新芽の秘密
グラティスは、改めて周りを見回しこの場所がどこかを探った。
移動魔法を使う時は通常ならば場所を指定する。だが、急いでいた今回は違う。
どこにいるのか判らないアイリスの強い魔力の元へと辿り着けるように、細い糸の様な頼りない気配を追ったのだ。本来ならば、齢十四の勉強半ばのグラティスには出来ない芸当である。しかし、榛の瞳同士の繋がりがもたらせた奇跡か、グラティスの想いを汲んだ神の手助けでもあったのか、不思議な事に特殊な芸当が出来てしまったのだ。
咄嗟に来てしまった場所。まさにそう言える。
この場所がどこかを考える前に、虹色の光に攻撃されているアイリスの危機を見て対処をしていた。それで今に至る。
だから、この場所がどこか解らなかった。
視界を動かし、闇に浮かぶ銀の檻を遠目に見るまでは―――。
「……これは」
結界魔法を意地で勉強しているグラティスならば、どのような魔法が張ってあるかは、檻に刻まれている刻印を見るだけでわかる。
銀の檻に刻まれているのは『魔力縛印』と『魔法反射印』。
この特殊な檻がある場所と言えば、グラティスの知る中で一つしかない。
『魔力縛印』は、文字通り魔力を縛る印である。中から魔法で檻を破壊できないように、一定以上の魔力をこの印の結界内に感じると、使用者の動きを止めてしまうという嫌な結界魔法だ。
『魔法反射印』も文字通りだ。外から檻を壊そうと魔法を使っても、この印の結界が鏡の様に同じものを返す。弱い魔法には弱く、強い魔法になら強く。
「そうか、この『反射印』があるからアイリスの魔力が本人を攻撃してたのか」
頷きながら檻に近付き、その中に横たわる巨体を見て、先ほど自分が考えた場所が正解だったと確信した。
二重の結界魔法の檻。そして、神気とも言える特殊な魔力を少しずつその身から流出させている竜。
その二つの条件が当てはまる場所は、皇帝が神に反抗する為に建てた『魔神殿』しかない。
建物自体は魔の崇拝者には有名だが、その場に捕えられた竜の存在は、城の書庫最奥にひっそりと隠されていた書簡にのみ記されている。
結界を勉強していた時に偶然見つけたその書簡。物語りでも絶滅したと言われていたし、書簡を読んでも竜の存在は半信半疑だった。
―――しかし、
檻の中で瞳を閉じて横たわる竜。これは作り物ではない。檻の外へと流れ出る魔力からわかる。本物だ。
ピクリとも動かないその巨体は、もうすでに生命活動が終わっていると解るほどに、鱗の艶が無かった。根元の骨が見える片翼も、その乾燥具合から折れて久しいと推測できる。
「……ああ、なんとおいたわしい姿に。片翼をもがれただけでなく、『縛印』がある為にこの場を破壊する事も叶わず力尽きたのでしょう」
カイムがグラティスの肩に止まり、あまりの惨状に悲しみ、その身と声を震わせた。
「人は、なんと罪深い生き物なのでしょう。神の御使いである精霊王の加護が得られないからと、竜の力を欲して捕えるなど」
―――そして、その竜が死んだ今、アイリスに狙いを変えるなど、なんと愚かな。
グラティスの耳が近くにあるのも忘れて、カイムは涙ながらに最後の言葉を小さな声で呟いた。風の音にかき消されるほどの、ほんの小さな声だった。
カイムの涙と共に、その言葉は風が運び去って行ったかのように思えた。しかし、グラティスは耳元に落とされた言葉を聞き逃す事はしなかった。
普段は『我が姫』とアイリスの事を呼ぶのに、今はしっかりと名を呼んだのだ。
その事に驚き、弾かれたように肩に目をやる。そこには、涙するカイムの姿に重なって、一瞬だけだが別の者が怒りを露わにしていたようにも見えた。
(カイムは何者だ……?)
