ムーア
素人作ですが投稿してみました。内容はわかりにくいかもしれませんが、読み流してください。
「ムーア」
それはこの世そのもの
すぐそこにあってないもの
目には見えないし感じることもできないが、確かにあるもの
宇宙はムーアの中から生まれ、ムーアの中にある
『カラン』という音を立てて扉が開かれ、買い物袋を手にした主婦が入って来た。その反対の
腕の小脇に抱えた箱が少し邪魔なように扉を肘で押し開けている。
「いらっしゃいませ」
私は久しぶりの来客に優しく声をかけ、最良のサービスの笑顔で出迎えた。彼女はカウンター
の前まで重い足取りで到達すると、いきなり「ドスン」と袋をその足元に落とし、
「ふぅ〜、先に買い物なんて行くんじゃなかったわ」
と、疲れたように一息吐き、小脇に挟んだ箱をカウンターの上に置いた。そしておもむろに箱
の蓋を持ち上げて外すと大切そうに中の物を取り出した。それは蓋に花びらのような象嵌が施
されたシリンダータイプのアンティークオルゴールだった。
「おばあちゃんが先日亡くなってこれを形見にって貰ったんだけどね」
彼女はオルゴールの蓋を持ち上げてレバーを引き上げようとするが、それはオルゴールの音色
を奏でるのを拒否しているかのようにビクともしなかった。
「ね、誰も手入れしていなかったからヘソを曲げちゃってるのよ。でも、せっかくだからこれ
の音を聞いてみたいのよね」
と言って両手でオルゴールを持ち上げ、それを私の方に差し出した。私は彼女のひょうきんな
仕草と言葉に口元を緩ませるとそれを受け取り、
「しばらく預からせて頂きます。見積もりが終わりましたら御連絡致します」
と、決まり文句を言いながらオルゴールを丁寧に箱の中に戻した。それから連絡先を聞いて預
かり書を渡すと彼女はその預かり書に目を通しながら
「修理の腕はいいって聞いているけど、あまり高くなるようだったら諦めるわね」
と言って重そうな袋を持ち上げ、反対の手を払いのけるように振って帰っていった。
『もう夕食時か・・』
窓から見える海の景色が夕焼けから闇へと変わる濃紫色を醸し出している。そのラベンダーの
花畑のように静かに揺れ光る海にしばらく見取れていた。
『もうどれだけ時が過ぎたのだろうか』
それは永遠とも思える虚しい自分の過去を思い出させた。
『いったい私は何者なのだろうか』
それは幾度となく繰り返された自分への疑問だった。自分は自分であって自分でない。それは
うっすら気がついていたのだったが、何故この世に生み出されたのだろうか?誰が、何の目的
で?そして私は今や只この謎を解くために生きているようなものだった。
私の名前はヨシュア、姓はない。この村では記憶喪失ということになっていた。
肩に届く程の黒髪に茶色の瞳、中肉中背とどこにでもいそうな普通の20歳後半の青年だ。
3年前、海辺の浜に打ち上げられているのを村人に助けられ、そのまま<なんでも修理店>を
始めるといつしかこの村に馴染んでいた。本当は海辺で気持ちよく寝ていただけなのだが・・
村人があまりにも親切だったので、そのまま居ついてしまったのだ。
光が刻々と変わる様をぼんやりと眺め、海が闇の中に吸い込まれるように消えると、店を閉め
て出かけた。行き先は行き着けの酒場だ。この村で唯一のその酒場は小さな村の集会場のよう
な所で、仕事が終わった村人が気晴らしに軽く顔を出しに来てはその日の出来事を話していた
のだった。私は店の一番奥のテーブルのいつもの席に座り、キープしていたボトルを空けなが
ら村人の井戸端会議に耳を傾けていた。
「この間の地震で神殿の基礎にヒビが入っただろう?今それを修理しているんだが、なんか不
吉だよな〜」
図体のデカイ大工風の男が少し怯えたように話していた。それは、村で今一番話題になってい
る話しだった。
「でも、神剣は無事なんだろう?」
その大工といつも呑み話している友達が心配そうに聞いた。
この村は海に囲まれた土地のため、神殿は海王神を祭っていた。そして、その神殿の中央には
