれが、召喚塔の最上階に薄く残っている。

「でも、今は居ない。……どこだ?」

 薄い気配を追っても、途中で途切れている。

 この王城の広大な敷地には、彼女の神気にも近い気配が感じられない。

「いない? そんな馬鹿な」

 彼女は胸の刻印があるが故に、この敷地から出れない筈だ。敷地境界に貼ってある結界魔法が、その刻印に反応して彼女を弾きとばす仕組みになっていると聞いた事がある。

 なのに、どこにも気配が感じられないとは……。

「……結界を破って、出ていった……?」

 自分で口に出して、そうかもしれないと、なぜか怖くなった。

 彼女ほどの天才的な魔法の才能があれば、本気を出せば結界くらい破れるかもしれない。

 不意に両目の痛みが無くなっている事に気付いた。痛みが消えたということは、魔法完了を表わしている。

 アイリスとの繋がりが、絆が断たれた。そう感じ、さっきの恐怖が増した。

 居てもたってもいられず、気配を探りながらも足は彼女が最後に居たであろう召喚塔最上階へと向かった。





 召喚塔につくと、塔内は騒然としていた。

 普段はめったにお目見えする事が無い、黒服に金刺繍の召喚塔幹部達がなぜか王家直属の騎士団と先を競うように、激しい嵐の外へと行こうとしていたのだ。

 グラティスは見知っている幹部の一人を捕まえると、どうなっているんだ、と問い詰めた。

「ア……ああ、グラティス様。騎士団よりも先に召喚士長様の姫を保護しなくては。皇妃様が……!」

「何を言ってるのか、意味がわからない」

「皇妃様より、皇妃様の騎士団を使っての虹姫討伐の命が出ております。早く保護しなければ取り返しのつかない事に……!」

 黒服の幹部は、雨除けの魔法をその身にかけると、なおも問い詰めようとするグラティスを振り切り嵐の中に吸い込まれて行った。

「……討伐?! なんて事だ」

 グラティスは状況が飲み込めずに、些か混乱しながらも召喚士長の執務室へと震える足を動かした。

 ゆるりとした歩みは次第に速度を増し、今は走っている。久々に走った事で直ぐに息が上がり、苦しくなったが、それでも足は止まらない。

 同時に、頭の中で考える事も止まらない。



 皇妃の騎士団が討伐に動いた。それはつまり、皇妃は本気でアイリスの命を狩ろうとしているということだろう。

「でも、なぜ皇妃様が……?」

 解せない。

 皇妃はアイリスを可愛がっているように見えたのに。アイリスも、皇妃を第二の母のように慕っていたと思う。

 それなのに、何故だ―――?

 どちらかと言えば、アイリスを狩ろうとしていたのは皇帝の方だと思っていた。だが『アイリスを生かせ』と言っていた以上、それはあり得ない。第一、彼女を皇太子の側女に命じたのは皇帝だ。

 アイリスに精霊の加護付きの次代の王を産み落としてもらい、複雑に歪んでしまったこの国の王位を正したいと思っての命令だと思っていた。

 だから、皇帝がアイリスを手にかけるなんてありえない。



 色々考えている内に、ヘルツの執務室の前についていた。

 いや、正確には扉を蹴破っていた。どうやらグラティスは我を忘れて扉を魔法で破壊してしまったらしい。

 中にはヘルツが扉を破壊した人物に反撃を与えようと、杖を構えてグラティスに向かい氷魔法を放つところだった。

「グラティス様……?!」

「ヘルツ! アイリスがこの敷地のどこにもいない。いつもより強大なでたらめ魔法を使って移動しているはずだ。お前ならわかるだろう? アイリスはどこに行った?!」

 魔法を霧散させたヘルツの胸倉を掴むように、グラティスは詰め寄った。 

 本当は何があってこんな状況になったのか聞きたかった。けれど、今はそんな事よりも、忽然と気配を消したアイリスの行方が知りたかった。

「アイリスの気配がどこにも無いんだ。もしかしたらと思って、結界外で俺の探せる範囲、……この国中を探したけれど見つけれない。アイリスが通った軌跡すらない」



 魔力の気配が忽然と消える理由は二つある。

 一つは、自身で気配を消す能力を身につけていて、意図的に消した場合。

 もう一つは、この世から消えた場合―――。

 前者は魔法を正式に習っていないアイリスにはできない筈だ。グラティスにもできない芸当である。

 後者に考えが至ったグラティスは青ざめながら、アイリスを娘として育ててきたヘルツを見上げた。その顔には苦渋の色が浮かんでおり、グラティスの心の中に潜む得体の知れない恐怖心をあおった。

「まさか……もう……」

「グラティス様! (げん)には言霊が宿ります。それ以上は言われなきよう。……結界は破られておりませんし、誰一人通過しておりません。アイリスは姿を消す前に、移動魔法を使おうとしておりました。あの魔力の集まり具合から推察するに、おそらく人の手が及ばない場所に転移したのだと……」

「人の手が及ばない場所……?」

 何だそれは。後を追って探す事ができないじゃないか。

 第一、何でそんな場所に行くことになったんだ。

 そこで先ほどヘルツが言った言葉が引っ掛かった。まるで近くに居たような言いぶりではなかっただろうか。

 動揺している場合ではない。ここに来る前に皇妃の騎士団が討伐に動いていると聞いたばかりではないか。時間が無い、急がなければ。

 自分を叱咤して恐怖心に震える心を落ち着かせて、榛の瞳に力をこめ自身よりも背が高いヘルツを見上げた。

「ヘルツ、アイリスが居なくなってから、皇妃様が自身の騎士団をアイリス討伐に動かすに至った理由を話せ。俺は、皇帝様より『アイリスを生かせ』と命を受けている。嘘偽りなく、王命だと思って答えろ」

 

 

 

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