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虹と精霊の仮面舞踏会  作者: まるあ
一章 求めるは真実を視る能力
18/21

家族の絆に戸惑う虹

 木製の扉を数回たたいて押し開くと、グラティスとヘルツが緊張感を漂わせながら、向き合って座っていた。

 グラティスは力なく俯き、長い茶の髪がその表情を隠している。対するヘルツは固い表情で彼を見つめ続けていた。

(二人に、なにがあったのだろう?)

 部屋中に漂う緊張感にわけがわからないアイリスは、声をかけるのをためらい、ただ茫然と立ちすくむしかなかった。

 しばらくするとヘルツが咳払いし、やっとドアノブに手をかけて固まっているアイリスに声をかけた。まるで、今気付いたとばかりに。

「おはよう。いや、『おそよう』の方が正しいか?」

 普段と変わりない笑顔でアイリスに声をかける。今さっきの緊張感など感じられない表情だ。その表情に、ヘルツは敵ではないと胸をなでおろした。

「おはよう。おかあさんと同じ事を言ってるよ。……グラティスもおはよう。運んでくれたのってグラティスだよね? ありがとう」

「……うん」

 グラティスは俯きながら掠れた小さな声で返事をした。しかし、アイリスの事を見ようともしない。かたくなに彼女を視界に入れないように、膝の上にある拳を見続けた。

 こちらを見ようとしないグラティスに驚きながらも、視界にすら入れてもらえない事に胸の奥が痛んだ。―――そして、腹が立った。

 つかつかと俯くグラティスの前まで足音を立てて歩くと、その頬を両手で掴み上げた。

「人と話す時は、顔を見るのが礼儀でしょっ!! いつも自分が言ってるのに―――」

 その続きを言う前に、アイリスの口が閉じた。

 グラティスの瞳を見て、言いたい事が吹き飛んだのだ。



「―――ごめん。……俺、帰ります。」

 グラティスは視線を彷徨わせるとぼそりと呟き、頬に回されているアイリスの手を外して部屋を出て行った。




 グラティスの背を見送ったアイリスは、信じられない物を見た、といった表情を浮かべている。

 薄い榛色の瞳は驚愕に見開かれ、小鼻は膨らみ、口は呆けたように開かれたままだ。

「アイリス、彼も人間だ。そんなに驚くと可哀そうだろう?」

 その言葉に我を取り戻して、興奮気味に口を開く。

「だって! だってだって! 珍しいじゃない! グラティスが泣くなんて、生まれて初めて見たよ!!」

「彼は背負うものが大きいのだよ。あれでも筆頭公爵家の嫡男だ。そう簡単には人前で涙は流せんさ。―――それよりも、アイリスがこの部屋を訪れるのは珍しいな。大切な話があるのだろう?」

 ヘルツは椅子に深く足を組みながら座って膝の上に肘を置き、顎を触りながらアイリスを仰ぎ見た。

 顔全体は疲労感が滲み出ており、目の下には黒い隈ができて、灰色に輝く瞳は充血して真っ赤だ。アイリスが『王の庭』と『魔の神殿』に行っている時に、寝ずに探してくれたのだと窺えた。

 血の繋がりなどない養子の為にそこまでしてくれるなんて、なんて私は幸せなのだろう、アイリスはそう思った。

 着ている服の裾を握りしめて、意を決して口を開いた。

「勝手にいなくってごめんなさい。気付いたら『王の庭』って場所に居て、そこの精霊と色々と約束してきたの」

「その事は、さっき彼から聞いたぞ? 刻印も書き換えたし、竜の檻を壊そうとしたのだろう?」

 ヘルツは全部を知っていると仄めかしながら、アイリスを見続けた。

 その瞳はいささか剣呑な雰囲気を醸しており、彼女の勇気にひびを入れた。

「……うっ! そうなんだけど、刻印を書き換えてくれた精霊と檻を壊すって約束したの。いつも使うでたらめ魔法じゃ全く効かなくて、跳ね返ってきちゃうの。私の全部の魔力をぶつけても、全くダメで……、だから……」

