第六十五話 親友と、先輩
『もしもし、俺だけど』
ワンコールも鳴り終わらないうちに、電話の向こうから、少しだけ眠そうな希望の声がした。
「悪い、寝てたか?」
『いや、まだ起きてる。……つーか、お前から電話してくるとか、珍しいじゃん。さては、優愛のことで、なんかあったな?』
さすが、小学校からの付き合いだ。僕の声色だけで、用件を察している。
僕は、今日一日胸の中でぐるぐると渦巻いていた、どうしようもない葛藤を、洗いざらい希望にぶちまけた。
好きだということ。
でも、告白して、今のこの最高の関係が壊れてしまうのが、何よりも怖いこと。
「幼馴染」で「はとこ」だから、もしダメだったら、もう逃げ場がないこと。
僕が一方的に話し終えるのを、希望は黙って聞いてくれていた。
『……そっか。まあ、お前の気持ちも、分かんなくもねえけどよ』
電話の向こうで、希望が、ふう、と大きなため息をつくのが聞こえた。
『でもよ、溢喜。お前、一つ勘違いしてるぜ』
「え……?」
『今のままじゃ、壊れないと思ってんのか?』
希望の、いつもより少しだけ真剣な声が、僕の胸に突き刺さった。
『お前は、今の関係が心地いいかもしれない。でも、優愛はずっと、お前からの言葉を待ってるかもしれねえだろ。お前が今のままでいるってことは、優愛に「待て」って言ってるのと同じなんだぞ。……それでも、いいのか?』
その言葉に、僕は何も言い返せなかった。
そうだ。
僕は、自分のことしか考えていなかった。
僕が怖がって足踏みしている間、優愛は、どんな気持ちで僕の隣にいるんだろう。
『……まあ、俺みてえな恋愛-経験ゼロのやつに言われても、説得力ねえよな』
希望が、少しだけ照れたように笑う。
『だからさ、こういうのは、プロに聞くのが一番だ』
「プロ……?」
『おう。俺の知ってる中で、最強の恋愛マスターがいる。ちょっと、連絡してみっから、待ってろ』
そう言うと、希望は一方的に電話を切ってしまった。
(プロって……もしや、また美褒のことか?)
頭に、あの夜のハイテンションな彼女の姿が浮かぶ。いや、確かに頼りにはなるけど……。
数分後。
僕のスマホが、ピコン、とメッセージの受信を告げる。
希望からのメッセージだった。
『話、つけといた。明日、昼休みに中庭のベンチな。絶対、タメになる話が聞けるから、行ってみろよ』
そのメッセージの下に、一つの名前が添えられていた。
瀧川 譲
知らない名前だった。
美褒じゃない……?
一体、誰なんだろう。
翌日の昼休み。
僕は、希望に言われた通り、一人で中庭のベンチに座っていた。
周りには、楽しそうにお弁当を広げる生徒たちのグループがいくつもある。
本当に、こんな場所で会うんだろうか。
「……青空、溢喜くん?」
不意に、頭の上から、穏やかで、でもどこか芯のある声がした。
顔を上げると、そこに立っていたのは、僕より少しだけ背の高い、優しそうな顔立ちの男子生徒だった。制服の着こなしからして、たぶん先輩だ。
そして、その隣には、長い黒髪が綺麗な、すごく美人な先輩が、少しだけはにかむように立っている。
「はい、そうですけど……」
「希望から、話は聞いてる。俺は二年の、瀧川 譲。で、こっちが……」
「森園 杏奈です。よろしくね、青空くん」
森園先輩がにこりと微笑む。その笑顔が、あまりに綺麗で、僕は一瞬、言葉を失った。
「希望のやつから、『親友が、世界で一番難しい恋の悩みを抱えてるから、助けてやってくれ』なんて、大げさな連絡が来てさ」
瀧川先輩は、そう言って苦笑すると、僕の隣にどかっと腰を下ろした。
「まあ、俺たちで力になれることがあるか分かんないけど。……とりあえず、話、聞かせてみろよ」
その、どこまでも自然体で、頼りになる雰囲気。
僕は、この人なら、何か答えをくれるかもしれない。
そんな予感を胸に、ゆっくりと、自分のどうしようもない悩みを、語り始めた。




