虹の危機に現れる榛
溜めに溜めた魔力の塊を、鈍いながらも銀に輝く檻に投げつけた。
檻に当たった塊は檻を破壊した―――のではなく、何故かそれを投げた相手、つまりアイリスへと弾き返した。
「えぇっ?!」
咄嗟に、でたらめ魔法を駆使して結界を張り命からがら難を逃れるも、破壊する為の魔法と守る為の魔法が争い、大きな爆音と砂煙を上げてアイリスを襲った。
身を防御してくれる結界は消え去り、小さな身体は吹き飛ばされ、したたかに尻を打ち付けて地面へと着地した。爆風で煽られた木の枝や石つぶてが腕や顔に当たりそこが赤くなり、うっすらと血が滲む。
「いったぁ……!! どうして跳ね返ってくるのっ!」
今まで最強魔法と自負していた『でたらめ魔法』。それが効かない悔しさと、痛みで涙が出てくる。
苛立ち紛れに、未だに金色に輝く瞳を檻へと向けたが、見るのではなかったと後悔することになった。
「……何で傷一つ、ついてないわけ?! あんなに大きな塊をぶつけたのに」
ドクドクと妙に速い脈を感じつつ、頭に昇った血が急降下していくのがわかる。
胸についていた魔法と同じなら、ヒュドラがやって見せたように魔法でねじ伏せ破壊できると思った。
砂を握りしめ、相変わらず銀の光を放つ檻を見ながら、小さな頭で考える。
―――檻を壊すのを諦める?
―――ううん。そんなことできない! ヒュドラと約束したもの。精霊との約束は絶対守らなきゃいけない。
―――何より、私自身が水竜の魂を送り出してあげたい。
考えは纏まった。纏まったというより、決意したといった方が正しいかもしれない。
やっぱり、することは一つだ。
「……もっと大きい魔法なら、壊せるかもしれない。建物や地面をえぐるほどの大きな魔法なら……」
でたらめ魔法ばかりに頼るのではなく、もっと魔法の勉強をしておけばよかった。
そうすれば檻にかかった魔法を解除する事も出来たはず。
後悔の念を心の奥底に押し込み、次の爆風が来ても耐えれるように足を開き踏ん張る。
両手を前に突き出し、ひたすらに檻を破壊する事を考えて魔力を集める。
身を守る防御魔法なんか要らない。その代わりに、破壊する力にまわそう。
さっきよりも、大きな魔力を。
さっきよりも、大きな破壊力を。
全魔力を使ってもいい。だから―――……、
二度と瞳を開く事が無い竜を閉じ込め続ける、残酷で冷酷な檻を破壊する力を……!
アイリスの心に呼応するように、周囲にいた精霊達が彼女の魔力に次々と力を注ぎこんだ。
爆発寸前まで膨れ上がった膨大な魔力は、アイリスの手を離れて水竜の眠る檻にぶつかり、虹色に輝く。
―――しかし、先ほどと同じように跳ね返り、持ち主の懐へと飛び込んでくる。
檻を壊そうと全魔力を使ったアイリスには、成す術がない。その証拠に、彼女の瞳は薄い榛に戻っている。
絶体絶命の状態に力が抜ける。
へなへなと地面へとへたり込むと、やがて来るであろう衝撃に身体を硬くした。
(ごめんなさい。お義父さん、お義母さん、ローラ、……グラティスっ!)
成す術も無い巨大な魔力に死を感じ、義父母と妹、グラティスに謝罪の言葉が浮かんだ。
怖い。
心と本能が『逃げろ』と警鐘を鳴らしている。しかし、手や足は力が入らずどうしようもない。
目の前に来た破壊するための残酷な虹色の光が、アイリスを飲み込もうと迫りくる。
あまりの恐怖に目を固く閉じ、顔を逸らした。その時―――、
「アイリスッ!!」
生命の危機を感じた者を助けるスーパーヒーローさながらに、茶の髪を振り乱した少年が現れた。
彼は瞬時に呪文を唱え結界魔法をアイリスを囲むように張ると、彼女を庇うかのように前に進み出て地面に手を付き、次なる呪文を唱えた。
「―――地の楯よ、迫りくる神の色をも阻め!!」
途端に土が盛り上がり、川の中州に大きな土壁ができ上がった。
間一髪といった状態で、虹色の魔力の直撃を回避できた二人だったが、虹色の魔力は土壁をも壊そうとジワリと浸食している。作ったばかりの魔法の楯は、襲い来る虹の魔力に耐えれないと伝えるように、細かい亀裂が入った。
もはや、粉砕寸前と見て取れる。
その状態を察知したグラティスが珍しくも舌うちすると振り向き、力の抜けきったアイリスを視界に入れて叫ぶように呼びかけた。
「俺の力が足りない! アイリスが持つ全部の精霊を呼んで、別の場所に移動するんだ! ―――早くっ!!」
普段見せる事の無い、危機迫りっぷりに頭が真っ白になった。
だから、呼んでしまった。
「カイム!! ―――ヒュドラ!!」
蒼い色が特徴で見目麗しいお茶を淹れるのが巧い、使役精霊でもない者の名を……。
名を呼んで直ぐに現れたのは、手乗りサイズの女児妖精で新芽色のカイムだった。
「―――ああ、我が姫っ!! やっと呼んでくださったのですね!! 今すぐにお守りいたします!!」
現れるや否や、状況を察知していたような動きでアイリスを守るべくグラティスの隣に向かうと、能力の『皆無』を使った。