誰も引き抜くことは出来ない真剣が突き刺さっていたのだ。それは昔、悪魔を追い払った時に
海王神が突き刺したものと言い伝えられ、その神剣が突き刺さっていることで魔物からこの村
を守っていると信じられていた。実際、周辺の村は魔物に襲われることがあってもこの村は無
傷だった。
「神剣自体には影響はないが、かなり奥までヒビがはいっちまってる。修理するにも基礎を取
り替えないといけないのだが、それは無理だからなぁ。回りの補強くらいしかできないんだ。
今度地震があったら神剣も危ないかもな・・」
この辺りでは滅多に起きない地震にもかかわらず巨大な神殿の真ん中にどうしてヒビが入って
しまったのだろうか?それは誰かの仕業ではないのか?神剣でさえも阻止できない魔物なのだ
ろうか?と村人達の不安は大きかった。
「も、もし、神剣に何かあったら俺達はどうなるんだ?この村には対魔師はいないからな」
対魔師とは生まれながらに持った特殊能力者のことで、その能力を訓練によって極限にまで引
き出し唯一魔物と戦える人間なのだが、その数は少ない。殆どの対魔師は大きな町のお抱えと
して雇われているため、こんな小さな村に来ることはなかった。
「まだどうにもなってないから心配するなって。それに何かあれば隣町にいるリュオン様が助
けてくださるさ」
リュオン・リュシュカは隣町のお抱え対魔師だ。彼は対魔師の中でも1、2を争う能力者でパ
ープルアイを倒した経歴の持ち主でもあった。因みに魔物にはランクがあり、下からブラック
アイ、パープルアイ、ブルーアイと3ランクに分かれていた。文字通り目の色でその魔物の力
がわかるのだが、対魔師が相手にできるのはブラックアイのみで最上級対魔師でもパープルア
イに対抗するのがやっと、その上のブルーアイは魔王クラスの魔物だからそれは人間の能力で
は倒すことは不可能だった。魔物達は普通は魔界で暮らしているのだが、魔界からはじかれた
弱い魔物が時折人間界に姿を現しては悪さをしていたので、ブルーアイが人間界に姿を見せる
ことは殆んどなかった。
「ヨシュア!」
コップに注ぐのが面倒くさくなり酒を瓶からラッパ飲みしている私の横から声が響いた。
「よぅ!アレック調子はどうだい?」
それはこの町の漁師頭の息子のアレック・レングスで、私の飲み友達の一人だ。
彼は隣に座ると、酒を注文しながら
「最悪だ」
と言って私が使っていた空のコップを手に取り見つめていた。私がそこに少しばかりの酒を注
ぎ、彼が喉を潤すと話し出した。
「あの地震以来この近くの海からは魚の影が消えちまったんだ」
漁師風の日焼けした顔が曇った。
「おかげで遠くまで遠征しなけりゃ漁ができなくてね、今日は数日ぶりに帰ってきた」
私が大変だな、と言うと、
「そんなに呑気に構えている場合じゃないかもしれないぞ」
彼の顔が急に真剣になった。
「何かが変だと思わないかい?魚の姿がまったくないんだぜ。村に戻ってきて変わりがないか
ら安心したが、この近くに魔物がいることは間違いないと思うんだ」
自称、魔物大辞典という彼が机を軽く叩きながら自身ありげに言った。といっても実際魔物に
遭遇したことはないらしいのだが・・
「この村は神剣で守られているからいいけど、海では生きた心地がしなかった。しばらくは漁
にも出られないし・・とりあえず親父が村長の所に行ってこの異変を報告しているみたいだ」
日に焼けて赤茶けた髪をかき上げながら注文した酒がテーブルに届くとグラスに注いでいた。
そしてそのグラスを一気に飲み干すと呟いた。
「しかし・・・これだけの影響力があるのはパープルアイのような気がするな」
「もし、そうだとすると・・この村は大丈夫だが他の村や町が襲われたら大惨事になるぜ」
私は相変わらず酒をラッパ飲みしながら彼の長話をじっと聞いていた。
「以前パープルアイに襲われた村を見たことがあるが、そこはもう地獄だった。村は跡形も無
くなっていたし、半径5Kmくらいはすべて焦土と化していた。あいつら半端じゃねぇ」
