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帝国海軍の鳥好き代将 〜まぬけ鳥を数えて汚名を被っていた将校、海賊艦隊を粉砕する〜

作者: きゅーび
掲載日:2026/04/25

「何を考えてるんだろうね、うちの鳥好き艦長は。辺境に追いやられて拗ねちまったのか?」

「海軍の(アゾール)も、今や落ちぶれて『まぬけ鳥(ブービー)』がお友達ってか」

「アゾール家なんぞ、とっくに終わった家系だろうが」


 真っ青な空と海の只中。

 エスカラーダ帝国の軍艦『勝利せし者(トリアンファドラ)』は、その名の響きに似合わず、死んだように海面を漂っていた。


 この船は「フリゲート」と呼ばれる小柄な帆装軍艦だ。

 戦列を組んで動く巨大な戦艦とは違い、一隻での自由な行動を許されている。

 そのため、手柄を立てて成り上がろうとする若き指揮官たちにとっては、野心を懸けるにふさわしい舞台でもあった。

 だが今、36門の砲は沈黙し、水兵たちはぎらつく太陽の下で不満を隠そうともせずに双眼鏡を覗いている。


「ああ、あそこだ。ブービーどもだ。右舷艦首一点」

「何羽だ?」

「11、12……13羽。左舷後方からも8羽。日誌に記録、2点鐘、西南西にブービー13羽」


 カツオドリ――通称ブービー。

 警戒心の欠片もなく、甲板に降りては簡単に捕まるその「まぬけ鳥」を数えることが、現在この艦に下されている唯一の軍令だった。


「さっさと記録しろ。早く陸に帰って一杯やりたいんだ」


 水兵たちがぼやく中、マストの頂上から、鋭い視線が水平線を射抜いていた。

 艦長、ディエゴ・アゾール。まだ27歳の若き代将だ。

 潮風になびく黒髪と、褐色の肌。そして家系の象徴である、獲物を狙う鷹のような琥珀色の瞳は、周囲のダレきった空気を拒絶するように冷ややかな光を帯びている。


 ディエゴは数週間にわたって、海鳥たちの行方だけを追い続けていた。

 水兵たちだけでなく、通りがかりの商船にまで「鳥を見つけた場所を教えれば賞金を出す」とふれまわる始末だ。

 周囲は一様に、ディエゴの行動を笑っていた。

 名門の末裔が、最果ての海へ飛ばされて頭がおかしくなったのだ、と。


「あーあ、早く帰りてぇ。どうせ死ぬなら女と酒を浴びるほど食らってから死にてぇよ」


 水兵の嘆きをあざ笑うようにしてブービーたちが「グァッ、グァッ」と鳴き声をあげながら飛んでいった。






 太陽の帝国エスカラーダと、リヴォルタ連合。

 両国はいま、激しい大戦の真っ只中にあった。


 かつて「火薬庫」と呼ばれたバラミアン海域で、帝国の商船が撃沈されたのを機に、戦いの火蓋が切って落とされたのだ。

 海が血で赤く染まったと言われるほど、その戦いは凄惨を極めていた。


 だが、主力艦隊がその海域に釘付けとなっている隙に、帝国のもう一つの拠点「サン・ミゲル港」が狙われた。

 現れたのは、悪逆非道で知られるマスティノ率いる海賊団だ。

 彼らはリヴォルタ連合から「私掠免許(ライセンス)」を与えられた、いわば国家公認の海賊――「海の傭兵」だった。


 海賊なら捕まれば縛り首だが、私掠船なら「捕虜」としての権利が守られる。

 そのうえ、奪った積み荷を金に換え、堂々と山分けできるのだ。

 この「合法的な略奪者」たちによって、サン・ミゲル港に向かう商船は次々と食い荒らされていった。


 ディエゴの前任者は、その暴力の前に敗れ、戦死した。

