外の世界に憧れる虹
パラリと、本をめくる乾いた音が静かな部屋に響く。
屋根裏から移動したアイリスとグラティスは、階下にある彼女の部屋で本を読んでいた。淡々と紙をめくるグラティスとは対照的に、金色のツインテールから出るのは物憂げな溜息ばかり。辞典並みに分厚い本を机に置き、頬杖をつきながら気だるげに読んでいる。
「気に入らないの? アイリスが大河級の恋愛ものを読みたいって言ってたから、学院から借りてきたんだけど?」
「言ったね……。確かに言った。でも、『歴代王妃物語』って……。センス無さ過ぎだよ。第一、コレって歴史じゃないの?!」
「勉強もできて一石二鳥だと思って。……ローザさんから聞いたよ。この間、家庭教師辞めさせたんだってね?」
「……!」
ニッコリと笑うグラティスに悪意はない。
つい三日前まで来ていた家庭教師は、明るく優しくて良い先生だった。でも、優秀過ぎて、敷地外の世界を知らないアイリスにとって、何を言っているのか理解できなかった。外の世界とこの場所を比較しながら話を進める人だったのだ。
『辞めさせた』と言うよりも、何も知らないアイリスにあきれ果てて『辞められた』と言った方が正しいのかもしれない。
「……グラティスは外に出れていいね」
つい愚痴が零れてしまった。今まで誰にも言った事が無かったアイリスの本音。今まで誰にも言った事は無かったけれど、外の世界に憧れてやまないのだ。
目の前の顔は、笑いを崩し驚きに目を見張っている。そんな事を言われるとは思わなかったという風の顔である。
「ねえ、グラティスの通ってる学院てどんな場所? たくさんの人が居るんだよね、楽しい? この場所の外ってどんな感じ?」
どうせ本音が零れたのだ。この際知りたかった事を聞いてみよう、そう思ったら矢継ぎ早に言葉がでて止まらなくなった。
「街にはたくさんのお店がパンやお花や本を売ってたり、他国から大道芸人が来ていて珍しい物がみれるって本当? それに、ここよりもたくさんの精霊がいるって本当? ねぇ―――」
続きの言葉は出てこなかった。グラティスの手が、やんわりと言葉を発し続ける口を制したから。
「外に興味があるの?」
苦笑の色を浮かべた榛の瞳に向かって、言葉のかわりに首を縦に振った。
精霊達から聞いていた外の世界。本でしか見た事がない、この場所には無いモノがたくさんある世界。家庭教師に話を聞いてから興味というよりも、見てみたいと憧れている。この胸の刻印さえ無ければ行けるのに、と最近になって思うようになってしまった。
そんな想いが通じたのか、グラティスが塞いでいた口から手を離して、アイリスの頭をそっと撫でた。
「そうだよ。街には色んな店があって芸人が来てて、見ていて楽しいね。それに、神殿があって、その場所にはこの場所に居ない精霊がたくさんいるんだ。……学院は確かにたくさんの人がいる。でも、シドとその取り巻きがいて、時間の拘束をされるし退屈だから楽しくはないかな」
本当につまらなそうに息を吐き捨て、アイリスから視線を外して何も考えたくないかのように再び本をめくりだした。
(シド。あの怖い人も一緒なんだ)
薄氷の様な冷えた瞳を思い出し、身震いした。
「シド……。あの人はどんなひとなの?」
「さあ? 俺もよく判らない。―――そんな事よりも、早く読んでよ。俺はこれでも忙しいんだから。明日、学院に出さなくちゃいけないものがあるし」
相槌のように返事を返すグラティスの表情は、前髪に隠れて見えない。でも、妙に癇に障った。明日―――いや、毎日外の世界に出る事ができる事を話すグラティスが嫌だった。心の中に冷たい風が吹き抜け、寂しさを感じた。
アイリスは苛立ちを表すように荒々しく本を閉じると、目の前のグラティスに投げ渡した。
「もう来なくていい! ……学院が忙しいなら、もう私の所に来なくてもいい! ずっと外の世界にいればいいじゃない!」
「……アイリス?」
子供だからこその癇癪だった。
外に出れて羨ましいと、そう思ったからこその癇癪だったのかもしれない。
でも今のアイリスにそんな事は考えられなかった。
「帰ってよ。……いや、いい。私が出てく! バイバイ!」
戸惑うグラティスを部屋に残し、アイリスは部屋を飛び出した。
向かう先は、雨でもたくさんの精霊が集う場所。運が良ければ神獣も見れる場所である。
そう、義父が召喚士長を務める、召喚塔。
そこに行けばこの心の寂しさを埋めてくれる。
―――精霊は、私の友達だから。