それからは酒を一口二口飲みながら魔物ウンチクが始まった。
「ブラックアイは特定の対人対物攻撃だがパープルアイの攻撃は周辺にまで影響が及ぶんだ。
そして、その威力は桁違いにすごい。奴らの本能は破壊と殺戮だから狙われたらおしまいだ。
本能は力が強ければ強い程強くなるらしいから、ブラックアイの中にはおとなしいのもいるけ
どパープルアイはすべて凶悪だと思っていいだろう。奴らは慈悲や哀れみや喜びの感情なんて
全くなくて、不快、憎しみ、欲望のみの感情で動いているから命乞いや交渉などは無駄なんだ
対魔師は『殺られる前に殺らないといけない』と言っているし、躊躇すればそこで負てしまう」
「だから先に奴らを見つけて退治しちまわないとな」
アルコールが回ってきたのかアレックは饒舌になってきていた。
「リュオン・リュシュカか?」
口数少ない私が言葉を発すると
「今、一番近くにいる対魔師は彼だけだろう。彼ならパープルアイと戦った経験もあるし、能
力もある。ただ、彼を雇うとなると、法外な金額が必要になるからな。この小さな村でどうや
って工面するかだ。まぁ、ここの村が襲われることはないから、町で対策を練ってくれればい
いんだけど、魔物の存在が確実で襲われる可能性がないと動かないだろうし。それまで俺達漁
師は海にも出られず待ってないといけないってことか・・」
アレックは遠くを見てボーっとしたように話していた。
私は彼の話を聞きながら空になった瓶をテーブルの上に置くともう1本追加した。
「ところで、カイラには会ったのか?」
魔物の話には興味がない私は話を変えた。カイラはアレックが思いを寄せている女性で花屋の
娘だった。
「明日顔を出してみようかな」
アレックは少し照れながら煙草を取り出していた。それは今までとは違って甘い雰囲気に一変
して、取り出した煙草に火を点けると大きく吸い込んでゆっくりと吐いた。
「でもさ、カイラは俺のこと友達としか見てないんだ。・・どうも彼女には好きな人がいるら
しいんだが、それが誰なのかわからん。今付き合っているわけではないらしいから、まだ俺に
もチャンスはあるだろうけど、強引に迫って嫌われると嫌だし、辛いところだよな・・」
俗に言う片思いというものらしい。彼とカイラは幼友達で長年よい友達関係だったから、一歩
踏み込むことでその関係が崩れることを恐れている様子だった。私は彼のその複雑な胸中を考
えていた。好きを超えて愛するというのはどんなものなのだろうか?それは人間の本能が成せ
る技なのだろうか?誰かを愛したことがなかった私には不思議な感情としか思えなかった。そ
れ故にこういう話題は好きだった。
「俺が聞いてやろうか?」
煮え切らない彼の態度にヤキモキして言った。
「いやいい。こういうことは知らないほうがいいことだってあるしな」
勇猛果敢な海の男に似合わず臆病な彼。愛とは猛獣を子犬にしてしまう呪文のようだった。
「そんなことを言ってたら俺が取っちまうぞ」
そんな彼を見ていたら少し苛めたい気分になった。そのふてぶてしい私の態度を見てアレック
はニヤッっと笑うと
「取るなら取って見ろ、おまえを海の主の生贄にしてやる!」
と詰め寄った。さすが、海の男を怒らせると怖い。
「怖!」
私は冗談だよと言って笑った。
数日後、隣町からリュオン・リュシュカがやってきた。村長が最近の異変を隣町の町長に話し
て、もしかしたら町にも影響が出るかもしれないから調査をして欲しいと頼んだのだった。
「リュオン様が来た!」
とのことで村中は大騒ぎとなり、村人は彼を一目見ようと彼のいる広場に集まっていた。彼は
石造りの神殿のヒビが入った基盤の前に立っていた。肩まで伸びる金髪の髪、切れ長の海色を
した目、整った顔立ち、すらっとした無駄のない長身、彩色を施されたロングコートを纏い、
先端に虹色の宝石が嵌め込まれている1m弱の見事な装飾を施した杖をその手に持っていた。
・・・と物語にでも出てきそうな俗に言う美形だ。神殿の前に立っている姿はさながらアポロ