新芽色の精霊は、最初は単なる光だった。
グラティスが興味本位で魔力を分け与え、少しずつ成長すると共に言葉を覚えた。そして、しきりにアイリスの傍へ行きたがった。「我が姫を守りたい。だから、自分の名を呼ばないで」と、その緑の瞳に真摯さを湛えグラティスに願い出たのだ。
不思議さを覚えたが、害が無い精霊だと思って探ることなどした事は無かった。蒼い精霊の言った『精霊モドキ』も気になっていたし、今の言葉や垣間見た姿も気になる。
初めて新芽色のカイムを調べてみようと思った。
「グラティス、カイム。私ね、この檻を壊して竜の魂だけでも自由にしてあげたい。魔力が流れ出てるって事は、魂がまだ肉体に眠ってるってことでしょ? でも、結界魔法が張ってあって壊せなかった。でたらめ魔法じゃ駄目だってわかった。……だから、きちんと勉強してみようと思う」
アイリスが、どこか憂いを帯びながらも決意を秘めた瞳で檻を見据える。
雲の割れ目から光が入り、疲れきったボロボロの横顔を照らしだす。
どうやら一晩中起きていたらしいことに、アイリスの朝日に照らされている横顔を見てようやく気付いた。
彼女の薄い榛の瞳は光に照らされて、魔力を解放していなくても金に染まった。白い肌に映える金。どれだけ身なりがボロボロでも、その瞳は曇りない光を湛えて起きる事のない竜を見つめ続ける。
昔から、アイリスはこうと決めたら最後までやり通す子だった。きっとやり遂げるだろう。
決意のほどを伝える金の瞳。ついつい、綺麗だと見惚れてしまった。
「……グラティス様? よもやまた―――!」
ジッとアイリスの横顔を見つめ続けるグラティスに気付き、カイムが両手を広げて視界の邪魔をした。今にも飛びかかってきそうだ。
「違うからっ!」
再び髪を引っ張られるのがごめんなグラティスは、頭を庇いながらジリジリと後ずさる。
両手を広げて指を動かしながら、ゆっくりと後を追うカイム。
二人のやり取りをみたアイリスは、和みだした空気にクスクスと笑いをこぼした。
「なに笑ってるの! 笑ってないで君の精霊を止めてくれよ。俺の髪が抜けたらどうしてくれるんだ」
「二人は仲が良いんだね! ふふっ」
「この状態のどこを見てそう思えるんだよ?! ―――ああもうっ! 痛いって! 見てただけだろう!?」
「姫を守るのはこの私です! 不埒な視線も許しません!」
グラティスとカイムの攻防は、檻に集う水の精霊達が見守る中、暫く続く事となった。
朝日が夜の闇を完全に取り払った頃、グラティスとカイムはアイリスが膝を抱えるように眠っているのに気が付いた。
カイムはそっと近づくと、腕の隙間から覗くアイリスの頬に口づけを落とした。
先ほどの治癒とは別の意味だと、慈愛に満ちた表情が物語っている。まるで、親が子供にお休みのキスを贈るようだとグラティスは思った。
しかし、同時にどこか納得できない。
「どうして俺が触れるのは駄目で、君はいいんだろうね?」
腕を組み、皮肉の笑顔を浮かべてポツリとこぼす。
それを聞いたカイムは胸を張りグラティスの前まで飛ぶと、小さな口に見合わず大きな声で答えた。
「私が私だからです! このカイムは我が姫を守るための命。本当に姫を預けていいと思える方が現れたら、私は喜んで元の場へと帰りましょう。それまでは、様々な害虫や障害を排除するのが私の使命!」
「……元の場? 君は誰かから遣わされてきた存在なのか?」
「今はまだ秘密です。けれど、いずれ解りましょう。……ささっ、このような陰気に満ちた場に長居は無用。我が姫を家へとお返しせねばいけません」
カイムは飄々と人間が魔法を使う時の様に、詠唱を使う事によって陣を地に描きだした。目的地は彼女の家だとその詠唱で解った。
