第11話:触れてはならない逆鱗(辺境の町ガレキ) 【リノ】
ホリヨシです! 新章が開始します! よろしくお願いします
「はい、お兄さんたち!
今日はここまで! 続きが見たかったら、景気良く銅貨を投げてねー!」
砂埃の舞う辺境の町、ガレキ。
その中心にある薄暗い酒場で、私はタンバリンを鳴らしながらウインクを飛ばした。
汗ばんだ肌と、軽快なステップ。
私の踊りに熱狂した荒くれ者たちから、パラパラと小銭が降ってくる。
私はそれを素早く、一枚残らず回収しながら、愛想笑いを振りまいた。
「へへっ、毎度あり! ……マスター、これでいつもの情報、買えるでしょ?」
私は回収した銅貨の半分をカウンターに滑らせ、酒場のマスターにウインクした。
「たくっ、お前さんのがめつさには恐れ入るよ。……で、また『呪い解き』の噂か? 懲りねえな」
「いいのいいの。アタシじゃなくて、あっちの偏屈男の希望だからさ」
私は親指で、酒場の最も暗い隅の席を指した。
そこにいるのは、私の連れであるアレンだ。
騒がしい酒場の喧騒の中でも、彼だけはまるで別の空間にいるように静まり返っている。
深く被った外套の下の瞳は虚ろで、手元のぬるいエールには口もつけていない。ただ、傍らに置かれた巨大な木製の『棺』に片手を添え、それを守るように座り続けているだけだ。
「あいつ、本当に生きてんのか?
そのデカい箱も不気味だしよ。
お前さんみたいな可愛い子が、なんであんな死神みたいな奴と旅してんだ?」
マスターが呆れたように言う。
「愛の力、ってやつ? ま、一方通行だけどね」
私は冗談めかして笑い飛ばしたが、胸の奥が少しだけチクリと痛んだ。
彼が棺の中の彼女――エリスさんのためにしか生きていないことなんて、私が一番よくわかっている。
でも、放っておけないのだ。
今の彼は、張り詰めた糸のように危うくて、少しでも目を離せば自分から壊れてしまいそうだから。
「それで? 何か新しい噂は?」
「ここから北に三日ほど行った『腐海の森』の奥。
そこに、古い時代の呪術を研究してるっていう魔女が隠れ住んでるらしい。真偽のほどは定かじゃねえがな」
「魔女、ね。上等じゃない!」
有力な情報をゲットした私は、意気揚々とアレンの席へ戻ろうと踵を返した。
だが、その時だった。
「おいおい、姉ちゃん。あんな薄気味悪い男より、俺たちと良い酒飲もうぜ?」
酒臭い息を吐きながら、ガラの悪い傭兵崩れの男が三人、私の行く手を塞いだ。
「ごめんなさーい、アタシ、お酒は飲めない年齢なの。それに、連れが待ってるから」
私は愛想笑いを浮かべながら躱そうとしたが、男の一人が私の腕を乱暴に掴んだ。
「痛っ……! ちょっと、離してよ!」
「連れって、あの隅で死んだような顔してる陰気な野郎か?」
別の男が、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながらアレンの席へと歩み寄る。
「おい、陰気野郎。この可愛い姉ちゃんは俺たちがもらうぜ。文句ねえよな?」
男が声をかけても、アレンはピクリとも動かなかった。ただ、棺に添えた指先が、ほんのわずかに――かつて彼が「人間」として理不尽な暴力に怒りを覚えた時のように、ピクッと痙攣したのを私は見逃さなかった。
その僅かな感情の揺れが、無反応と勘違いした男のカンに障ったらしい。
「無視してんじゃねえぞ!
大体なんだ、この邪魔くせえデカい箱は! お宝でも隠してんのか!?」
男が、乱暴に棺の蓋へと手を伸ばした。
その瞬間、私の全身の血の気がサァッと引いた。
「あ、バカッ!! それに触ったら……!!」
私の悲鳴にも似た制止の声は、間に合わなかった。
――ドゴォッ!!