「そうだね。彼から聞いた話では、厄介な反射魔法が掛かっているらしいね。それで、アイリスはどうしたいのだい?」

 アイリスが言い淀むと、剣呑な瞳は柔和な色に変わり、ヘルツが頬を掻きながら苦笑を浮かべて彼女を促した。

「私、魔法の勉強をしたいの! ……でたらめ魔法じゃ出来ない事もあるって気がついた。魔力はあるのに、使いこなせなくて悔しい。それに、あのままじゃ竜が可哀そう。精霊との約束もあるけど、私自身があの竜を閉じ込める檻を壊したいと思ってる。だから、魔法を教えて欲しいの!」

 一気に捲し立てたおかげで肩で息をするアイリスを、眩しい太陽でも見たように瞳を細めて見つめるヘルツ。

 その瞳はまるでアイリスを観察しているようでもあった。

「……そうか。昔、お前と同じ言葉を言った弟子がいたのを思い出したよ。まっすぐに目標に向かって突き進む者だった」

 やや逡巡した後、ヘルツは口元を覆いながら静かに口を開く。

「魔法を習うことは、誰にも(・・・)知られてはいけない。刻印が書き換えられた事もだ。皇妃様がお前の命を狙うように、皇帝様もお前を狙っている。そもそも刻印が刻まれたのも、皇帝様がお前をこの敷地で監視するためだった。反皇帝派の重鎮達にお前の存在を知られないようにするために。お前を旗印に、謀反されないように存在を隠すためだ」

「―――えっ?」

 何を言っているのだ、と口に出そうになった。

 ヘルツはアイリスが喋り出す前に、なおも言葉をつなぐ。眉根を寄せるその顔は、ひどく苦しそうであり、何かから解放されるのを願う顔にも見えた。

「この国は、魔法を使い精霊を従える事を(ほまれ)としている。お前の本当の父親は、その最高峰におられた皇帝様の兄君であらせられる。その娘のお前が魔法を習うということは、現王家を敵に回すも同じことだ。だから、知られるとお前の身が危ない」

「ちょ、ちょっと待って! 何? その童話のような物語は。私は本気で勉強をしようと―――」

「童話ではなく真実だ。アイリス……、お前は皇帝様より継承権を剥奪されたカイムリード様の姫。その事がゆえんで現王家には精霊の加護が無い。精霊となじみ深いお前が魔法を習うのは、現王家に弓引くようなものなのだ。それにな、お前の魔力はカイムリード様と似ているのだよ。古参の重鎮が見ればお前が誰の子か判るほどに。突発的なでたらめ魔法と違い、正当な魔法を使えば魔力が広範囲に漂う。だから、誰にも魔法を習うことを知られてはいけないのだよ」

 ヘルツの灰色の瞳は、カイムリードの事を思い出しているのか、懐古の情が浮かんでいる。

 それに、長年秘めてきた事を告げた事で解放されたのか、目の下の隈や瞳の充血を覗けば、少しスッキリした顔立ちをしていた。

 どこか置いてきぼりになった気分になって、アイリスは混乱した。

「……なに、それ? おとぎ話もいいとこじゃない。皇帝様は私を拾ってくれて、尊敬出来る人で……。皇妃様はきっと、シドの側女に私が命じられたのが嫌で怒っただけで……」

「―――人は、仮面を被る事ができるのだよ。手駒を動かす為には、どのような仮面だとしても被るだろう。代々、王家の人間は仮面を使うのが巧い人間が多いからね」




 


 アイリスは、いささか混乱しながら廊下を歩いていた。

 彼女の重大なる出生の秘密を暴露した後、結局は魔法を教えてくれる事にはなった。しかし、魔法を教えてもらうという約束を取り付ける、といった目的が達成されたとしても、行きとは違って足取りは重い。

いつもは胸を張って歩くのに、今は俯き加減で猫背になっている。

(そういえば、おかあさんも話があるって言ってた)

 嫌な予感がひしひしとするが、避けては通れない道なのだろう。アイリスは、待ってると言っていたローザの元へと、鉛のように重たい足を動かした。

(いやだなぁ。逃げちゃおうかな。でも、ある意味約束したし)

 ローザの待つ部屋の扉がだんだん近づいてくる。

 甘いにおいも鼻孔をくすぐり、空腹のアイリスは走っていきたい衝動に駆られた。

 しかし、空腹を満たした後にはローザの話が待っていると思うと、その空腹と戦わざるを得ない。

 一歩進んでは立ち止まり、ため息をはきつつ休憩をはさむ。重たくて遅い足取りも、迫る嫌な話を想像すると更に遅くなった。もう、亀の方が早いのではないかという速度である。