 本国はその後任としてディエゴを送り込んだが、よこしたのは彼一人だけ。増援の船を一隻すら出さなかった。

 広大な海を、たった一隻のフリゲート艦で守れ――それが、ディエゴに突きつけられた過酷な現実だった。


「ディエゴ閣下にご報告いたします! バテラーナ商船は予定通り出航いたしました!」


 トリアンファドラ号、艦長室。

 敬礼とともに儀礼的な報告を終えたロドリゴは、直後にだらりっと姿勢を崩した。


「まったく、港の奴らのいい笑い者になってますよ。ディエゴの坊ちゃんは海賊にびびって餌付けをはじめたぞ、だなんて」


 ディエゴは海図から視線を上げた。

 吸い込まれるような琥珀色の瞳がロドリゴを射抜く。

 隙ひとつなく着こなされた濃紺の軍服。眩いほど白いベスト。名家の気品を漂わせるその姿は、この場に漂う倦怠感を撥ね退けていた。


「構わないさ。笑いたい奴には笑わせておけばいい。大事なのは、最後に誰が笑うかだ」

「そうは言いますけどねぇ、セニョール。喜劇ってのは配役が分かっていてこそ楽しめる。自分が舞台に上がってるなら尚のこと。狂言回しか、それとも死にゆく悲運の騎士か。そいつが分からなくちゃ、酒の味が楽しめない」


 ロドリゴは無精ひげを擦りながらため息をつく。

 35歳の海軍准尉。

 日焼けした肌に赤茶けた髪を揺らす姿は、軍人というより、その日暮らしの吟遊詩人を思わせる。

 名家の末裔であるディエゴと、「海の九官鳥」の異名を持つ口達者なロドリゴ。何から何まで正反対の二人だった。


「相変わらずよく回る口だな、ロドリゴ。報告は以上か?」

「いいえセニョール、俺は冗談みたいな男ですが、今回は冗談だけで言ってるわけじゃありません。いい加減、兵たちに『正解』を教えてやってください。そうじゃないと、連中のヤケ酒を止めるのはこのロドリゴの美声をもってしても不可能です」


 ディエゴはわずかに目を細め、卓上の砂時計を指先で弾く。


「……分かったよ。九官鳥の助言に従おう。だがもう少し時間が必要だ。狂犬が餌に食いつくまで兵たちもお預けにしておこう」

「了解です、セニョール。……いえ、ディエゴ閣下」


 ロドリゴは恭しく頭を下げ、今度は一転して、軍人らしい鋭い足取りで部屋を去っていく。

 その背中を見送りながら、ディエゴは薄く笑みを吐き出した。






 同時刻。サン・ミゲル港より南、数マイルの海上。

 私掠船『復讐せし者(ヴェンディカトーレ)』甲板。

 海の狂犬と悪名を轟かせたマスティノは、水平線を悠々と進む一隻の商船を、血走った眼で睨み据えていた。


「間違いねぇ。あいつはバテラーナの商船ですぜ。あの吃水の深さからするに、腹の中に相当な宝を詰め込んでやがる」


 マスティノの傍らでは、歯の欠けた汚い水夫が望遠鏡を覗きながら、卑屈な笑みを浮かべて報告する。


「……気にいらねぇ」


 マスティノは唾を吐き捨てた。

 190センチを越す体躯は、その肌のいたるところが傷と火傷跡に覆われ、男の人生の過酷さを物語っていた。

 眼光は鋭く、目が合ったものは死を覚悟して立ちすくむ。

 かつて痩せぎすの野良犬と嘲りを受けた少年が、ここまで生き抜いたのは、一心に牙を磨き、敵の喉笛を噛み砕いてきたからだ。

 それがマスティノという男であり、その暴力性が彼を怪物へと育てあげた。


「まさか見逃すって事ぁないでしょう? 丘の猿どもの頭は、ディエゴとかいう青二才だって話です。大方、本隊からの支給依頼を断りきれず、震えながら船を出したんでしょうよ」