ンを思わせるように優美だ。
彼はその容姿に見とれている村人達の視線を気にする風でもなく、じっとそのヒビを見つめて
いた。そして表情も変えずに身を翻すと神剣の間へと移動し、神剣の前に立つと手にした杖を
構えた。そして何やら呪文を唱えだすと神剣がそれに呼応するかのように振動を始めた。
『ビンッ!』という音のような振動が辺りの空気を伝わり、その場にいる人の体の中まで浸透
してくるような感じを受けた。
『あっ、やば!』
私はその振動に身震いをして一瞬身体を硬直させた。それは身体の奥底の何かを引きずり出す
ような感覚を与え、必死にそれに耐えていた。
リュオンの呪文はさらに激しさを増し、振動も強くなっていった。それは辺りの海をも包み込
むくらいまでに達すると、急に神殿の様子が一変した。
回りの空気が神剣に吸い込まれるように渦を巻き、それに吸い寄せられるように魔物の姿が現
れたのだ。村人達はいきなりの事態に驚き、神殿の外へと慌てて逃げ出していった。
魔物の姿が最初は蜃気楼のようなものだったのがやがて実態を現すと、リュオンは別の呪文を
唱え始めた。
魔物の足元に不気味な紋様が表われ、そこから発する光が魔物を包んだ。が、次の瞬間魔物の
目が『カッ!』と見開くと魔物の全身から発するエネルギーがリュオンめがけて一点に集中した
と、リュオンは『ヒラリ』とその攻撃をかわし神剣に杖の先端の宝石を添え、今度は短い呪文
を唱えた。
神剣の振動がとたんに最強となり、そのエネルギーは杖の宝石で増幅され魔物に直撃した。
一瞬、辺りの空気はその振動と衝撃で魔物の体を押しつぶすかのように歪み、
『ドゴン、バチバチッ』
という音と共に魔物の体が倒れた、が、殺すまでにはいかなかった。
リュオンの額から汗が流れ、その目は驚愕の色を映し出していた。魔物の姿は人間と変わらな
いくらいの大きさなのだが、鋭い爪と鋭い牙を有し、残虐そうな目はブルーを帯びたパープル
アイだったのだ。
神剣の呪縛と呪文で表した封印の紋様で、たぶんその力は半分以下になっているはずなのだが
にも拘わらず神剣の力を最強に引き出した攻撃にもビクともしていなかった。とりあえず、神
剣と紋様で魔物はその場を動けないでいるらしかった。そしてそれを解したリュオンはすかさ
ず攻撃を繰り返した。
神剣の能力を最強に引き出すためにはリュオン自身もかなりの体力と気力を必要とし、神剣の
発する振動は彼の体力をも消耗させた。彼の容赦ない連続攻撃で魔物は反撃出来ないでいたが
これはもうリュオン自身の体力勝負となっていた。
『どうしたら・・他に倒す方法はないのか?』
方法は一つだけあるにはあったが、それは禁断の呪文だった。自らの命と引き換えに相手を倒
す呪文で、これは最終手段でしかない。しかし、この魔物を倒すにはそれしか方法がないと悟
ったリュオンは呪文を変えようと態勢を整えた。が、その一瞬の隙に魔物が反撃してきた。
『しまった!』
次の瞬間リュオンの身体が粉々に跡形もなく消え去る光景が脳裏に浮かんだ。
「プチッ!」
その音は豆が弾けるような(リモコンで電源を切るような)軽い音だった。
その音と共に、魔物が発した攻撃は辺りの空気に吸収されるかのように掻き消え、そして魔物
自身もまるで風船が破裂したかのように消滅した。
『なんだ?』
その信じられない終末にリュオンは戸惑いを隠せなかった。明らかに何か他の強い力が関与し
たのはわかるのだが、回りを見渡しても神殿の静寂のみがあるだけだった。そして、その真ん
中に神剣が突き刺さっているだけだった。
『神剣の力か?』
その不可解な結末に説明がつかないまま戦いの後の静寂を背にして神殿の外に出た。
「ワァ!」と言う村人の歓声が一斉に沸きあがり、リュオンを取り巻いた。その村人達の喜ん
でいる様子を見て、
『とりあえずパープルアイは消滅したのだからいいか』
納得いかないまでも、ホッと胸を撫で下ろすと村人の誘われるまま酒場に向かった。
酒場は御祭り騒ぎだった。が、体力に限界を感じたリュオンはそのまま宿に帰り熟睡した。
