第9話:玉座に捨てられた神(崩壊する魔王城の観測) 【ヴェル】
ホリヨシです。 次回で第一章は締めとなりますが、まだしばらく続きます。
崩壊。
その言葉すら生ぬるいほどの、絶対的な暴力の爪痕だった。
「信じられん。
あのお方が、我らが魔王様が、ただの人間風情に討たれたというのか」
私は瓦礫と化した黒曜石の回廊を抜け、かつて玉座の間だった『空間』へと足を踏み入れた。
帝国暦842年12月。
帝国軍の侵攻に対し、私は城の地下部隊を指揮していた防衛参謀だ。
地上の防衛線が突破されたと聞き、急ぎ玉座へ駆けつけた私を待っていたのは、無惨に崩れ落ちた天井と、ドロドロに溶けた床の惨状だった。
魔王様の気配は、もはや微塵も残っていない。
致命的だったのは、床に刻まれていたはずの魔王軍最大の切り札『光塊反転の法』が、広範囲の業火の魔法によって根こそぎ焼き払われていたことだ。
「聖剣の光ではない。
極めて原始的で、暴力的なマナの暴走……。
まさか、あの無敵の英雄の背後に、これほどの炎を操る随伴者がいたというのか」
私はギリッと牙を噛み鳴らした。
我々の敗北だ。
数百年続いた魔族の繁栄は、あの忌まわしき光の器――聖剣に選ばれた一人の若者によって完全に叩き潰された。
間もなく、城の麓で待機している帝国軍の本隊がここへ雪崩れ込んでくるだろう。英雄を先頭に掲げ、我々残党を一人残らず狩り尽くすために。
一刻も早く、生き残った同胞を集めて魔王領の最果てへ逃げ延びる手はずを整えなければ。
そう思い踵を返そうとした私の視界の端で、何かが白く光った。
「あ?」
私は自分の目を疑った。
玉座の残骸の傍ら、煤と泥にまみれた床の上に、『それ』は無造作に転がっていたのだ。
白銀の刀身。見る者の魂を灼くような、神々しくも恐ろしい絶対的な光。
間違いない。我々魔族を何万と屠ってきた憎き兵器。伝説の聖剣だ。
「な、なぜ……聖剣が、こんなゴミのように捨てられている……?」
理解の範疇を超えた光景に、私はしばらくの間、間抜けに立ち尽くすことしかできなかった。
英雄が魔王を討ち果たしたのなら、彼はこの剣を天に掲げ、勝利の雄叫びを上げているはずだ。
そして意気揚々と帝国軍の元へ凱旋し、次なる王としての権力を手にするのが人間の浅ましい常ではないか。
なのに、なぜ絶対的な力の象徴が、ここに放置されている?
私は恐る恐る崩れた壁の裂け目に近づき、猛吹雪が吹き荒れる外の荒野を見下ろした。
城の麓には、無数の松明を掲げた帝国軍の陣地が見える。
だが、私が目を奪われたのはそこではなかった。
帝国軍の陣地とは全く逆の方向。
魔物ですら凍え死ぬ絶対零度の猛吹雪の中を、たった一つの小さな影が歩いていた。
「狂っているのか、あの人間は」
私は思わず呟いた。
魔力による視力強化の先に見えたのは、防寒具すら纏わず、一人の人間の女を大事そうに抱きかかえて歩く青年の姿だった。
間違いない。
あの一歩歩くごとに泥と雪に足を取られ、不格好に足掻いているみすぼらしい男こそが、たった数十分前に我らが魔王を討ち滅ぼした『英雄』だった。
絶対的な力(聖剣)を、無造作に投げ捨てて。
彼はたった一人の女を抱え、帝国が待つ光の道とは正反対の、死の吹雪が吹き荒れる名もなき荒野へと歩み去っていくのだ。
「くっ、くくっ……ははははっ!!」
私は凍てつく玉座の間で、腹を抱えて笑い出した。
滑稽だ。あまりにも滑稽すぎる。
我々魔王軍は、あんな泥臭い、たった一人の女のために世界の覇権すら放り出すような『ただの人間』の執念に敗れたというのか。
そして、彼を神輿として担ぎ上げていた帝国軍の愚か者どもは、間もなく知ることになるだろう。
自分たちがすがっていた神様が、ただの小娘一人を抱えて、国ごと彼らを見捨てたという絶望的な事実を。
「せいぜい足掻け、泥に塗れた英雄よ。我々魔族は、まだ滅びはしないぞ」
私は転がる聖剣を一瞥もせず、闇の中へと身を翻した。
世界から『光』が消えた。
帝国暦842年12月。
魔王の死と共に、一つの英雄譚は、誰にも理解されないまま奇妙な終わりを告げたのだ。
---