「……ただの猿なら構わねぇが」


 不快だ、とマスティノは本能的に感じていた。

 きな臭い。それは死線を潜り抜けてきた獣の勘だ。

 新しく着任したという若い将校は”鳥好きの阿呆”だというのが巷談だが、この商船の無防備は腑に落ちない。


「……まさか、あんな美味そうな獲物を見逃すって話じゃないですよね? 俺たちゃ三日、まともな肉を喰ってねぇんだ」

「俺に指図するのか?」


 マスティノが睨みつけると、男は悲鳴を上げてその場にへたり込んだ。

 不快だ。だが、男の言う通り目の前の商船が「極上の獲物」であることに変わりはない。


 マスティノがこの海域に現れたのは、連合から提示された破格の報酬――「サン・ミゲル港を落とせば五万エスクード」という条件のためだ。

 その代わり、彼は慣れ親しんだ補給拠点(ねぐら)を捨てなければならなかった。

 地図にない無人島を仮の拠点としたが、サン・ミゲルから遠すぎる。


 主戦力であるフリゲートを筆頭に、斥候を兼ねる快速のコルベット、補給を担うブリッグ。

 三隻からなる船隊には、飢えた海賊たちが300人以上も詰め込まれている。

 日々消費される水も食料も膨大であり、略奪は選択肢ではなく、生存のための絶対条件だった。

 襲わねば、――”死”。


「ちっ……何を企んでやがるか知らねぇが、この狂犬の前に肉をぶら下げたんだ。骨まで喰い漁られても文句は言わせねぇ。

 野郎ども! 碇を上げろ! 総帆(オールハンズ・)展帆(メイク・セイル)! 連合旗を掲げろッ!! 面舵二点、獲物の喉笛に針路を合わせろ!」


 海の狂犬が吠える。

 その声に応えるように、不吉な突風が大海原を駆け抜けた。







「狂犬は予定通り獲物に食いつきました」


 トリアンファドラ号、甲板。

 双眼鏡を覗いていた観測手の報告にディエゴは満足げに頷いた。


「観測を継続。目を離すな」

「ディエゴ艦長、恐れながら申し上げます。本作戦の意図をご説明頂けませんでしょうか」


 艦内に戻ろうとしたディエゴに遠慮がちに声をかけたのは航海長だった。

 ディエゴが足を止めて振り返れば、甲板に集まった水兵たちは皆一様に戸惑いの色を浮かべている。


「――そろそろ潮時か。いいだろう。説明しよう。

 ヴェンディカトーレに襲わせた商船には大量の食料、真水、それに聖堂補修用と称した大理石などを積んでいる。

 だが実際には、食料は表面以外は黴が生えたもの。真水のラベルが貼られた樽の中身は塩水だ。これが意味する事が分かるか?」


 ディエゴの言葉に真っ先に顔を青ざめさせたのは料理長だった。


「そんなもんをうっかり運びこんだら、……食料庫そのものが黴だらけになっちまう」

「その通りだ。そうと知らずに運び込めば、黴は瞬く間に他の食料に広がっていく。

 水もしかり。真水だと思って運びこんだものが塩水だったら? それは価値がないどころか、ただの重荷でしかない存在だ」

「それでは大理石はいったい?」


 航海長が首を傾げて問いかけるとディエゴは口角を引き上げる。


「ロドリゴ准尉、船倉に巨大な大理石があったらどうなる?」


 ふいに名を呼ばれたロドリゴは慌てて背筋を伸ばした。


「は! 船倉に巨大な大理石があった場合、――まず保管場所の問題があります。

 砲台と干渉しないスペースを確保できなければ、使用できない砲台が出来るでしょう。

 食料庫にスペースを確保するならば、既存の食料を放棄せざるを得ない可能性が高い。煮ても焼いても喰えない石のために、大事な食料を捨てる羽目になる訳です。

 また、万が一、戦闘中に固定が外れた場合は、巨大な大理石が船倉を縦横無尽に暴れ回る可能性があります。

 そうなったら目も当てられない。船倉に闘牛が紛れ込んだも同じですよ」

「その通りだ。奴らは大喜びで餌に食いついたつもりだろうが、それは毒餌だったということだ」


