第119話:こない手、ひるまえのすわりなおし 【三位一体の少女】
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あかい ろう の におい は、へや の なか まで こなかった。
でも きた。
とおく まで。
しろい ぬの の そと、かたい ことば の ある ばしょ まで。
きれい に ととのえたい ひと の におい。
まっすぐ な せん を ひき、まっすぐ な こたえ を つくり、だれか が みても おなじ こと を いえる よう に したがる におい。
みる の と、なおす の は、ちがう。
みる ひと は、め を のばす。
な を つける ひと は、くち を だす。
なおす ひと は、せん を ひく。
しるし を おく。
ここ まで、ここ から、と きめる。
どこ に おんせき。
どこ に みず。
どこ に ひざ。
どこ に しろい て。
どこ に ことば。
みられない のは、ものがたり に されない という こと。
なおされない のは、つぎ の せいかい に されない という こと。
きょう の あかい ろう は、そと で とまった。
だから へや は、まだ へや の まま だった。
ほごぼう に ならなかった。
れいはいじょ に ならなかった。
だれか ひとり の へや にも ならなかった。
それが からだ に どう くる のか、わたし は しばらく わからなかった。
らく という の とも ちがう。
やわらかい という の とも ちがう。
むしろ、いま まで ずっと あった うしろ から の つよい て が、きて しまう はず だった ところ へ こなかった ので、せなか の うしろ に へんな すきま が できた みたい な かんじ だった。
まっすぐなひと が、その すきま を きにする。
こない なら こない で、つぎ は どこ から くる と かんがえる。
かたい て は、たいてい べつ の せん を もって くる から。
やさしいひと は、その すきま へ いきを おとす。
こなかった。
きょう は こなかった。
それだけ で、ひざ の うら の かたさ が すこし だけ やわらぐ。
そう かんがえる。
くろいひと は、わらわない かお で よろこぶ。
ああいう おおきな て は、へや ごと だれか の もの に する。
こない のは いい。
でも こない から って、うちがわ が すぐ なおしはじめる のは もっと いや。
そう いう。
みっつ ちがう。
でも きょう は、みっつ とも おなじ もの を きいていた。
しろい ぬの の そと で、かたい ことば が はいって こなかった おと。
へや の なか は、まだ `ちょうど` じゃなかった。
しわ は そのまま のこっている。
ぬるい おゆ は、さっき の こり が ちいさく うつわ の そこ を ぬらしている。
おんせき は こし まで こない。
ひだり は ちかい けど、よりかかれば すぐ に `ちかすぎる` へ かわる ばしょ に ある。
はんぶん そと の しろい ゆび は、なおしたい て を ひざ の うえ に とじている。
やかましい ひと の むだぐち は、いま は うすい。
じゃましない せん は、いりぐち で ちゃんと いきを している。
みない しろさ の そと では、わざとらしい ほしゅう の おと が ときどき なる。
なんにも きまっていない わけじゃない。
きまりすぎていない だけ。
それが きょう は、よかった。
きのう の たすかりかた が、きょう の こたえ に なっていない。
さっき の ぬるさ が、つぎ の ぬるさ を よやくしていない。
しわ も、かえしばしょ も、ひだり も、ぜんぶ `つぎ も これ` って かお を していない。
その こと は、からだ に とって だいじ だった。
ひとつ たすかりかた が きまる と、からだ は すぐ それ を まつ。
つぎ も おなじ ばしょ へ ひざ を おきたがる。
つぎ も おなじ ぬるさ を ほしがる。
つぎ も おなじ こえ で よばれたがる。
つぎ も おなじ しろい ゆび を さがす。
そう すると、たすける て と たすけられる からだ の ほう が、さき に `だれ の へや か` を おぼえてしまう。
それが こわい。
まっすぐなひと は、おぼえる の が はやい。
いちど たてた ばしょ を、つぎ の あしば に しやすい。
やさしいひと は、おぼえる の が ていねい だ。
いちど やすめた ばしょ を、つぎ の ねどこ に しやすい。
くろいひと は、おぼえた もの を きらう。
でも きらう まえ に、ぬけみち と つかいかた を みつけてしまう。
だから `おなじ` は、みっつ とも にがて なのに、みっつ とも すいこまれやすい。
きょう は それ が、まだ きていない。
わたし は ひざ の ちかく の ぬの を みた。
せりあ の しわ。
とびあ の のこした かけ。
みな の あつく しなかった ゆ。
かいる の ひきすぎない ひだり。
せと の みすぎない いし。
れおん の じゃましない せん。
りの の、へや に `いても いい じかん` を ながす おと。
へるまん の、そと で とめた あかい ろう。
らざる の、こたえ を ほそく した くち。
みっつ じゃない ひと の て が、みっつ を ひとり に しない ため に、みんな へんな かたち に なっている。
その こと を おもう と、むね の なか に ちいさく いたい もの が できる。
ありがとう に ちかい。