彼は次の日の夕方まで熟睡すると、まだボーとする頭で酒場に行った。村では彼は英雄になっ
ていた。道行く人からの感謝の嵐。酒場に入ると最高級酒に料理が振舞われた。リュオンはな
んとなく喜べないままその歓迎に浸っていた。もともと表情をあまり顔に現さないリュオンは
村人達の楽しんでいる様子を見ながら淡々と食事とアルコールを頂いていた。
『リュオン』
それは、いきなり頭に響いた。回りを見渡したが、誰も呼びかけている様子はない。気のせい
かと思い、またグラスを傾けると、
『リュオン』
今度は気のせいではない。リュオンは立ち上がると回りを探した。
『誰だ?』
店の中は歓喜に沸いて歌い踊っている人達と酔っ払いばかりだった。リュオンは一人一人確認
するように見回ると隅のテーブルで酒を飲みながら彼をチラチラと見ていた私に気がついた。
そして訝しげにテーブルの前に歩み寄り
「俺を呼んだか?」
眉を顰め、疑いの目を向けながら聞いてきた。私は酒瓶をテーブルの上に置いてからゆっくり
立ち上がり、彼の海色の目を見て
「・・・頼みがある、後で俺の店に来て欲しい」
と言って酒場を後に店に戻った。
それからしばらくして店の扉が開いた。リュオン・リュシュカだった。
彼は私をジッと見ると
「能力者か?」
と聞いてきた。私は首を横に振り、
「いや、違う」
と答えるとリュオンに椅子を勧めて話を始めた。
「助けて欲しい」
このいきなりの漠然とした理解できない言葉にリュオンは
「何を?」
と言うしかないだろう。
私は椅子の背をギュッと握り締めた。
「苦しいんだ・・・そろそろ限界で・・・神剣の共鳴がさらに俺の中の悪魔を甦らせるのに拍
車をかけたんだ」
その言葉に驚きを隠せないでいるリュオンの目を見つめて
「俺を封印するのを手伝って欲しい」
と、頼んだ。リュオンは切れ長の目をさらに細めて呆れたように顔を横に向けると、
「悪魔?」
信じられないとでもいうようにクスッっと笑い
「冗談はよせ、そんな人間臭い悪魔なんて見たことがない」
「気がふれた変人の相手はごめんだ」
と言って、椅子から立ち上がり帰ろうとしたが、その前を私が立ち塞いだ。
「信じられないかもしれないけど・・・」
こうするしかないと悟ると、私は内なる封印を解いた。
黒髪は銀色へと変化してその長さは足元まで伸び、鋭い爪と牙を剥き出しにすると、形相は一
変してそれは悪魔へと変わった。そして邪悪な目は緑色の光色を放っていた。
リュオンはおもわず部屋の壁の隅まで後ずさりをしたが、この状況では何をすることもできず
まるで金縛りに合ったかのように動けなかった。
「グリーンアイ・・・まさか!」
驚愕の顔は私の姿を凝視して、数センチも動かせないでいた。
「この500年封印を解いてなかった。だいたい限界の周期が500年くらいだから、そろそ
ろだと思ってはいたのだが、おまえが魔物を引き寄せるために神剣を振動させたことで、私の
中の魔もそれに反応してしまったのだ」
私が恐怖で張り付いている彼の顔を見ながら話し出すと、リュオンはゴクンと生唾を飲み込ん
だ。彼の恐怖が極限に達しているのは理解できたが、私はゆっくりと話を続けた。
「悪魔の本能を解き放てば私はどうなるかわからない。この世界を消滅させてしまうかもしれ
ない。このまま封印したままでいられればいいのだが、そろそろ限界だ・・私が本性を表した
ら、おまえの力で私の人間としての理性を引き戻してほしい」
リュオンはその突拍子も無い話に信じられないという顔をしていた。
「ど、どうやって?」
凍りついたように身動きせず聞いてきた。
「わからない。とりあえず、全身全霊で私の力を封印するように努力してくれ」
彼はそれを聞いて眩暈がしように
「パープルアイでもやっとなのに・・無理だ・・」
それはわかりきっていたことだった。私の力はブルーアイのそれを上回り、自分でもわからな
いくらいの無限の力だった。それを優秀とはいえ一人の人間が抑えることなど不可能と考えて