 言葉の重みが船員たちの間に広がるのを待ち、ディエゴは再び口を開いた。


「我らがトリアンファドラは総勢176名、対してヴェンディカトーレは300名を超えるだろう。

 この兵力の差を覆すためには、数そのものを錘にかえてやればいい。奴らの弱点は、その数の多さ故の食料の確保だ」

「しかし、補給地点まで逃げ帰られてしまっては元も子もありません。退路を潰そうにも、ヴェンディカトーレのねぐらは未だ不明です」


 航海長の言葉にディエゴは笑う。


「さて、それはどうかな? そもそも、黙って返すつもりもない。機を見計らって攻撃を仕掛ける」

「む、無茶な。先ほど、兵力差をお話になられたばかりでしょう! 正面からやりあって勝てる相手ではありません!」

「今は違う。連中は腹にたんまりと餌を溜め込んだすぐ後だ。船体は重く、旋回も速度も鈍くなる。

 とくに、補給船(ブリッグ)は亀のように鈍重だ。連中はそれを守るだけで手一杯さ」


 そもそも私掠船の目的は敵の資材の略奪であって、戦闘行為そのものではない。

 資材を詰め込んだ状態での戦いは旨味がないも同然だ。


「連中は亀の御守りをしながら逃げ出すさ。我らはその背に毒矢をあててやればいい」

「毒矢、でございますか?」

「ああ、そうだ。……とびっきりの猛毒を、狂犬の背に撃ち込んでやろう」


 かくして、トリアンファドラはヴェンディカトーレ艦隊を強襲した。

 不意の襲撃に、積み荷の移動で出遅れた補給船(ブリッグ)はパニックに陥った。

 結果として、海賊たちは快速の先遣船(コルベット)、本隊のフリゲート、そして最後尾を鈍重な補給船(ブリッグ)が追いかけるという、伸び切った陣形で撤退を強いられることとなる。


 だがここで、ディエゴは再び奇策に出た。


補給船(ブリッグ)は無視しろ。フリゲートだけを狙え。針路、南南微西、風上を奪え! 右舷砲列、準備!」

「な、なぜそのような!?」


 絶好のチャンスを目の前にあえて射程外の獲物を狙わせるディエゴに、航海長が目をむいた。


「なぜだと思う?」


 若い将校は問いかけをそのまま投げ返す。口角を引き上げ、男は嗤った。


「敵も、同じことを思うだろう。――”なぜ鈍重な補給船(ブリッグ)は見逃されたのか”と。

 疑心とは、甘美な毒だ。そいつは愛人のように甘い顔をして枕元で囁きかける。幾夜も、幾夜も、繰り返し。

 そいつが悪魔だと気付いた時には、もうとっくに手遅れさ」


 ディエゴの琥珀色の目に宿るのは、残忍な捕食者のそれだった。






 六日後、『ヴェンディカトーレ』艦隊は一発触発の不穏な空気に包まれていた。

 空気だけではない。より切迫した問題として、食料も水も不足していた。

 

 最初に撒かれた疑念の種は、あの日、無傷で見逃された「補給船(ブリッグ)」だった。

 商船から奪った資材を山ほど抱え、三隻の中でもっとも足が遅いその船を、ディエゴはあえて無視した。

 そして、わざわざ追い越してからマスティノの乗る旗艦を砲撃したのだ。


 44門の砲を備えたヴェンディカトーレは重く、動き出しが鈍い。風上を奪われての襲撃に、船体は一方的な損害を受けた。

 だが、ヴェンディカトーレは狂犬の船だ。食らいつかれて黙ってやられる筈はない。

 即座に舷側を向けて応戦したが、トリアンファドラは追撃をとりやめ全速で戦線を離脱した。


 被害は軽微。

 その筈だった。

 それこそが罠だったと判明したのは、補給船(ブリッグ)の食料庫が黴だらけにされた後だった。


 マスティノは狂犬だが愚かではない。

 すぐにそれがディエゴの狙いであると気が付いた。

 だが、腹をすかせた海賊たちは、マスティノより遥かに愚かで短絡的だった。

 彼らの頭には”見逃された補給船(ブリッグ)”という疑念が強く焼き付いたままだった。


 ――なぜ見逃された?

