榛なりの決意
ブルーメの王侯貴族が通う学院。
皇太子であるシドには、他者と違う特別室がある。魔法が使えない彼に、学院側が配慮して用意した部屋である。そこの一角に、シドと向き合うグラティスが居た。
両者は険しい表情をしながら腕を組み、互いを牽制するような雰囲気を出して部屋に集っていた取り巻き連中を遠ざけた。
「―――グラティス、学院を辞めるのは本気か?」
「辞めるんじゃないよ、休学だよ。俺はもっと魔法だけを勉強したいんだ。今のままじゃ、知識も技術も力不足だと実感したからね。せめて、アイリスが世界の果てにいても判るようにはなりたい。今回みたいに、いきなりいなくなっても探し出せるように」
グラティスのはっきりした口調に、シドは組んでいた腕を解き物憂げに髪を掻きあげると、壁に寄りかかりため息をついた。
「今回の騒動の首謀者である母は捕縛され、監禁されている。今後は逃げだすほどの危険等は無いと思うぞ。そこまで気負わなくても、アレは城の敷地から出られないはずだ。それに、なぜお前がそこまでする必要があるんだ?」
「……今回のような事がまた起きた時の為に、俺がそうしたいんだ。アイリスには、何故だか敵が多いみたいだしさ」
グラティスは誰が、とは言わないがシドを見るその眼差しはきつい。しかし、どこか迷いもその榛の瞳に宿している。
「俺は、あの子の成長を見てきた。だから幸せになってもらいたいんだよ。でもさ、皇帝サマの話を聞く限り、今のままでは駄目だと思った。……どうせシドも、目的が達成されたら、アイリスの命が危機に晒されても知らないふりをするんだろう? アイリスは、道具じゃない。誰かが守ってあげなきゃいけない、ひとりの人間だ」
榛の瞳を揺らがせて、グラティスは組んだ腕を見下ろした。
そして、顎に手を当てて何かを考える仕草をして口を開く。
「……いや、『誰か』じゃなくて俺自身があの子の未来を守りたいのか」
確かめるように言いきったグラティスの表情は、先ほどまであった迷いなど微塵も感じられなくなった。
アイリスの未来を守りたいと口にした事で、何かを決意したのだろう。
そんなグラティスの一瞬の変化を逃さなかったシドは、焦りを露わにグラティスを睨み見た。
「グラティス、お前自分がなにを言っているのか判っているのか?!」
責めるように口を荒げるシド。皇太子の伴侶となる者を『守りたい』と公言するなと言いたげである。しかし、グラティスは悲しげに眉を寄せると、なおも口を開く。
「シドは、アイリスが目の前から消えても何も感じないんだろう? 俺は違うよ? 途方もない喪失感と恐怖に身体が震えた。あの子が、でたらめ魔法を使うだけでこの眼は痛くなるし、その痛みに絆を感じて安堵する自分がいる」
その時の場面を思い出して瞼を触りながら、視線を落とすグラティスにシドは苛立ったように問うた。
「次期公爵のお前は、俺ではなく『穢れた娘』を取るのか?」
アイリスを『穢れた娘』と比喩した言葉に、グラティスは眉を寄せて反応したが、弱く首を振り否定した。
「……同じ事を召喚士長にも言われた。その時は何も考えずに、アイリスを取ると答えたよ」
「皇太子の伴侶を寝とるつもりか? その罪は重いぞ。領地全員の命よりも、たった一人を取ると言うか。馬鹿かお前は」
シドは怒りを通り越して、あきれた様子だ。
「まさか! ただ守りたいだけであって、寝とるつもりはないけど。……まあ、そんな感じの言葉も言われた。『貴方がそれをやると、周りが被害を被る』って怒られたよ。でも、どれだけ考えても、俺はシドと一緒にこの国を支えていきたいし、アイリスを守りたい」
「……欲張りなやつだな」
「そうだよ。だから、まずは学院を休んで魔法の勉強に集中する。探索魔法を極めれば、アイリスが行方不明になっても慌てないだろう? 後は移動魔法と防御魔法を極めたい。それだけ学べば俺はシドの側にいるアイリスを守れる」
指折り数えながら、グラティスは頭の中の構想をシドに話していく。
しかし、それを側で聞くシドの表情は硬い。
「俺は、父と同じで『穢れた娘』の未来など考えない。用が済めば、側に置き続けずに神殿に入れるつもりだ。その場合はどうするつもりだ?」
シドの言葉を予想していたのか、グラティスは肩を落としてため息をつく。
「……まだ考えて無い。そうならない未来を願うよ」
シドは、考えたくないの間違いだろうと眉根を寄せて呟き、グラティスを部屋から追い出した。
アイリスを守りたいと心に決めて学院を後にしたグラティスは、一目散に召喚塔へと向かった。
魔法の勉強をするならば、魔法を習得した召喚士に師事した方が、いい結果がでそうだと思ったのだ。それに、ここならば「魔法を勉強したい」と言っていたアイリスに会える。守ると決めた途端、無性に彼女に会いたくなるなんて、父性本能でもでてきたのかもしれない。
アイリスが師事するのは、十中八九ヘルツだとわかる。
「リムドさん、俺に魔法を教えてください。まずは探索魔法から。それを極めたら移動魔法と防御魔法を」
召喚士長のヘルツは、おそらくアイリスを見ていて断られる、そう踏んでヘルツの助手であるリムドに声をかけた。グラティスには珍しく、猫を被って。出来る限り人好きのする笑顔を心掛けた。
だが―――、
「ええっ? 駄目です! 一介の召喚士風情が公爵家の嫡男に教鞭を執るなど、滅相もございません。もっと高名な引退された方に頼まれた方がよろしいかと思いますよ」