もいい。
「でも、誰かにいて欲しいんだ」
「正気を失った私はお前を殺すかもしれない。でも、私もできるだけ努力はする。この巨大な
力をまた封印に戻すのはかなり大変なことはわかっているが、それをやらなければすべての世
界が消え去ることになるんだ」
「何か、戻るきっかけがあればいい。その為にお前の存在が有用になるかもしれない」
リュオンは心の臓が飛び出すかと思われるぐらいの勢いで拍動しているのを感じていた。
伝説のグリーンアイ。それは魔界最強、最も邪悪で恐れられている存在だった。伝説では古の
昔に魔界を消滅寸前まで破壊したとされ、大神の力をもってしても消すことが出来なかった悪
魔である。ただ、魔界を消滅させる寸前に姿を消し、その後は時々現れることはあっても何処
で何をしているのかは誰にもわからなかった。
「なんで、人間に?」
そんな悪魔に対してそれは当たり前の質問だった。
私は大きく溜息を吐いた。
「普通の悪魔は、本能のままにある程度の破壊と殺戮をすればその欲求を満足させることがで
きるのだが、私の場合は違う。血が血を呼び、破壊すればするほど喉の渇きと餓えが強くなり
『もっと、もっと』とさらに要求するようになってしまうのだ。古の昔そんな自分に気が付き
このままいけばすべての世界を消滅させてしまうと感じたため、それからは自分の欲求を抑え
るように心掛けた。それは殺戮と破壊の本能をも封印することになるため、魔界より人間界の
方が都合がよかっただけだ。次第に人間の感情をも理解出来るようになり、人間として暮らし
ている間は悪魔としての自分を忘れられることができるようになった。でも、人間の3大本能
と同じ本能をずっと抑えているのには限界がある。人間でも3日も食べなかったら我慢できな
いだろう?それと同じだ」
リュオンは私が話している最中も微動だにしなかった。それは魔物の前では隙を見せない対魔
師の本能のようなものだった。
「人間の感情がわかるのか?喜びとか哀れみとか・・」
魔物にはそういう感情が無いことはさすがの彼は知っていた
「最初は理解不能だった。魔物にはその感情がまったくないからな。人間に興味を持ち一緒に
暮らしていたら、なんとなくわかるようになってきたのだが、愛だけはまだよくわからない。
たぶん私は他の魔物とは違うんだ。緑の目の色や、桁外れな力や、無限に要求する本能、人間
の感情を理解できる心など・・・最近は自分が何者なのかさえわからなくなってきている」
私は俯きながら喋っていた。そして彼を見上げ、伺うようにして見た。
リュオンは緊張がほぐれてきたのか、少し息が荒くなっていた。そして何回も瞬きをすると頷
づき、思い出したように
「昨日のパープルアイはおまえの仕業か?」
と、少し体を動かし、リラックスするようにして聞いてきた。
「あぁ、そうだ」
と答えると、『やっぱり』と言いたげに目を細めた。
「助けてくれたのか・・」
「あれは、おまえの力ではどうにもならないからな」
と言って私は少し微笑んでみせた。
「たぶん、神殿の下に封印されていたのが地震でヒビが入り、弱くなった所を出てきたんだろ
うことはわかったのだが、まさかブルー混じりのパープルとは思わなかった」
彼は少し体の力が抜けてきたのか、話をするようになった。
「おまえがいなかったらあそこで死んでいたな・・」
彼も少し笑みを浮かべた。そんな彼に
「協力してくれるか?」
身を乗り出して懇願するように聞いた。
「いつ?」
「おまえの準備が整ったらいつでも。でも1週間以内だ。それ以上はもたないからな」
彼は何回も頷くと、帰ってもいいか?と聞くように扉を見た。私はどうぞと言うように手を扉
のほうに差し出すと、彼はゆっくりと立ち上がり出て行った。
『血が欲しい・・・』
喉の渇きは極限まで達していた。下手すればすぐにでも村人を襲いかねない程に・・
『リュオンは来るのだろうか?』
恐れを生した彼は逃げたかもしれない。もし、彼が来なければ、私は一人で戻れるだろうか?
