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虹と精霊の仮面舞踏会  作者: まるあ
一章 求めるは真実を視る能力
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敵は思わぬ場所に

「グラティスなんて知らないんだから!」

 憤りを表わすかのように、荒い足取りで家の隣にそびえたつ召喚塔を進む。その後ろ姿は、金色のツインテールが歩くたびに動き、金色の兎のようだ。

雨に濡れて、彼女の金の髪はその心を表現するように鈍い輝きを放っている。


 召喚塔の中に入ると、真っ先に義父の執務室に向かった。だが―――

「えっ? お父さんいないの? むぅ、残念……」

 留守を告げる職員に、不満を隠せない。モチのように頬を膨らませるアイリスの相手をしているのは、天井まで届きそうな身長をもつ義父の助手リムドだった。

 リムドは二十代中盤を思わせる顔立ちで、高身長とやや太い体格に太い眉。それに見合った大きな声が特徴の青年である。大声を出すと、この塔の最上階まで声が聞こえると噂があるらしい。

「すまないね、ついさっきまでいたんだけど。皇妃様の呼び出しがあって、城の方に行ってるんだよ。もうすぐ帰ってくると思うから……待ってるかい?」

「うん! リムドさんも一緒に待っててくれる? 一人だとつまらないし」

 目の前にそびえたつリムドの服をつんと引っ張りると、胸から懐中時計を取り出し困った表情を浮かべた。

「うう~ん……。今日は時間が無いんだよ。……そうだ、特別に俺の精霊を貸してあげよう」

 そう言うや否や、指を弾くと、桃色の光をまとった手乗りサイズの人形猫耳精霊が現れた。指を弾くだけで精霊を呼ぶだなんて、アイリスにはできない芸当だ。さすが召喚塔の研究員である。

 桃色の精霊は猫耳を動かしながら、アイリスを視界に入れると鷹揚に礼をした。

「あらぁ? 姫様じゃないですかぁ。ご機嫌麗しゅうございます~」

「だから姫様じゃないってば……! なんで精霊って私の事を姫って呼ぶの」

「姫様は私たち精霊の姫だからですわ。ふふふ。そうそう、カイムが喜んでましたわ~」

 猫耳を触りながら、のびやかな声でカイムの名を出され、この精霊とカイムは知りあいだったのかと少しばかり驚いた。でも、ついさっき名前を縛ったばかりだと言うのに話が早い、と、そっちの驚きの方が大きかった。

「姫様の傍に近づく事ができる精霊は、数えるほどしかいないんですもの。力の無い精霊は殆どその刻印で排除されてしまいますし、姫様の世界は狭いんですもの~。だから旧知の仲の者が殆どですわ。私もカイムのように、姫様に名を呼んで貰いたかったですわぁ」

 桃色の精霊は細い顎に手を当てながら顔を傾けて、細い瞳孔が見える緑の瞳を細めて、甘いため息を吐いている。それをリムドが咳払いをしてたしなめている。

「こらこら。……そういえば、アイリスは精霊を手に入れたのかい? 名前は呼ばない主義とか言ってたから、今の話を聞いて驚いたよ」

「……一身上の都合により呼んじゃったと言うかなんというか」

 何だそれは、とリムドが豪快に笑いながらアイリスの金の髪を撫でまわした。

「精霊は、名を呼んでこそ心を通わせる事が叶う者達だ。名を呼んで欲しいと乞われたのなら、呼んでやればいい。アイリスも、自分の事を名で呼ばれた方が嬉しいだろう? 名を呼んでもらえればそれだけで嬉しい時もあるもんだ。精霊は友達だから名前で縛らない、って垣根を作ってたら好意を踏みにじる事もある。使役は縛るもんじゃない。よりお互いを知るための契約だ」

 スポンジに水を吸い込んだ時のように、アイリスの心の中にその言葉がしみ込んだ。

(確かにそうだ。精霊達にはアイリスと名を呼ばせて、私自身は呼ばないなんて)

 なんてわがままを言っていたのだろう、これからは望まれたら名を呼ぶ事にしよう、そう考えた。

 アイリスが神妙な顔つきで首を振るのを見届けたリムドは、懐中時計を再度確認すると慌ただしく走って行ってしまった。




 雨の降る音が静かな部屋に響く中、桃色の精霊は同色の尻尾を揺らしながら、大きめの口を弧に描きアイリスを見た。

「姫様ぁ? 何をして遊びましょうか。この雨だと、いつもの鬼ごっこは無理かなと思うんですの。……隠れ鬼なんてどうかしらぁ。制限時間は召喚士長さまが戻られるまでで。私が鬼になりましてよ?」

「いいよ。逃げる範囲はこの塔の中でいい?」

「はい~。それでは、お逃げくださいね。十数えますよ……いーち……にーぃ……」

 瞳を閉じた桃色の精霊は、その敏捷性のある尻尾をメトロノームのように振りながら数を数え始めた。

 アイリスはどこへ行こうかと逡巡すると、行き先を決めた。今日行く場所は……屋根裏補修用のはしごか魔法が無ければ行く事ができない塔の屋根裏にしよう。そこの出っ張った天窓は雨でも外の世界が見える、とっておきの場所である。