その小さな身体では考えれない事に、手が触れただけで土壁を無かった状態にした挙句、土壁を浸食していた虹色の破壊魔法をも、その手が触れるだけで何も無かった状態に―――つまり、消したのだ。
『皆無』とは、まったく存在しない事。名前負けしない、とんでもない無敵能力だと思う。
「……カイムってすごい精霊だったんだね……」
はぁー、とアイリスの安堵の息が、静けさの漂う川の中州に響いた。
危機的状況に来てくれたカイムとグラティスにお礼を言おうと見上げたが、二人はアイリスの後方を危機感を孕ませながら睨むように凝視していた。
そういえば、後方から刺すような視線を感じる。
つ、と後ろを振りむいたアイリスの目に入ったのは、自分の使役精霊でも無いのに咄嗟に呼んでしまった蒼い精霊だった。
直ぐ後ろにいたのに、全く気付かなかった。
ヒュドラは腕を組みつつ足を広げて立ち、いわゆる仁王立ちというものをしている。その表情は、眉間にしわを寄せ、口を引き結び勝手に名を呼んだ事に対する怒りが見て取れた。
でも、名を呼んで彼が来てくれた事実に、アイリスは嬉しくなった。
驚いていたが、非常識な事に口が緩んでいくのがわかった。
彼は『王の庭』で言っていなかっただろうか。
―――「俺が認めた奴じゃなきゃ、呼んでも答えてやらない」と。
アイリスの考えている事がわかったのか、緊張感漂う場ながら、淡く微笑む彼女に向かいヒュドラが口を開いた。
「……認めた訳じゃない。ただ、あの名前を読みとった初めての人間だし、一度くらいは答えてやろうと思ってただけだよ。……第一、馬鹿じゃないの? 自分の魔法が跳ね返ってくる事を経験しておきながら、二度目は更に大きい魔法を打つなんて」
「もしかして、見て……た?」
「何もせずに逃げたら、水攻めにしてやろうと思って見てた。檻の魔法を見たら対策を練るために一旦、家に帰るとばかり思ってたんだけど。檻の中で動かない竜を見て、君は無謀にも力技で壊そうとした。一度ならず、二度までも。二度目は全部の魔力を使って。……アホだろうと思ったよ」
相変わらず眉間に皺を寄せてアイリスにきつい言葉を投げるヒュドラ。
しかし、アイリスは今ので察してしまった。
ヒュドラは、水竜が永遠の眠りについているのを知っていた、と。
しかも檻の魔法まで知っていた。
知っていたなら事前に教えていて欲しかったと思う。
でも、教えてもらっていても、檻の中で永遠の眠りにつている惨い状態の水竜を見たら、多分同じ事をしたとも思う。
「『何年かかってもいい』って言ったのは、檻の魔法を知っていたから?」
若干恨みがましい視線を向けて、ヒュドラに答えを求めた。
「そう、知ってたよ。この魔法は、君の刻印と違って複雑だ。俺なら力技で壊せるけれど、『決まり』でそれができない。君みたいな人間が檻の魔法を解除するには、それなりに学ばなくてはね。だから、何年かかってもいいと言ったんだ」
アイリスの後ろにある檻を陰った蒼い瞳でみつめたヒュドラは、どこか嬉しそうであり、悲しそうだった。
もしも、この水竜の檻を壊せなかったら、友人の事を思い出す度に、美しい蒼い瞳を陰らせ続けるのだろうか。
彼が思い出す友人は、檻の中で片翼が無くなり、ボロボロの状態で永眠する姿。
……そんなのは、悲しすぎる。
だったら―――!
「ちゃんと勉強して、また戻ってくる。何年経っても、何度挫折しようが、絶対にここに戻って檻を壊す! 壊すまで絶対に諦めないから! ……水竜の魂を絶対にあの場所に送るから、待っていて」
そうは言っても、問題は山積みだ。
皇妃と皇帝をある意味敵にまわしている今、家に帰る事が出来るのか、とか。
勉強を教えてもらえる予定の義父は、味方なのか、とか。
そんな事を考える状態なのだ、と思うだけでもアイリスの瞳に涙が再び出てきそうだ。
言葉だけは立派な啖呵を切っておいて、項垂れるアイリスが可笑しかったのか、それとも、心の中身を全部読んでいたのか、ヒュドラから小さな笑い声が聞こえた。
「……待ってるよ」
頬に落ちる一つの口づけ。それと同時に、頭に大きな手が落ちた。
それは優しく、アイリスの傷ついた心を慰めるように撫でた。
今のは正に、感動の場面だったはずなのに、何故かアイリスは後ろに腕を引かれた。
頭に乗せられていた手は払い落され、ヒュドラが掠めた口づけの部分は、腕を掴んでいる者の袖によってごしごしと拭われている。
おや? とした表情を見せるヒュドラを無視し、グラティスは不機嫌な顔をしながら、ひたすらに小さな頬を磨き続ける。
ごしごし、と。
磨き続けても陶器の様に光らないのに、磨き続ける。
カイムも無言で飛びながら、ひたすらに磨かれ続けるアイリスの頬を見ている。
もっとやれ、と言っているようだ。
「グラティス、……痛い」
ひりひりする頬を思うと、もっと言ってやろうと思うけれど、カイムとグラティスの表情を見る限り、あまり言葉を言わない方が良いと思うアイリスであった。