今までも人間の存在が私を引き戻してくれたのだ。誰かいて欲しい・・でないと私は・・
それから5日後にリュオンは店に現れた。
「しばらく町を出ると言ったら大変な騒ぎで、撒いてくるのが大変だった」
彼は逃げたわけではなかった。しかし、もう時間がない。早速彼に準備がいいかと聞くと。
「魔界に飛ぶ」
と言って魔界にワープした。そこは光のない闇の世界。リュオンは真っ暗な闇の中では何も見
えてなかった。私は彼の目に手をかざすと彼が闇の中でも見えるようにした。
そして、まだ正気がある内に彼の回りに結界を張り、安全を確保すると内なる力を解放した。
それは今まで抑えつけられていた巨大なエネルギーが爆発するような勢いで回りの全ての物が
吹き飛んだ。瞬時に魔界の地平線までが焦土と化し魔物達の姿も跡形も無く消えうせていた。
グリーンアイの復活だった。
それは単なる私の本能の欲望の開放の始まりでしかなかった。そのまま上空に飛ぶと、もはや
抑えることが出来ない力を魔界の魔気をも巻き込み、目に入る全ての構造物を消滅させていっ
た。逃げ惑う魔物も全て血祭りに上げ、その血を喰らった。
『もっと、もっと』
力は増幅する自分の欲望に答えるかのように急激に増強していった。そして、いきなり空間が
歪むと魔界の一部が消滅した。それは構造物の消滅とは違って魔界そのものの消滅だった。
そこの空間には巨大な穴が開いていた。まるで異次元と繋がっているかのように・・
私は微かに残っている正気で『このままだと魔界すべてを消してしまう』ことを感じ、すぐさ
まワープした。そこは亜空間だった。
《点が集まれば線となり、線が集まれば平面になる。平面が集まれば空間となり、空間が集ま
れば時間になる。時間が集まれば・・・・そしてその外は?》
私は持て余している力を全てその亜空間にぶつけた。瞬時にその亜空間は消滅し、次の亜空間
が現れる。そしてさらに時間の集合であるそれらをもすべて消滅させていった。それは、自分
の体からエネルギーを発して壊すようなものではなく、その時空そのものが自分の一部である
かのように消すのだ。
『もっと、もっと、全てを消滅させるのだ』
内なる声が私の乾きをさらに激しくさせる。破壊すればするほど、欲望と力は強くなり更なる
巨大な無数の時空を一瞬で消滅させることになる。すべての宇宙を・・
そうだ・・・
私はすべてを壊すためにこの世に出てきたのだ。悪魔として・・・
私の内なる空間に産まれし時空が邪魔だったのだ。
邪魔だがそれが何かがわからなかったのだ。
それを確め、消し去りたかったのだ。
『・・・・・・』
いきなり私の動きが止まった。私の回りを光が取り巻き、かすかにオルゴールの音が鳴り響い
ていた。それは牧歌的で優しい音色だった。
横を見ると、リュオンが杖を翳して呪文を唱えていた。もはや正気の欠片もなかった私だった
が、その優しい音色に懐かしさを覚え耳を傾けてしまっていた。次第にその音とリュオンの姿
が人間界でのことを思い出させた。リュオンが発する光はなんとも心地よく、私の邪悪な欲望
が薄らいでいくように感じた。
『抑えなければ・・』
頭の片隅で何かを感じた。それはすべてを消滅させろと言う自分の声を侵食してゆくようにゆ
っくりと頭の中に広がっていった。
「リュオン・・・」
私はそこにいる彼が誰だったのかを思い出していた。
『抑えなくては・・抑えろ!』
内なる声が変化した。このまま欲望のままに破壊していったら魔界のみならず人間界まで消滅
させてしまうことは容易だ。正気を少し取り戻した私はそれを理解することができた。