 右手に魔力を集中させ、一度行った場所なら行ける簡易移動魔法を発動した。

 迸る魔力に瞳が反応し、金色に染まるのがわかる。桃色の精霊も数を数えるのを忘れて、魔力に反応し閉じていた瞳を開けてアイリスに魅入っていた。その表情はアイリスの魔力に酔ったのか金色の瞳に酔ったのか、尻尾は項垂れて両手を胸の前で組み、頬を赤く染め上げ恍惚としている。

 アイリスはその表情を視界に入れながら、天窓のある屋根裏へと移動した。




 風圧で舞い踊る綿ぼこりと、閉鎖された故のカビ臭さがアイリスの登場を歓迎した。

「うわっ……! クモの巣っ……」

 そして、今は主人が居ないクモの巣も、金色の瞳の彼女を歓迎した。

 アイリスは顔に掛かったクモの巣を手で取ると、顔を思いっきりしかめて不快を露わにした。

「最近来て無かったから、クモの巣が多いな」

 今度来る時はモップ持参だ、と独り言も呟いた。

 アイリスは雨が打ちつける天窓に近づくと、そっと遠くを望んだ。

 出っ張ったこの部分に顔をのぞかせれば、さすがに高層の塔の最上階だけあって街の様子が一望できる。

「あ、グラティスが言ってた精霊がたくさんいる神殿ってあそこかな。あそこだけ雨なのに光っててきれい……」

 黒雲が立ちこめ、薄暗い街に淡い光を放つ建物を発見した。

 様々な種類の精霊が居るのか、淡い光の種類も緑、青、黄など数多である。いつまで見ていても飽きない程幻想的である。

 過去にこの場所から街を見下ろした事は何度もあるが、その時は今の様な感動はなかった。やはり、外に憧れを抱いているからだろうか。

 グラティスの通っている学院はどこだろう。そう思い、アイリスは、つ、と視線を巡らせた。

 ぐるりと見回してもそれらしい建物は解らない。尖った建物、丸い屋根の建物、細く天に伸びるように建つもの、様々な種類を見まわし僅かな知識を総動員しても、どの建物が何に使われているのか想像もつかない。

 行こうと思えば行けるはずの距離なのに、胸に刻まれた印が邪魔をしていく事は叶わない。王城の敷地にはこの刻印に反応する結界がはってあるから。

「……コレがあるから外の世界に行けない」

 空しさがこみあげ、胸の上をギュっと握りしめた。



 雨が振って霞んで見える街を、どれくらいの間見ていただろう。

 アイリスは階下から響いてきた金切り声の様な怒声に気付き、ハッとした。

 階下からはアイリスの見知った声が聞こえてくる。

 アイリスを育ててくれている義父と、アイリスと同じ金の髪が眩しい皇妃である。

(ああ、そういえば……皇妃様に呼ばれたって言ってたっけ。この下の部屋に居たんだ)

 金切り声の様な大声は皇妃のものだろう。たいそう怒っているのが窺える。義父は何を言っているのか、くぐもっていて何を言っているのか聴き取る事ができない。

 盗み聞きはしてはいけない事だとわかっている。けれど、アイリスは二人が何を話しているのか気になって、耳を埃が舞う床に付けた。

 だが、彼女はこの時の行動を直ぐに後悔する事になった。

 皇妃が金切り声で叫んでいた内容は、彼女が想像すらした事が無かったものだったからだ。

「―――これ以上はもう我慢できぬ! カイムリード様の面影を頼りに生かしてきたが、日を追うごとに我が愚妹に似てきておるわ。良いかヘルツよ! 陛下の戯言など聞き流せ、アイリスをこの世から葬り去れ」  

「できません! 皇妃様、考えをお改めください!」

 いさめる義父の怒声よりも、皇妃の鋭い刃の様な言葉がアイリスの胸に突き刺さった。

『アイリスをこの世から葬り去れ』

 幼い頃に柔らかな微笑みを浮かべ、優しくアイリスを抱きしめてくれた皇妃。

 その華奢な指で、小さな頭を撫でてくれたこともあった。

 手を繋ぎ、一緒に散策に連れていってくれた事もあった。

 義母であるローザのように、皇妃の事を慕っていた。

(そんな……)

 優しい皇妃像が、砂のようにサラサラと崩れてアイリスの指をすり抜けた。

(何で? ……どうして私の事を?)

 どうしてそこまで嫌われているのか判らない。初対面で薄氷の視線を向けてきた皇太子にしてもそうだ。

 心から血潮がとめどなく流れ、アイリスの薄い榛の瞳からは透明な雫が流れ落ちた。埃舞う床にポタリ、ポタリと黒い染みを作る。

 外では激しい雨が降り雷鳴がとどろいている。彼女の心を如実に表しているようだ。 



 アイリスは唇を噛みながら音を立てない様に立ち上がると、逃げるように魔法を使った。

 

 この場所に来る時に使った正当な移動魔法ではなく、アイリス独自のでたらめな移動魔法。どこに行くかは使った本人でさえ判らない。

 けれど、確実にアイリスの心に突き刺さった刃を抜いてくれる場所へ移動する為に。

「この心臓が止まってもいい。私を助けてくれる場所へ……。誰か、―――誰かたすけて……」

 

 この場所に、皇妃達の眼のある所にいてはいけないと、心に眠る本能が、絶望と戸惑いに揺らぐ彼女を動かした。

 

 


 

 


 

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