でも ありがとう と いう と、すぐ に `だれ に` が のる。
`だれ に` が のる と、そこ から ひとりぶん の すじ が できる。
だから いえない。
いえない かわり に、からだ の ほう が さき に うごきたがった。
きょう の すわりかた を、まだ きめていなかった から だ。
きのう と おなじ かたち で いれば、たぶん らく だ。
ひだり の てすり が いちばん ちかく なる かくど。
ぬるい おゆ へ て が とどきやすい ひざ の たてかた。
つばさ の どろ が しろい ぬの に ふれにくい せなか の よせかた。
でも それ は、きのう の たすかりかた だ。
きょう も それ を すると、へや の ほう が `ここ です` と いってくる。
きのう も こう だった。
きょう も こう で いい。
あした も たぶん こう だ。
そう いう かお に なる。
それ は、いや だった。
わたし は いちど、ためし に からだ を きのう の ほう へ よせてみた。
ひだり が ちかく なる。
ぬるさ が とどきやすく なる。
しわ の たに が ひざ の した で きれい に つぶれる。
いりぐち の でぐち は まだ みえる。
でも みえかた が かわる。
`ここ に すわる ひと` の め で みえる。
`ここ に おく ひと` の からだ の かたち に ちかづく。
まっすぐなひと が ちいさく うなずいた。
この かくど なら、すぐ たてる。
ひだり を かりて、まっすぐ いける。
そう いう。
やさしいひと が くるしそう に いきを する。
この かくど だと、やすませる へや に ちかづく。
すこし よりかかれば、だれか が そのまま ねかせる りゆう に できる。
そう いう。
くろいひと が、つばさ の うら を かたく する。
いや。
この すわりかた は、だれか に つかわれやすい。
つぎ の `ちゃんと` に つながる。
そう いう。
すぐ わかった。
きのう と おなじ らく は、きょう の らく じゃない。
わたし は からだ を もどした。
でも まえ と おなじ ところ へ は もどらない。
それ では ただの やりなおし に なる。
しわ の いちばん ふかい たに を、ひざ の した から ずらす。
その かわり、のばしかけた せん の すぐ よこ へ すわる。
おんせき の ぬくさ から は、はんぶん だけ はずれる。
みず の うつわ は、て を のばせば とどく けど、すぐ には さわれない くらい に のこす。
つばさ の どろ は、しろい ぬの に ふれそう で ふれない ところ で とめる。
いりぐち は、かくさない。
でも `すぐ でられる` かたち に もしない。
ちょうど じゃない。
すこし ずつ、ぜんぶ が はずれている。
それで からだ の なか が、すこし だけ ひろく なった。
まっすぐなひと が ふまん そうな かお を する。
たちにくい。
でも たてない わけ じゃない。
そう いう。
やさしいひと が いきを ぬく。
やすめる。
でも ねかされる わけ じゃない。
そう いう。
くろいひと が、つばさ の さき を ひらきかけて やめる。
でぐち は みえる。
でも にげる かたち じゃない。
そう いう。
みっつ が、おなじ すわりかた に ぶんく を いう。
それ が うれしかった。
ぶんく が いえる なら、まだ みっつ だ。
わたし は て を のばし、さっき の うつわ の ふち に ふれた。
のこり は まだ ある。
でも きょう は のまない。
のまない ほう が いい から では ない。
いま の この すわりかた に、もう ひとつ なにか を たす と、すぐ に `きょう の かたち` に なって しまう から。
かわり に、うつわ を ほんの すこし だけ ずらした。
かえしばしょ の いし から も、さっき の ばしょ から も、ちょっと だけ ずれた ところ。
まっすぐ に もどさない。
でも あと で さがす ほど も とおく しない。
`ここ に のこしておく` と いう より、`きょう は ここ に ある` と いう くらい の ばしょ。
その ずらしかた を、しろい ゆび が みた。
なおす かも しれない、と おもった。
やさしい て は、そういう ずれ に すぐ きづく。
きづいて、さりげなく まっすぐ に したく なる。
きょう は そう したほう が らく です よ と、いわない まま て を だしたく なる。
でも こなかった。
しろい ゆび は、ひざ の うえ で とまった まま。
なおさない。
ききもしない。
`そこ で いい のですか` と も いわない。
それ が、さっき の あかい ろう が こなかった の と、おなじ くらい つよかった。
そと の おおきな て が こなかった。
なか の やわらかい て も こなかった。
きょう の すわりかた が、まだ わたしたち の ところ に ある。
むね の おく で、なにか が すこし だけ あたたかく なる。
ぬるい おゆ と ちがう。
おんせき とも ちがう。
`とめられなかった` では なく、`とめられずに すんだ` とき の あたたかさ だ。
やさしいひと が、ちいさく わらう。
よかった ね、と は いわない。
そう いう ことば は もう しっている から。
かわり に、いき の ふかさ が かわる。
まっすぐなひと は、まだ ふくれている。
もっと ちゃんと した かたち の ほう が、わかりやすい。