『戻らないと・・』
リュオンは私の動きが止まったのがわかると、更に力を籠めた。そこから私を逃がしてなるも
のか、というように。そんなリュオンの必死の様子に私も彼の作った光と音の世界で心を落ち
着かせようと努力していた。体を強張らせ、巨大な力を押し込めようと背中を丸くして体を縮
めた。それでもまだ外に出ようとしている力と本能を抑えるのに体は振るえ、息遣いは荒かっ
た。そんな極限の状態に耐えている私を見てリュオンはゆっくり近づくと恐る恐る私の肩
に触れた。張り詰めた弦が弾かれたように『ビクッ』と反応すると更に息遣いが荒くなった。
彼が獲物がすぐ傍にいるのがわかり、更にそれに手をかけてしまうことに耐えなければいけ
なかったのだ。にもかかわらず彼は私の体を抱くように背に手を回してきた。
「やめ・・・・」
まだ正気を完全に取り戻しているわけでもない私に近づくなんて自殺行為だったが、それを忠
告しようにも極限の状態の私は声が出なかった。ただ、その状況に耐えるのが精一杯だったの
だ。
が、次の瞬間私は彼を押し倒して胸の服を鋭い爪で破り裂いていた。彼の胸には私の爪跡が刻
まれ、そこから赤い血が滲んでいた。彼は恐怖に震えてはいたが、抵抗するでもなく、そのま
ま私に殺されるのを覚悟しているようでもあった。一瞬脳裏に彼の心臓を抉り出して喰らう私
の姿が浮かんだ。私の中の本能はそうしたいのだが、頭の片隅でそれをしたらもう戻れなくな
ると警告していた。私はその欲求を抑えて、彼の胸の血を舐めるだけで我慢した。
「あぅ!」
彼の線の細い体が少し反ると呼吸が荒くなった。そして彼の手は私の肩を掴んでいた。私はこ
の綺麗な獲物を襲いたい衝動に駆られた。彼の白い皮膚を剥ぎ取り、その血飛沫を浴びたらど
んなにか心地よいだろう。私の中では悪魔の本能と人間の時の理性が戦っていた。
その獲物の体を舐め回すと、手や足から徐々に喰いちぎっていこうか・・・それとも喉元を一
機に噛み切ろうか・・・と考えながら、その一方ではそれを阻止する理性の声が邪魔をした。
この獲物を襲いたい・・・という衝動に駆られながら しかし、彼を襲う衝動を制しているう
ちに人間の理性が悪魔の本能に勝ってきたように少し落ち着いてきていた。私は姿を人へと変
化させてみた。爪と牙は引っ込めたが、目の色はまだ緑を帯びていた。
そして、もはやその美しい獲物を殺すことは考えていなかった。
すぐにワープすると、私の部屋に戻った。
「うわあ!」
彼は裸のまま私のベッドの上に横たわっていた。その状況に彼は急に恥ずかしさが込み上げて
声を出してしまったのだった。彼は少し照れながらそそくさと服を着ると、私の目を見た。茶
色の瞳にはまだグリーンが残っていた。
「大丈夫か?」
と彼は心配そうに聞いていた。
「完全に元に戻るまでは数ヶ月はかかる」
「でも、たぶんもう大丈夫だ」
と言って微笑んだ。
それにしても・・・「なぜ?」
それは、なぜ私の獲物になる覚悟があったのか?と聞きたかった。
彼は顔に薄っすらと笑みを湛えると
「お前を封印すると約束をした。それは対魔師として二言はない。ましてや、お前に狙われて
逃げられるなんて思っていないし覚悟はしていた。それに対魔師としてグリーンアイに殺され
るなら本望だ。しかし、あそこでもしお前が私を殺してたらそれはお前自身の負けだった」
と言い放った。
そして彼は「また何かあったら呼んでくれ」と言って町に帰っていった。
『この世界も悪くはない』
私の内なる声が囁いた。
了