 ――補給船(ブリッグ)の船長は、俺たちの首と引き換えに自分たちの命を買い取ったのではないか?


 そこへ貴重な食料の喪失が拍車をかけた。


「奴らはエスカラーダのスパイだ。自分たちだけ生き残り、俺たちを飢えさせて恩を売る気だ」


 そんな囁きは、腐敗臭と共に日に日に大きくなっていく。

 マスティノは武力でもって威圧したが、死と隣り合わせになった獣たちに、理性の首輪をかける術はない。


 フリゲートと快速船(コルベット)の船員たちは補給船(ブリッグ)を敵対視し、補給船(ブリッグ)の船員たちはかえって狂暴になっていく。

 事態を決定的に悪くしたのは、補給船(ブリッグ)が船倉を区切って保管していた食料が見つかった事だった。

 それは黴の蔓延をまぬがれていた残り僅かな食料で、補給船(ブリッグ)の船員たちは秘密裡にそれを分け合っていた。


 殺し合いが起き、50名あまりが死んだ。

 死者は補給船(ブリッグ)の船員のみならず、フリゲートや快速船(コルベット)において立場が弱いもの達も殺された。

 つまるところ、――口減らしである。

 暴力で寄り集まった野良犬たちの内部崩壊は、あまりにもはやく悲惨だった。


 もはやヴェンディカトーレに残された手段は一刻も早く補給拠点に戻ることのみだった。

 幸いにして地図に記されていないその島は、帝国には知られていない筈だった。

 だが、海上を優雅に滑るよう現われたトリアンファドラは、間違いなく島の存在を確信していた動きだった。


「……まさか、そうか。あの”鳥好きの阿呆”は、……」


 マスティノは絶句した。

 ブービーは陸を離れても、必ず夜には(ねぐら)へ帰る。

 ディエゴは空白の地図の上で、ブービーの飛行曲線が交差する一点を、――自分たちの拠点を炙り出していたのだ。

 まぬけ鳥の帰る場所にこそ、牙を隠した狂犬の(ねぐら)がある。

 それが汚名を被り続けた末の、ディエゴ・アゾールの答えだった。


「面白ぇ。だが、姿を表したのは間違いだ。補給拠点を焼き払って逃げてりゃテメェの勝ちだっただろうさ」


 狂犬の本能が野生の血を滾らせる。

 目の前にいるのは最高級の敵であり、今まででもっとも美味そうな肉だった。

 その喉笛に食らいついて、甲板を赤く染めてやる。


「……野郎ども! 戦闘配置だ!! ボートを船尾へ流せ! 狙撃班、檣楼(トップ)へ上がれ!」

「ボス、連合旗は?」

「クソくらえだ。ヴェンディカトーレの旗を掲げろッ!

 ここからはお遊びじゃねぇ、殺し合いだッ! 総帆(オールハンズ・)展帆(メイク・セイル)!!」


 連合旗が滑り落ち、血塗られた狂犬の黒旗がマストの頂で爆ぜるように翻った。

 それは私掠船ではなく海賊船として、略奪ではなく殺戮のための戦いを告げるものだった。







「ヴェンディカトーレ、戦闘態勢に入りましたッ!」

「慌てるなッ! 士気が高いのはフリゲートのみ。快速船(コルベット)補給船(ブリッグ)は死に体だ。

 総帆(オールハンズ・)展帆(メイク・セイル)!! 帝国旗とともにアゾールの旗を掲げよッ!」


 ディエゴの声で、帝国の赤い旗が翻り、その傍らにアゾール家を示す大鷹が風を切るように翼をひらく。


快速船(コルベット)が先行してきます! 」


 観測手の悲鳴に近い報告が飛ぶ。

 先行する敵の快速船(コルベット)が、その身軽さを活かしてトリアンファドラの背後へ回り込もうと舵を切る。


「慌てるな。……ロドリゴ、右舷後方の二門、鎖弾(チェーンショット)を装填、鉄の首輪をくれてやれ!」

「了解、セニョール。……野郎ども、聞いたか!