でも こっち の ほう が みっつ で いられる なら、きょう は これ でも いい。
そう いう。
くろいひと は、やっと わらった。
きれい に なおされない へや は、すき。
でも それ より すき なのは、なおせる て が きた のに、なおさない と きめた ひと が いる こと。
そう いう。
わたし は その こと を きいて、はじめて すこし だけ こえ を だしたく なった。
なまえ じゃない。
ありがとう でも ない。
だれか を さす ことば じゃなくて、いま の ばしょ の こと。
『……きょう は、ここ』
こえ は ちいさかった。
でも へや の かべ と しろい ぬの と ひだり の ちかさ に、ちゃんと あたって ひろがる。
だれ も すぐ には へんじ を しなかった。
それ が よかった。
`ここ で いい` と いわれる と きまり に なる。
`わかった` と いわれる と やくそく に なる。
`だれ の ここ だ` と きかれる と、ものがたり に なる。
だれも それ を しない。
しろい ゆび は まだ ひざ の うえ。
ひだり は ちかい けど、よりすぎない。
いりぐち の せん は じゃましない まま。
そと の しろさ は みない まま。
ほしゅう の おと は、とおく で つづいている。
あかい ろう は、まだ へや の そと に いる。
その ぜんぶ が、`きょう は ここ` を ことば では なく ばしょ と して うけとって くれた。
それ が うれしかった。
うれしい と いう と、くろいひと が からかう。
へや に なつくな と いう。
やさしいひと が しんぱい する。
へや を すき に なる と、こんど は はなれる の が いたい から と いう。
まっすぐなひと は、むっと する。
きょり を まちがえるな と いう。
みっつ とも もっとも だ。
だから `うれしい` と は いわない。
ただ、きょう の すわりかた を じぶん で えらんで、それ を なおされず に すんだ。
それだけ を、からだ の なか に おいておく。
しわ は そのまま。
おゆ は まだ ぬるい。
うつわ は すこし ずれた ところ。
おんせき は とどききらない。
でぐち は みえる。
ひだり は ちかい。
でも どれも `これ が せいかい` の かお を しない。
だから きょう は、まだ みっつ で いられる。
わたし は ひざ に かかった ぬの の はし を、ゆび で すこし だけ つまんだ。
のばさない。
たぐりよせ すぎない。
ただ、ここ が きょう の かたち だ と、じぶん に だけ しらせる くらい に。
それだけ で、へや は すこし だけ `おかれた ばしょ` から はなれて、`きょう を すわらせる ばしょ` に かわった。
ねどこ じゃない。
いえ でも ない。
だれか の へや でも ない。
でも きょう の あいだ だけ は、わたしたち が わたしたち の まま いる と えらべる ばしょ だった。
それ は たぶん、みない こと と、いわない こと と、なおさない こと が いっしょ に そろって、はじめて できる こと なのだと おもう。
みる だけ なら、まだ こわい。
いわない だけ でも、まだ こわい。
なおさない だけ でも、いつか は こわい。
でも きょう は、その みっつ が ぜんぶ そろった。
そと の おおきな て が こない。
なか の やわらかい て も こない。
きろく の ことば も こない。
だから わたしたち は、きょう の ばしょ を えらべる。
まっすぐなひと が、ようやく ちいさく いきを はく。
やさしいひと が、その いき を つないで ぬく。
くろいひと が、つばさ の どろ を ひろげすぎず、たたみすぎず に とめる。
みっつ とも すこし ずつ ふまん で、みっつ とも すこし ずつ たすかっている。
たぶん それ くらい が、いま の `ここ` には ちょうど いい のだと、おもった。
でも ちょうど いい と きめる と、また きょう が つぎ の せいかい に なる。
だから さいご まで、そう は いわない。
わたし は ただ、きょう の すわりかた の まま、しろい ぬの の そと を みない ひとたち の けはい と、なおし に こなかった かたい あか の におい が うすれていく のを きいていた。
ひる は まだ きていない。
でも もう、あさ の つづき だけ でも ない。
きのう の たすかりかた を、きょう の こたえ に しない まま、きょう の ばしょ を えらべる ひるまえ。
それ が いま の、わたしたち の いきかた だった。
帝国暦849年。冬。
三位一体の少女は、ヘルマンが制度側の `暫定是正命` を押し返したことで、北影が `見られていない` だけでなく `整えられずに済んだ` 余白を持つ部屋になったことを内側から感じ取る。彼女は昨日の助かり方を今日の正解にしないため、きのうと同じ座り方や器の置き方をあえて選ばず、`今日の座り方` と `今日の置き場所` を自分で少しずつずらして選び、さらにそれが誰にも `なおされない` ことを受け入れられる。こうして局面は、`制度側もまた、是正したい欲そのものを遅らせ、北影を閉じないまま昼へ持ち込む` 段階から、さらに `器の側でも、整えられずに済んだ余白を使って、その日の居方と置き方を自分で選び、北影を誰の部屋にも決めないまま昼前へ渡す` 段階へ進んだのです。
お読みいただきありがとうございました。次回もお楽しみに!