一瞬も躊躇わずに放たれたその言葉に、グラティスは、計算が狂ったと顔をしかめた。拒絶されるとは思ってもいなかったのだ。
グラティスの計算上では、二つ返事で快諾してもらえると思っていた。
なのに、同じ二つ返事でも「駄目」は、想像していた答えとは雲泥の差。
召喚塔でグラティスが魔法を学べば、おそらくこの場所に通ってくるだろうアイリスを守り安くなるし、毎日彼女の笑顔が見れると踏んだのだが、引退した者に師事を仰げば守るなどできないし、アイリスの顔を見る事も叶わなくなるのだ。
「俺は、この場所で教わりたいのです! (アイリスの顔が見れるこの場所で!) シドが慕う貴方だからこそ、頼むんです」
「皇太子様が自分をですか……っ? 恐縮です。ですが、もっとちゃんとした師事する人間を選んだほうがいいですよ? 俺では無理ですよ」
グラティスの、アイリスに会いたいという下心をくみ取れないリムドは、尚も断る。
「だからリムドさんを選んだんです。召喚士長さんの助手ならば、実力はあると立証されているじゃないですか。(それに、毎日アイリスに会えるかもしれない)」
「いえ、実力など―――」
このようなやり取りが繰り返され、業を煮やしたグラティスはとうとう本心を暴露してしまった。
「―――アイリスを見れない場所で教わっても意味が無いんだ!」
「え……?」
襟首を掴みそうな勢いで声を荒げたグラティスに対し、リムドは目が点になったまましばらくの間固まった。それを見たグラティスは、背筋に冷や汗を一筋流した。
「いや、だから……っ! ずっと俺が見てきただろう? 頻繁に見ないと何だか落ち着かなくて」
被っていた猫を脱いで、視線を泳がせながらしどろもどろに話すグラティス。だが、固まっていたリムドは、時間が経つと何やら生温かい視線をグラティスに投げながら口を開いた。
「ふーん? そういうことですか」
「何? その妙に暖か過ぎる眼は。今の言葉は、きっと父性本能が出て―――」
頬に熱が集まっているのか、グラティスの頬は心なしか赤い。それを見て、ますますリムドの眼は細くなった。元々糸目だったが、今はもう開いているのか判らない程だ。
「そういうことにしておきましょう。……しかし、魔法については一度、上の者と相談させてください。貴方様は一般人ではございませんので」
上の者。つまり、ヘルツに相談するということだ。
「いいよ」
ヘルツはこの前、グラティスに難しい問いかけをしていた。
『貴方は、覚悟がおありですか? すべてを捨てる覚悟が』
アイリスを寝台に送り届けて、ヘルツに報告をした時のことだ。その時、グラティスは「アイリスか皇太子様かどちらを選びますか?」と問われた。もちろん、なにも考えずに「アイリス」と即答した。その直後にヘルツは表情を陰らせて、先ほどの、覚悟はあるかとグラティスに投げかけたのだ。
覚悟と問われても、考えた事など無かった。アイリスを守るのがグラティスの使命だったから。
グラティスの心情を汲んだのか、ヘルツは、厳しい瞳でグラティスに更に問いかけた。
『皇帝様の甥である貴方がアイリスの手を取るのは、皇帝様を―――国を敵に回すことになるかもしれません。貴方とアイリスの血筋ゆえに、王位簒奪の疑惑がかかるやもしれません。その時、貴方は肉親や領民を見捨てる事ができますか? 最後まであの子の手を離さないと約束できますか? 出来ないのならば、これを好機に皇帝様から賜った使命を返上し、アイリスから離れてください』
年若いグラティスに言い聞かせるように、やんわりとした口調だった。けれどもその瞳は、甘えを許さない輝きを放っていた。鋭利な刃物のように、返答次第では相手の心を切り裂くような苛烈さも秘めていた。
アイリスの手を離したくはないが、全てを捨てる覚悟も持ち合わせていない。その時は、どうしても言葉がでなくて代わりに涙が出た。頭では色んな返事を考えたが、ヘルツの目を見ると、喉もとで言葉が凍りついたのだ。言葉だけでは駄目だと実感したのだ。
この、リムドに師事を頼む行動は、グラティスなりのヘルツへの返事だった。アイリスの顔を見たいのを我慢して、部屋にこもって考え続けた結果だ。
魔法嫌いのシドは、魔法を使える人間も好ましく思っていない。しかし、リムドは違った。魔法剣を使うのだ。それは、剣を扱うシドの心を動かした初めての魔法だった。
シドが遠出した際、魔物に襲われたことがあった。そこに偶然居合わせたのは、召喚士でありながら魔法剣を使うリムド。炎の魔法を得意とする彼は、業火を剣に纏わせて華麗に舞うように魔物を倒した。それ以来、シドは魔法が嫌いと公言していてもリムドの魔法剣は別だと言ってもいた。
だから、シドが慕うリムドに魔法の師事を仰げば、シドを裏切る気は無いと取ってもらえると思った。それに、習いたい魔法の内容をヘルツが聞けば、アイリスを守る為の物だと気付いてもらえるはずだ。
ヘルツから問われたグラティスの答えは『何も捨てない』だった。
そんなことは無理だと鼻で嗤われて一蹴されそうだ。しかし、限界までやってみたい。駄目だったらその都度考えればいい。グラティスはそう思った。
そして、―――魔法を習いたいと相談した三日後、リムドから正式に返事があった。
『自分でよければ、通ってください』
その返事を手に珍しくグラティスがガッツポーズをしていたのは、メイドたちが盗み見ていた。しばらくの間、筆頭公爵家では、メイドたちが嫡男グラティスを見る目が変わったとかいないとか。