 二番、三番、砲門全開! 狙うはマストの上半分だ!」


 鈍く軋む音を響かせ、トリアンファドラの船体から砲身が突き出す。


「待て。……まだだ。引き付けろ」


 ディエゴの琥珀色の瞳が底光る。鷹の目は冷静に敵艦の「縦揺れ(ピッチング)」を推し計る。

 船首が波の頂点に達し、空を向いた瞬間――。


撃て(ファイア)ッ!!」


 爆音と共に放たれた鎖弾は、唸り声とともに宙を切り裂いた。

 一発は海面を跳ねて叩き、もう一発がコルベットのフォアマスト上部に吸い込まれる。

 鈍い破壊音。

 支えを失った索具が悲鳴を上げ、巨大な横帆(トップスル)が雪崩のように甲板へ崩れ落ちる。

 フォアマストを失った快速船(コルベット)はバランスを崩して失速し、傾いた船体はそのまま波間を横滑る。


「取舵、北北微東、補給船(ブリッグ)を挟んでフリゲートの風上を維持! 右舷砲列、準備! 喫水線を叩けッ!」


 二隻のフリゲートに挟まれた補給船(ブリッグ)は必死になって舵を切るが、まさにそれが致命的な悪手となった。

 無理な回頭の遠心力に耐えかね、船底の固定索が悲鳴を上げて断ち切れる。

 巨大な大理石の塊が轟音と共に船倉を滑り、逃げ場のない海賊たちを次々と肉塊に変えていった。


 阿鼻叫喚の補給船(ブリッグ)へ、トリアンファドラの舷側砲が叩きつけられる。

 火薬と油に引火した補給船(ブリッグ)は、瞬く間に海上の巨大な松明と化した。


 立ち昇る重い黒煙が、風下に位置するヴェンディカトーレの視界を完全に遮断する。

 マスティノにとって、その煙は死の帳であった。

 見えない敵、見えない砲座。

 ただ闇の向こうから、嘲笑のような砲声が、ヴェンディカトーレの船体を削り取る。

 だが、……マスティノは歯をむき出して笑っていた。


「取舵いっぱい!! アンカー用意だッ、鎖じゃねぇ、縄で繋げ!!」


 その宣言に海賊たちは震えあがった。ある者は恐怖に凍りつき、ある者は狂喜乱舞の雄たけびをあげる。


お嬢さん(シニョリーナ)、その横っ面に船首をぶちこんでやるッ! アンカー、落とせッ!!」


 左舷の巨大な錨が海中へと消えた。

 暫時。

 ぎゅるぎゅると甲板を滑った縄が限界まで張り詰める。

 海底へ引きずり込まんとするアンカーの動きがヴェンディカトーレの巨体を強引に左へと引き戻す。

 フリゲートが凄まじい遠心力で浮き上がり、右舷側の砲門が空を仰ぐほどの衝撃が走った。

 船体が軋む。船の骨格が根底から悲鳴をあげ、今にもバラバラになる寸前の叫び。

 アンカーを起点に急速旋回を見せるヴェンディカトーレに、トリアンファドラの観測手が悲鳴を上げる。


「艦長、敵艦が回ります! 馬鹿な、あの速度で――クラブ・ホーリングです! そんな、狂ってやがる!」 


 黒煙を切り裂いて現れたヴェンディカトーレは、すでに旋回の真っ最中だった。

 砲手たちが照準を合わせ直すわずかな数秒。

 それが、地獄から戻ってきた狂犬に与えられた唯一の勝機だった。

 アンカーを繋ぐ麻縄が断ち切られ、船体が弾丸のごとく撃ちだされる。

 迫りくるヴェンディカトーレに、ロドリゴが吠えた。


「狼狽えるなッ!! 全門解放、零距(ポイント・)離射撃(ブランク・レンジ)! 撃て(ファイア)ッ!!」


 狂犬がトリアンファドラの喉笛に食いつこうという最中、砲台が一斉に火を吹いた。

 18ポンドの鉄球は、ヴェンディカトーレの鼻先(マズル)へと雨あられと突き刺さる。


 砕け散る船首像、飛散する木片。その破片がマスティノの肉を裂き、血が噴き出す。

 だが、マスティノは笑っていた。

 血に染まった舵輪を握り締め、沈むよりも早く食らいつく。――それが狂犬の本能だ。

 