「本当の親の話を聞きたいわけじゃないのに。今まで「勉強しなさい」って言ってたくせに、真面目に魔法を勉強しようとすると、なんで実の親の話がでるのよ」

 実の親の話に、興味が無いわけではなかった。

 でも、この家族が大好きなアイリスは、聞きたくなかった。その話を聞いたら、家族でいられないと思ったのだ。

 


 のろのろと歩いていても、足を進めていればやがてゴールは見えてくる。約束を破る行為をした事がないアイリスは、逃げずにゆっくりと歩を進めていたのだ。

 ここにグラティスが居たら、きっと「嫌な事でも逃げない時があるんだね」とか言いそうだと彼女は思った。

 とうとう、食べ物とローザの待つ部屋の前へと着いてしまった。

「ううっ……。着いちゃった」

 着いてしまったものはしょうがない。アイリスは重い気分で重量が増した扉のドアノブを回した。

 出来るだけそっと開けたつもりだったが、扉脇に座っていた妹と目があってしまった。

(そんなところに座っていたとは! 不覚!)

 妹はにっこりとほほ笑むと、

「ねえたん、かえってきたよー?」

 大きな声を出しながら、ローザへと駆け寄る妹が憎らしいと今ほど感じたことは無い。



 妹の声に気付き、ローザが調理場から顔をのぞかせた。

「お帰りなさい。おとうさんとお話はできた? ……あら? グラティスちゃんは一緒じゃないの?」

「……泣きながら帰ったよ」

 ローザもアイリス同様に、グラティスでも泣くのかと驚いた後、切り分けた甘いにおいのするタルトをアイリスの前に持ってきた。

「アイリスも泣きそうね。そんなに悪い話だったの?」

 心配して覗き込むローザの顔を、アイリスは直視出来なかった。

 視線を合わせたら、聞きたくない話を聞かざるを得なくなると思ったのだ。

「そんなことないよ。魔法を教えてくれるって。……ただ、おとうさん特製の結界の中でならって条件で」

「そう、よかったわね。それでアイリス、さっき言った話なのだけど」

「―――あっ! 明日から教えてくれるんだって。たくさん食べて力を付けなきゃね。おかあさん、おかわり持ってきて!!」

 アイリスは皿に乗ったタルトを一気に頬張ると、ローザの言葉を遮るように皿を差し出した。

「……アイリス」

「早く持ってきて」

「―――アイリス!」

 乳飲み子の頃から育てているのだ。アイリスが何かを隠しているのは、その白々しい態度で判った。

 嫌な事があると極力視線を合わせないようにして、颯爽とその場から逃げだす。アイリスの常とう手段である。今の態度は、逃げだす一歩手前の段階だとローザは考えた。

 しかし、ローザもだてにアイリスの母親をやってきたわけではないのだ。対処法だって心得ている。

 受け取った皿に、タルトを乗せると、再びアイリスの前に差し出した。

「はい。たくさん食べてね! おかわりはまだまだあるから」

 うふふ、と微笑むローザとタルトが乗った皿を前に、アイリスは顔をひきつらせた。

「……くっ! こんなに食べられるわけないでしょ」

「あらぁ? たくさん食べるって今言ったでしょう?」

「おかあさんっ! ワンホール二段積みなんて、いくらなんでも食べきれるわけないでしょうがっ!!」

 アイリスの目の前には、クリームとフルーツがこんもりと乗ったタルトが二段重ねになっている。ワンホールは人の顔ほどの大きさだ。それが二つ皿の上に積まれている。見ているだけでも胸やけしそうである。

 アイリスが皿を指さしながら吠えるように叫ぶと、ローザは怒る彼女の前の椅子に座って困った顔をしながら頬杖をついた。でも、なぜか口元は笑っている。

「兎のような子なのに、怒ると犬みたいねぇ? おとうさんみたい。……ふふっ。ヘルツさんの方よ?」

「……聞きたくない」

「おかあさんは昔話がしたいのよ。ゆっくりとタルトを食べながら聞いてちょうだい?」

「あくまでも話すなら、コレ投げて、おかあさんの顔をクリームだらけにしちゃうよ?」

 アイリスがフォークでタルトをつつきながら悪態をつくと、なぜかローザは、片ひじで頬杖をついたまま柔和な笑顔を浮かべた。そして、もう一方の指先を机にトントンとリズムを刻むように打ちつけて、他人には知られていない母の本性を見せた。