鈍い破裂音が酒場に響き渡った。
私が瞬きをした、ほんの一瞬の出来事だった。
棺に手を伸ばそうとした男の顔面が、カウンターの分厚い木材に深々とめり込んでいたのだ。
血飛沫が舞う。男は悲鳴を上げる間もなく、白目を剥いて気絶している。
「は?」
「え……?」
私を掴んでいた男たちも、酒場の客たちも、何が起きたのか理解できずに硬直した。
いつの間にか立ち上がっていたアレンが、男の後頭部を無造作に掴み、そのまま全体重を乗せてカウンターに叩きつけたのだ。
「それに、触るな」
地を這うような、恐ろしく冷たい声。
アレンの外套のフードが外れ、その瞳が露わになる。
そこには、怒りすらない。ただ、自分の『目的』を邪魔する存在を、物理的に排除するという機械のような冷徹な殺意だけが、どす黒く渦巻いていた。
「て、てめえ……!! ぶっ殺してやる!!」
我に返った残りの二人が、腰からナマクラの長剣を抜き放ち、アレンに向かって斬りかかった。
「アレン! 危ない!」
私は叫んだが、彼は腰に提げたボロボロの鉄剣を抜こうとすらしない。
飛んでくる刃を、彼は最小限の動き――ほんのわずかに首を傾けるだけで躱した。
そして、すれ違いざまに男の腕の関節を逆方向に強烈に蹴り上げる。
「ギャァァァァッ!!」
骨が砕ける生々しい音。男が長剣を落として蹲る。
アレンは止まらない。
もう一人の男の懐に滑り込むと、容赦なくその膝の裏を蹴り砕き、体勢が崩れたところを顎の先端に的確な掌底を打ち込んだ。
脳震盪。男は糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
時間にして、わずか数秒。
魔法も、特別な力も使っていない。ただの泥臭く、そして極限まで無駄を省いた「殺しのための徒手空拳」だった。
酒場は水を打ったように静まり返っていた。
誰もが、アレンの放つ異常な空気に呑まれ、息をすることすら忘れている。
アレンは、床で泡を吹いて倒れている男たちを一瞥もせず、再び静かに自分の席に戻り、棺の表面についた僅かな埃を袖で丁寧に拭き取り始めた。
「マスター。酒代だ」
アレンはカウンターに銅貨を一枚だけ置き、棺を軽々と背負い上げた。
「リノ。行くぞ」
「あ……う、うん!」
私は慌ててアレンの後を追い、酒場を飛び出した。
外に出ると、いつの間にか日は沈みかけ、荒野の冷たい風が吹き始めていた。
前を歩くアレンの背中は、相変わらず小さく、そして拒絶に満ちている。
彼がさっき見せた、一切の躊躇がない暴力。
かつて世界を救ったという英雄が、今やただ一人の女のために、平気で他人の骨を砕く修羅になり果てている。
「ねえ、アレン」
私は小走りで彼に追いつき、その顔を覗き込んだ。
「北の森に、魔女がいるって噂を聞いたよ。呪いを解く手がかりがあるかもしれない」
「そうか」
「でもさ、もし本当に呪いが解けてエリスさんが目覚めた時……今の血生臭いアレンを見たら、彼女、悲しむんじゃないかな?」
私の言葉に、アレンの足がピタリと止まった。
彼は振り返らず、しばらくの間、荒野の風の音だけが私たちの間に流れた。
「悲しむ……か」
ポツリとこぼれ落ちたその呟きは、機械のように無機質だった彼の口調に、ほんの一瞬、感情のさざ波のようなものが混じった気がした。
「俺のことは、どうでもいい」
やがて絞り出されたその声は、かつての『感情を殺した英雄』のものではない。迷いと、痛みを孕んだ、泣き出しそうなほどにひどく震える『ただの人間』の声だった。
「あいつが目を覚まして、元の生活に戻れるなら。俺がどれだけ汚れても、化け物になっても、それでいいんだ」
その悲痛な覚悟を聞いて、私はもう何も言えなくなった。
ああ、やっぱりこの人は、根本的なところで何も変わっていない。
「自己犠牲」という呪いに縛られたまま、今度は世界のためじゃなく、エリスさんのために自分を使い潰そうとしている。
「馬鹿。化け物になんて、私がさせないよ」
私は誰にも聞こえない声で呟き、彼に追いつくために、わざと明るい足音を立てて荒野を歩き出した。
どんなに冷たくされても、どんなに泥に塗れても。
この底抜けの馬鹿が、いつか自分のためにも笑える日が来るまで。私が隣で、うんと明るいステップを踏み続けてやるんだから。
帝国暦846年。
呪いを解くための手がかりを求め、二人と一柱の旅は『腐海の森』へと向かう。
---




