確定稿
俺はまた落ちた。
画面に表示された「選考対象外」の文字を眺めながら、ため息をついた。カクヨムコンテスト11、短編小説部門。今回で八回連続だ。毎回、違うペンネームで、違う作風で、違うひねりを入れて応募しているのに、結果はいつも同じ。
「次こそは」
そう呟いても、声に力はない。もう三十五歳。賞を取ってデビューする夢は、いつしか「取れたらいいな」程度の薄い願望に変わっていた。
その夜、いつものように原稿用紙――いや、パソコンの画面に向かった。新作のアイデアはまだ浮かばない。だから、まずは現実逃避のために、くだらないことを書いてみることにした。
「明日の朝、冷蔵庫にビールが一本増えている」
意味のない文章だ。書いて、保存して、閉じた。
翌朝、冷蔵庫を開けた。確かに、昨日までなかった銘柄のビールが一本、冷えている。俺は瞬きを繰り返した。気のせいか。いや、昨日は確実に空だった。
試しに、もう一度書いてみる。
「今日、財布の中に五千円札が一枚入っている」
昼過ぎ、財布を確認した。五千円札が一枚、折りたたまれて入っていた。心臓が早鐘のように鳴った。
これは……俺の書いたことが、現実になる?
最初は小さなことにした。電車で座れた。コンビニで欲しいお菓子が最後の一個だった。些細な幸運を積み重ねるうちに、確信に変わった。
俺は「神様になった」のだ。少なくとも、文章に関しては。
能力にはルールがあることが、すぐにわかった。
・書いたことは、必ず現実になる
・一度書いたことは、消せない。修正も上書きも無効
・他人には気づかれない。自然に「最初からそうだった」形に現実が調整される
完璧な力だ。
生活は一変した。借金は「返済済み」になった。仕事は「昇進が決まった」。彼女は――いや、元カノは戻ってこなかった。過去の大きな出来事は、なぜか動かせなかった。変えられるのは「これから」のことだけらしい。
それでも十分だった。
そして、俺は決めた。
賞を取る。
これまでの落ち続けは、ただの「準備期間」だったんだ。俺には今、確実な方法がある。
新しく原稿ファイルを開く。タイトルは『確定稿』。
冒頭から、丁寧に書いていく。
「この小説は、カクヨムコンテスト11短編小説部門で円城塔賞を受賞する」
そう入力した瞬間、指が震えた。本当にいいのか?
いや、いいんだ。これで終わる。八回分の屈辱が、すべて報われる。
続きを書く。
「受賞が決まった日、選考委員の円城塔はこう評した。『この作品は、因果の逆転というテーマを、極めて鮮やかに描ききっている。まさに私が求めていた奇想天外さだ』」
現実が、少しずつ歪み始めた。部屋の空気が重くなり、モニターの光が強くなる。まるで世界が、俺の文章に合わせて再構築されていくようだった。
さらに続ける。
「受賞発表の日、俺は画面を見つめながら涙を流した。長いトンネルの出口が見えた気がした」
ここで、ふと違和感を覚えた。
――俺は今、泣いているのか?
頬を伝う熱いものが、ある。確かに涙だ。でも、俺はまだ発表を見ていない。発表は五月のはずだ。今は一月だ。
慌てて文章を読み返す。
「……俺は画面を見つめながら涙を流した」
書いた瞬間から、それが「過去」として確定したらしい。
息を呑む。
つまり、受賞はもう決まっている。俺の書いた通りになる。
急いで続きを書く。
「受賞の連絡が来たその日、俺は――」
指が止まった。
ここで、何を書けばいい?
「喜んだ」? いや、それはすでに書いた。
「デビューが決まった」? それも当然の帰結だ。
「幸せだった」?
――いや、違う。
俺は気づいた。
この能力の本当の限界を。
一度「確定」した事実は、もう変えられない。
受賞は確定した。
でも、同時に「俺がこの小説を書いて応募した」という事実も、確定したままだ。
ということは――
俺は、もう書けない。
この小説を「書き終える」瞬間、俺は「作者」ではなくなる。
「受賞した人」として固定される。
書く行為自体が、過去の出来事になる。
モニターに、最後の文を入力する指が震えている。
「そして俺は、この小説を書き終えた」
カーソルが点滅する。
エンターキーを押すか、押さないか。
押せば、すべてが確定する。
賞は取れる。夢は叶う。
でも、もう二度と、俺は「書く側」に戻れない。
押さないで、削除すれば?
――いや、無駄だ。一度書いたことは消せない。
すでに「受賞する」と書いてしまった以上、現実はその方向へ動き始めている。
俺はゆっくりと、キーを押した。
画面が白く光った。
――おめでとうございます。
カクヨムコンテスト11短編小説部門、円城塔賞の受賞が決定いたしました。
通知が届いていた。日付は、五月。
俺は画面を見つめながら、涙を流した。
長いトンネルの出口が見えた気がした。
でも、どこかでわかっていた。
俺はもう、ここにいない。
この文章を読んでいる「俺」は、すでに「受賞した人」でしかない。
本当の俺は、どこか別の場所で、永遠に最後のエンターキーを押せずにいる。
確定した未来の中で、ただ一人、書くことを許されなかった者として。




