表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泥濘のレクイエム ―英雄の残火と、継ぎ接ぎの神魔―  作者: 堀吉 蔵人
第2章 棺を背負う旅路、竜の顎へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/19

第16話:嘘塗れの玉座と、黒い報告書 【ヴェイン】



「嘘だろ。まさか、そんな馬鹿な」


帝都の地下深く、日の光が一切届かない帝国軍情報部の一室。

魔導通信機から吐き出された一枚の羊皮紙を前に、僕――暗号解読官のヴェインは、ガチガチと鳴る奥歯を必死に噛み締めていた。


帝国暦846年。大戦役の終結から数年。

帝都は、魔王と相打ちになって散った「英雄アレン」の美談と、彼が遺した聖剣の威光によって、かつてないほどの繁栄と絶対的な秩序を謳歌している。


彼を讃える白銀の銅像は帝国の中心で光り輝き、民衆はその虚像に毎日祈りを捧げていた。

情報部における僕の仕事は、各辺境から送られてくる暗号通信を解読し、帝国の平和を脅かす些細な火種を事前に報告することだ。


だが、今僕の手の中にある報告書は、火種などという生易しいものではなかった。

帝国という国家の根幹を、木っ端微塵に吹き飛ばす特大の爆弾だ。


『――北の辺境の町ガレキにて、対象に酷似した男と接触。

容姿はひどくやつれているが、大戦役時の英雄アレン本人である可能性、極めて大。

対象は魔法を一切使わず、徒手空拳のみで武装した傭兵数名を数秒で無力化。

また、対象は常に【巨大な木製の棺】を背負い、一人の踊り子の少女を伴っている。

現在の進行方向、さらに北。霊峰「竜のあぎと」へ向かっているものと推測される――』


「英雄が、生きている……? しかも、棺を背負って……?」


僕は脂汗に塗れた額を拭った。

もしこれが事実なら、帝国の歴史はすべて嘘っぱちだったことになる。


神の使いであるはずの英雄が、帝国を捨てて辺境を泥まみれになって放浪しているなど、民衆に知られれば暴動が起きる。

いや、それ以上に恐ろしいのは、現在の軍上層部だ。彼らは自分たちの権力を維持するために、この「生きた不都合な真実」を絶対に許さないだろう。


「急いで、上官に報告しなければ」


僕は震える手で羊皮紙を懐にねじ込み、薄暗い地下廊下を走り出した。

向かう先は、情報部の最奥。

大戦役での数々の「裏工作」の功績により、今や帝国の闇を統べる情報部特務室の室長にまで登り詰めた、あの冷酷な男の執務室だ。


「失礼します! ゼクス室長、緊急の報告が……!」


分厚いオーク材の扉を開けると、そこには数年前と全く変わらない、感情の読めない瞳をした痩身の男が座っていた。

特務室長、ゼクス。

彼は豪奢なマホガニーの机に足を乗せ、安酒の入ったスキットルを傾けていた。


「ノックくらいしろ、ヴェイン。

新婚の妻に浮気現場でも踏み込まれたような顔をして、どうした」


「冗談を言っている場合ではありません! これを!」


僕は懐から羊皮紙を取り出し、机の上に叩きつけるように置いた。


「北の辺境に潜伏させていた第三号の猟犬からの暗号通信です!

え、英雄アレンが……死んだはずのあのアレン様が、生きているという目撃情報が!」


僕の切羽詰まった声に対し、ゼクス室長は微かに眉を動かしただけで、羊皮紙を手に取った。

数秒間、その冷たい目で文章を追い……。


「くっ、ふっ……ははははっ!!」


突如として、彼は腹を抱えて笑い出した。

狂ったような、しかし心の底から愉快でたまらないといった爆笑だった。


「し、室長……!?」


「ははっ、いや、すまない。

あの底抜けの馬鹿、まだ生きていやがったか。数年経っても相変わらず、重たいおんなを背負って泥水を啜りながら歩き続けているとはな!」


ゼクス室長は笑い涙を拭いながら、報告書を机に放り投げた。

僕の頭は完全に混乱していた。


なぜ、英雄の生存という国家の一大事を知って、この男はこんなに楽しそうに笑っているのだ。


「室長、笑い事ではありません!

もしこの情報が外部に漏れれば、帝国の威信は崩壊します!

直ちに討伐隊を、いや、秘密裏に暗殺部隊を北へ派遣すべきです!」


「暗殺部隊だと?」


室長の瞳から、スッと笑意が消え失せた。氷のように冷たい視線が僕を射抜く。


「ヴェイン。お前は、あの男がただの『神輿』だと思っているのか?


聖剣を持っていようがいまいが、あいつは一度全てを捨てて修羅に堕ちた男だ。


中途半端な猟犬を差し向けたところで、返り討ちにあって死体の山が築かれるだけだぞ」


「し、しかし……! 放置すれば、彼はいずれ」


「それに、行き先を見てみろ。霊峰『竜の顎』だ」


室長は羊皮紙の末尾を指差した。


「狂っている。

あそこは、古代竜の巣窟だ。

いかにあの男が人間離れしていようと、あの箱を守りながら古代竜のブレスを凌ぎ切れるはずがない」


そこで、ゼクス室長は何かを思い出したように、目を細めた。


「待てよ。『竜の顎』には今、我が軍の第五北征部隊が向かっているはずだな」


「は、はい。上層部の命令で、古代の熱源『原初の残り火』を回収するために二百名の精鋭が」


「あいつの狙いも、それか」


室長は独り言のように呟き、再び不敵な笑みを浮かべた。


「なるほどな。

あの氷の呪いを溶かすために、神話の熱を求めて死の山を登るか。……面白い」


ゼクス室長は立ち上がり、机の上に置かれていたランプの火屋ほやを外した。

そして、僕が持ってきたその重要な『報告書』の端を、躊躇いなく炎へと近づけた。


「あっ!? 室長、何を……!」


「ヴェイン。

お前は今日、ただの定期連絡を持ってきただけだ。辺境に変わったことは何一つない。そうだな?」


燃え上がる羊皮紙の明かりに照らされた室長の顔は、悪魔のように恐ろしかった。


「あの馬鹿が、帝国軍の正規部隊と、古代竜の群れがひしめく霊峰でどう足掻くのか。

安全な王都から見物させてもらおうじゃないか。

あいつが古代竜に焼き殺されれば、この秘密は雪と共に永遠に埋もれる。

もし万が一……あいつが全てをぶち壊して生還したなら、その時は帝国のひっくり返る様を特等席で笑ってやる」


完全に燃え尽きた羊皮紙の灰が、ハラハラと机の上に落ちていく。

僕は、ガタガタと震える膝を止めることができなかった。

この男は、帝国の忠臣でもなんでもない。


ただ、綺麗事で塗り固められたこの世界が、泥と血で汚されていくのを何よりも好む『狂人』だ。


「わ、わかりました。私は、何も、見ていません」


「よろしい。下がれ」


僕は這うようにして執務室を逃げ出した。

背後の分厚い扉が閉まる直前、ゼクス室長が窓の外――白銀の英雄像が建つ広場を見下ろしながら、ポツリと呟くのが聞こえた。


「せいぜい足掻けよ、アレン。

お前が被った泥の重さ、王都の狸どもにもたっぷり見せつけてやれ」


帝国暦846年。

帝都の中枢で、かつての英雄の生存を記した報告書は闇に葬られた。

北の死地では今まさに、氷の霊峰を舞台にした、絶望的な戦いの幕が上がろうとしていた。


---


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