 直後、断末魔のような衝突音が海に轟いた。

 鋼鉄の牙と化したヴェンディカトーレの船首が、トリアンファドラの舷側に噛みついた。

 衝撃でマストが激しく震え、倒壊せんばかりの悲鳴を上げる。


 その混沌の中、マスティノは曲剣(カットラス)を抜き放ち、地獄からの使者の如き執念でトリアンファドラの甲板へと跳躍した。

 悪鬼のごとき形相に腰を抜かした水兵たちはマスケット銃を手に持ちながらも、後ずさる。

 マスティノは低く唸った。血走った目が仇敵を探す。


「出てこいよ、シニョリーナ。海賊とのダンスはお断りか?」


 ネイビー・サーベルを手に一歩前に出たロドリゴを制し、ディエゴが狂犬の前に進み出る。

 鷹の目のアンバーは喜悦の色に揺らいでは、血まみれの犬を映し出す。

 ディエゴもまた、この上もなく愉快だった。


「エスカラーダ帝国海軍、独立(コモドール・)代将(アット・ラージ)、ディエゴ・アゾールだ。

 狂犬マスティノ、貴殿の挑戦を受け入れよう」


 ロドリゴの制止の猶予もなく、両者はすでに動いていた。

 針の穴を通すがごとく正確無比なディエゴの突きを、マスティノの剛の打撃が薙ぎ払う。

 切っ先が触れあい火花が散った。


 次いだ二打目はマスティノの牙がディエゴの頬を浅く削ぐ。

 激しい剣戟に入り込む余地は僅かもなく、息を飲む間すら凍りつく。

 刃が重なりあうたびに、マスティノの一撃の重さがディエゴの技を削っていく、……かのように見えた。

 だがディエゴは勝負を焦ってはいなかった。

 受け流し、深く切り込まず、負傷した狂犬に血を流させる。

 それは僅かな油断で、一瞬で崩れ去る死線の上での舞踏。


 均衡が崩れたのは、汗で滲んだ血が狂犬の片目を塞いだ、その一瞬だった。

 ディエゴの細身のサーベルが、マスティノの重い一撃を螺旋の動きで受け流し、その勢いのまま獲物を天高くへと跳ね上げる。

 銀光が宙を舞い、マスティノの掌に虚空が残された。


 それが、狂犬の命運の終止符であった。







「見つけましたよ、ディエゴ閣下。リヴォルタ連合の私掠免許状(ライセンス)です。けど、コイツは……」


 大破し、島の浅瀬に乗り上げたヴェンディカトーレのフリゲート艦。

 その残骸から戻ったロドリゴが、一通の書簡を差し出した。


 浜辺には生き残った海賊たちが捕縛され、力なく並べられている。

 ディエゴの慈悲か、あるいは気まぐれか、彼らには真水が与えられていた。


 あちこちで燻る火の手。呻き声と波音。

 その混沌の中で、ディエゴは書簡を広げ、静かに文字を追った。


「偽物だな、コイツは。限りなく本物に似せてあるが、肝心の印章が欠けている。

 残念だったな、マスティノ。どうやら君達はリヴォルタ連合にいっぱい食わされていたらしい」


 捕縛された狂犬は、麻縄でその全身を固められ、砂地で膝をついていた。

 ディエゴの言葉に、マスティノは僅かに顔をあげるも、興味がない様子で息を吐く。


「そうかよ」

「なんだ、てっきり悔しがるかと思ったが」

「ハッ、陸の猿どもが何を企んでいようが関係ねぇ。俺は好きなように暴れただけだ。……それなりに、楽しんださ」

「……では、もうそれで満足だと?」


 ディエゴは緩く眉尻をもち上げると、両手を伸ばし狂犬の頬を捕まえた。


「冗談を言うな。あれほど苛烈に食らいついてきた狂犬が、この程度で満足だと?