現れたのは新芽色の、明るい緑や黄が混じった魔法陣だ。
最初は単なる一筋の光だったものが詠唱によって紐のように編み込まれ、それが紋様を刻みだした。
数秒後には、グラティスにはまだ理解できない紋様が完成した。見た事があるようでいて覚えが全くない紋様。精霊独特の魔法なのだろうか。
そんな陣から感じるのは、風の属性と、アイリスに似た神気に近い魔力。
精霊が詠唱によって魔法を使うなんて聞いた事が無かった。しかも、現れたのは不思議な紋様の陣。
「今の私は力を使いすぎて、姫を運ぶ魔法を使う事ができないようです。グラティス様、貴方に我が姫を抱き上げる許可を出しましょう。早く陣へ! お二人が行かれたら私は一度戻り、力を蓄えて後ほど姫の元へと参じます」
「許可って……」
―――いつの間に、触れるのも許可制になったのか。
グラティスはアイリスの小さな身体を抱き上げると、陣へと歩を進めた。
この子を抱き上げるのは何年ぶりだろう、以前よりも随分と重くなった。
手や足も伸び、あごのラインも幼児ではなく少女へと成長している。もう、こんな風に抱き上げるのは最後かもしれないな。
彼女の成長に喜びながらも、これが最後かもと内心うろたえている自分に苦笑がもれる。
腕の中で眠るアイリスを起こさないように、静かに新芽色の明るい光へと進む。
しかし、入る直前で足が止まった。
(そういえば、手際がよすぎないか?)
アイリスの口から伝えた皇妃の話は、カイムも聞いていた。だったら、家に帰るのも危険だと普通は判断するのではないか。
グラティスは、ヘルツと自身の父からアイリスの味方である旨を、この場に来る前にすでに聞いてある。
けれど、その話はまだカイムにしていない。
「……どうして、召喚士長の家が安全だとわかるんだ?」
胡乱な視線を向けて、疑惑をぶつける。
カイムは一瞬だけ表情を驚きに歪めたが、直ぐに普段の明るい笑顔を浮かべ口に一本指をあてた。
「今はまだ秘密です。……いずれは全て知る時が来ましょう。きっと、そう遠くない未来に」
「これも秘密なんだ。……でも、そのいずれは待てない。自力で調べるよ」
「そうですか。それでは、貴方様がそれを知った時にどのような表情をして、行動をするのか、楽しみにしております。……ささっ、この身に宿る魔力が尽き陣が消える前に、行ってくださいませ」
曇りない笑顔とアイリスに向ける慈愛のこもったその瞳を信じて、グラティスは陣へと足を入れた。
ふわり、と優しくも柔らかな風が二人を包む。
眩しい光から避けるように目を閉じ、頬を撫でる風がやむのを待った。
身体が浮遊感を覚え、アイリスを落とさないよう抱く手に力をいれる。
「貴方様ならば、命を賭して我が姫をお守りくださるでしょうか……?」
いきなりポツリと聞こえた聞き覚えの無い、やや低音のその声に、眩しいながらに瞳を開けて声の主の方へと顔を向ける。
あまりの眩しさに視界がチカチカするが、辛うじてその声の姿が見えた。
カイムがいるはずの場所には、カイムではない誰かの姿。
新芽色の光がその身を包みこみ、身体の曲線を隠しているから男女の区別はつかない。
茶の髪が風になびき、顔が上半分ほど隠れていたから顔もわからなかった。
顔のパーツで解ったのは、口元は弧を描いていたということだけ。
直ぐに眩しさに目を閉じてしまったから、ほんの一瞬垣間見ただけだった。
しかし、その姿はどこかで見た事があった。
弧を描いていた薄い口元にも、見覚えがある。
―――どこで見たんだったか?
カイムはどうしたのか、あの誰かは何者か。
これからどうするか。
様々な悩みを心に抱えて、グラティスは新芽色の明るい移動魔法に身を委ねた。
腕の中で眠るアイリスを大切に抱きしめて―――……。




