第九十六話 僕らが重ねる、想い
「世界で一番、嬉しい、お守りだよ」
耳元で囁かれた、吐息混じりの甘い声と、首筋に感じる彼女の柔らかな髪の感触。
僕は、溢れ出しそうになる気持ちのままに、彼女の背中に腕を回し、その華奢な体を、そっと、抱きしめた。
優愛の肩が、びくりと小さく震える。
でも、彼女は離れようとはしなかった。それどころか、僕の背中に回した腕に、きゅっと、少しだけ力を込めてくれた。
(……ああ、もう、ダメだ)
この温もりを、この香りを、知ってしまったら。
もう、元には戻れない。
プロジェクトの成功まで、なんて、悠長なことを言っていられるはずがない。
僕が、何かを伝えようと、口を開きかけた、その時だった。
コンコン。
控えめなノックの音が、書斎の静寂を破った。
「「……!」」
僕らは、まるで子供のいたずらが見つかったみたいに、同時に、ばっと体を離した。
心臓が、今までで一番、激しい音を立てて脈打っている。
「……はい!」
僕が、なんとかうわずった声でそう返すと、ドアがゆっくりと開き、ひょっこりと顔を出したのは、爽快おじいちゃんだった。
「おお、やっているかね、二人とも。……ん? なんだか、顔が赤いようだが」
「な、なんでもないです!」
「そ、そうです! ちょっと、議論が、白熱しちゃって!」
僕と優愛の、あまりにも分かりやすい言い訳。
それを見た爽快おじいちゃんは、全てを察したように、にこりと、穏やかに微笑んだ。
その目は、からかっているというよりは、まるで孫たちの初々しい恋を、微笑ましく見守っているかのようだった。
「そうかね。……まあ、あまり、根を詰めすぎんようにな」
彼はそう言うと、「少し、差し入れだ」と、温かい紅茶の入ったポットと、二つのカップを、机の上に置いてくれた。
「……ありがとうございます」
「うむ」
爽快おじいちゃんは、それだけ言うと、僕らの邪魔をするのは野暮だと思ったのか、「では、私はこれで」と、静かに書斎を出ていった。
残されたのは、僕と優愛と、気まずい沈黙。
そして、紅茶の、甘い香り。
「……」
「……」
どちらも、何も言えない。
さっきまでの、あの甘い空気に、どうやっても戻れそうになかった。
「……あ、あのさ」
先に口を開いたのは、優愛だった。
「うん」
「さっきの……その、ありがとう。ブレスレット、本当に、嬉しかった」
彼女は、自分の手首でキラリと光る、星のモチーフを、愛おしそうに指でなぞっている。
その仕草が、たまらなく可愛くて、僕の心臓が、また、きゅっとなる。
「……僕の方こそ、ごめん。なんか、急に……」
「ううん」と、彼女は首を横に振った。
そして、何かを決心したように、顔を上げて、僕の目を、まっすぐに見つめて、言った。
「……嬉しかったよ。溢喜の、本当の気持ちが、聞けた気がして」
その、あまりにもストレートな言葉。
それは、僕が、さっき、伝えようとして、伝えられなかった、言葉の、答えだった。
もう、言葉はいらない。
僕らの心は、確かに、同じ場所にある。
僕は、彼女の、ブレスレットが光る方の手首を取った。
そして、その白い肌の上で輝く小さな星のチャームに、まるで誓いを立てるように、そっと、自分の唇を寄せた。
「……!」
驚いて、大きく見開かれる、彼女の瞳。
僕は、顔を上げて、もう一度、彼女の目を、まっすぐに見つめ返した。
「プロジェクト、絶対に、成功させような」
「……うん」
「そしたら、ちゃんと言う。今度こそ、誰にも、邪魔されずに」
僕の、新しい約束。
優愛は、顔を真っ赤にしながらも、でも、今までで一番、幸せそうな笑顔で、確かに、こくりと、頷いてくれた。