 違うだろう。お前の狂気はそんなもんじゃない筈だ。その牙を、その爪を、なんのために研いできた?

 貴様の血は、憎しみと狂気で煮えたぎり、獲物を求めてやまない筈だ」


 ディエゴの瞳は瞳孔が開き切っていた。

 琥珀の瞳は透き通り、その奥にはマスティノが見てきたどんな嵐よりも暗い渇望が渦巻いていた。


「なに、を……」


 初めて狼狽を見せるマスティノに、ディエゴは恍惚に目を細める。


「俺の犬になれ、マスティノ。俺はまだ食らい足りない。そのためには、お前のような鋭い牙が必要だ」

「――、ハッ……!」


 マスティノは嗤った。

 この男は、自分と同じか、それ以上に――”狂ってやがる”。

 それは狂犬が生まれて初めて腹の底から歓喜するほど、あまりにも愉快な事実だった。


「いいだろう。俺を飼いならせるっていうならやってみろ。だが、テメェが手綱を離したら、その時は喉笛を食い破る」

「ああ、いいとも。愉しみだ」


 笑うディエゴに悲鳴をあげたのはロドリゴだ。


「ちょっと待って下さいよ! こんなデカい犬を連れて帰ってなんて言い訳をするつもりですか!?

 やめて下さい。俺はこいつと同じ船で過ごすなんて御免ですよ! いつ噛みつかれるか分かったもんじゃないでしょーが!」


 ロドリゴの嘆きは、白波とともに砕けて消えていく。

 牙を得た鷹が向かう先はいずこにか。

 暗雲が立ち込め、轟く雷鳴のその先を。

 アゾールの最後の一翼は、静かな狂気とともに、まだ見ぬ戦場を見据えていた。








『補足・解説など』

※本作は架空の国家を舞台としたフィクションですが、17世紀前後の大航海時代・帆船時代の海軍をモデルとして構成しております。


・なぜわざわざ旗を掲げるのか

海戦では、攻撃前に自国の正体を明かすのがルール(軍人の誇り)でもありました。

マスティノは「私掠船(国家公認のビジネス)」として連合の旗を掲げていましたが、最後は「海賊」として死ぬため、黒旗を掲げ直しています。


・襲われたバテラーナ商船はどうなった?

物資だけ奪われて解放されました。私掠船という立場上、不必要な殺生は厳禁だからです。

本来、船ごと奪うのが最も利益が大きいのですが、拠点から遠く離れ、深刻な食料難に陥っていたマスティノには「捕虜(食いぶち)を増やす」という選択肢がありませんでした。


鎖弾チェーンショット

二つの鉄球を鎖で繋いだ、マスト破壊専用の弾丸です。足を止めるのが目的なので、小型船にはこれが一番効きます。


・マスティノの「お嬢さん(シニョリーナ)」の呼び

ディエゴの愛艦『トリアンファドラ』が女性名詞であることへの皮肉です。


・クラブ・ホーリング

戦艦ドリフト。いかりを急ブレーキ代わりにして、本来の旋回性能を無視して強引に曲がる荒業です。

マスティノは風上を取られていたため正攻法での勝機を失っていた。水も食料も無いため逃げる事も出来ない。その上、海賊旗を掲げていたため、捕縛された場合は縛り首となりうる。よって、決死の突撃を選択した。


・最後の大立ち回りまとめ

一番速いコルベット: 突っ込んできたところをチェーンショットでマストを折られ、脱落。

補給船ブリッグ: 慌てて急旋回したせいで、船倉の「大理石」が暴れ出して大惨事。そこを砲撃されて炎上。

マスティノのフリゲート: 追い詰められた末の「ドリフト特攻」。接舷してディエゴと直接対決へ。


・最後に出て来た「私掠免許状」とは?

マスティノが連合国公認の私掠船であるか、そのライセンスを保持しているかどうかの確認をしていました。

これがあればマスティノは「連合国の軍人」として扱われ、国際法で守られるはずでした。しかし、見つかったのは精巧な偽物。

つまりマスティノは、連合国から「いつでも海賊として切り捨てられる」ように罠にはめられていたのです。

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