「うふふ。食べ物を粗末にしたら、お尻を剣の鞘で百叩きよ? それか、グラティスちゃんから借りたアイリスの魔力を無効化する鎖で縛って、一晩中屋根から吊るすわよ?」

 柔和な顔から出たとは思えない発言である。

 どちらも未だ実行された事はないが、アイリスはそのふたつとも絶対に嫌だと思った。

 鉄で出来た鞘は固くて痛いだろうし、装飾がお尻に刺さりそうで怖い。痛いのは嫌だし、一晩中吊るされるのはもってのほか。

 ローザのこの黒い本性が出ると、アイリスは恐ろしくなって、いつも大人しく引き下がってしまうのだ。母親には叶わない。そういうことだろう。

「……ごめんなさい。嘘です。投げませんっ!」

「じゃあ、がんばって食べてね? おかあさんも手伝ってあげるから」




 アイリスとローザは一つのお皿に二段積みされているタルトを、鳥のように仲良く突いていた。

 妹はお昼寝タイムなのか、柔らかな絨毯の上で寝息を立てている。これが、召喚士長一家の普段の過ごし方だった。

 いつもは甘いものを食べながら話が膨らむのだが、今日はそうはいかない。

 アイリスの背には、緊張からか幾筋もの冷や汗が流れていた。

「……このタルトね、おかあさんの仕えていた方が大好きだったの。元々お菓子作りなんて好きじゃなかったのに、その方が私の作ったお菓子を褒め続けるからやめられなくて、気付いたら趣味になっていたわ」

「ふーん?」

 そっけない返事を返したが、アイリスの心の中はどこかほっとしていた。

 いきなり本当の両親の話を持ち出されるかと冷や冷やしていたのだ。これのどこが大切な話なのかと思ったが、単なる昔話でも本人にとっては大切な話なのだろう。

「その方もね、あなたと同じ金の髪をしていたの。病弱でいつも臥せっていたからめったに結う事が出来なかったけれど、その分あなたの髪を結うことにしているの」

「へぇー? だから、たまに凝った髪型にしたがるんだね」

「そうよ。好きなお菓子も面影も、本当に似ているだと最近気がついたわ。……だから、皇帝様は皇太子様の側にあなたを置きたかったのね」

「―――えっ?」 

 アイリスは口にフォークを入れたまま固まった。嫌な予感がしたのだ。

 しかし、ローザはアイリスの気持ちを知ってか知らずか、なおも口を開く。

「皇帝様はね、おかあさんが仕えていた人が好きだったの。でも、その方は他に想う方がいて叶わなかったの。皇帝様の想いは強すぎて、周りを巻き込んで悪い流れを作り出しちゃったのよ。今もきっと意地を張って、悪い流れを止めないだけ。……おかあさんはね、アイリスがその流れを止める布石になると思うわ」

 ローザは下を向いてながい息を吐きだすと、やんわりとした口調と表情で、さらにアイリスへと言葉をつないだ。

「―――だって、アイリスは皇帝様が好きになったお方の娘なんですもの。榛の瞳以外は、似ているわ。……でも、性格は誰に似たのか頑固よねぇ。ふふふっ」

 誰かを思い出しているのか、くすくすと少女のように笑うローザ。その時、静かに扉が開くと同時に笑いを含んだ低い声が響いた。

「お転婆で頑固なところは、お前じゃないか? 約束事を守る誠実さは、私に似たと思うがな」

「んまぁ! 頑固な所はあなたそっくりですよ!」

「それは一途ということだな。いいことじゃないか。……それよりも腹が減った。アイリス、少し分けてくれ」

 ヘルツは笑いながら棚からフォークを出すと、アイリスの隣に座った。そして、彼女の食べていたタルトを切り分けもせずに、そのまま食べだした。

 突っかかる母に、それを難なくかわす父。妹が起きていれば、尚にぎやかになっただろう。いつも繰り広げられる光景だと思い、アイリスは幸せそうに眼を細めた。

 ローザとヘルツも、しぼんだ顔に笑顔が咲いたことが嬉しいらしく、柔らかに眼を細めて皿の上のタルトをつついた。

「アイリス、明日から覚悟するんだぞ? 父さんは、娘だからといって容赦はしないからな」

 柔和な表情でタルトを突くヘルツのこの言葉に、アイリスの背筋がゾクリとしたのは言うまでもない。


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