第六十四話 この距離が、愛おしくて
スカイランタンの柔らかな光と、繋いだ手の温もり。
涼風祭の夜が明けても、あの日の特別な時間の余韻は、僕の心を温かく満たしていた。
「好き」という気持ちは、もう隠しようがないくらいに、僕の中から溢れ出している。
でも、その気持ちをどう扱えばいいのか、僕にはまだ分からなかった。
昼休み。
いつものように、僕と優愛、希望、美褒の四人で机をくっつけて弁当を広げる。
「なあ、溢喜」
希望が、僕にだけ聞こえるような小声で、肘をつついてきた。
「ん?」
「……で、いつ言うんだ?」
「いつって……何をだよ」
僕がとぼけて見せると、希望は「分かってんだろーが」と、呆れたように唐揚げを口に放り込んだ。
その時、ちょうど優愛と美褒が、何かの話題で楽しそうに笑い合っているのが目に入った。
クラスの中心で、いつもキラキラしている優愛。
その隣にいるのが、僕にとっての当たり前。
(……このままでも、いいんじゃないか)
ふと、そんな弱気な考えが頭をよぎる。
告白なんてしなくても、僕は今、一番近くで彼女の笑顔を見ることができている。
これ以上、何を望むんだろう。
「……まあ、そのうちな」
僕がそう言って話を逸らすと、希望は「ヘタレが」とだけ呟いて、それ以上は追及してこなかった。
でも、希望の言うことは、もっともだった。
いつまでも、このままじゃいけないことくらい、僕だって分かっている。
でも……。
放課後。
二人きりの帰り道。
「ねえ、溢喜」
優愛が、楽しそうに僕の顔を覗き込む。
「涼風祭の写真、現像してきたんだ。見る?」
「おお、見たい」
僕らは、いつもの角を曲がった先にある、小さな公園のベンチに腰を下ろした。
夕日が差し込む中、優愛が差し出した写真には、カフェのカウンターで並んで笑う僕らや、スカイランタンを空に放つ、たくさんのクラスメイトたちの姿が写っていた。
「……ふふっ、この溢喜、顔、固まってる」
「うるさいな。ああいうの、なんか緊張するんだよ」
言い合いながら、笑い合う。
肩が触れ合うくらいの距離。
彼女の体温が、すぐそこに感じられる。
(……この距離が、すごく、心地いい)
そう思った瞬間、僕の胸を、鋭い痛みがちくりと刺した。
もし、僕が「好きだ」と伝えたら?
もし、万が一、優愛の気持ちが、僕と同じじゃなかったら?
「幼馴染」で、「はとこ」で、血の繋がりはなくても、僕らは「親戚」なんだ。
気まずくなったら、もう、逃げ場がない。
この、当たり前のように隣にいる時間も。
他愛ないことで笑い合える、この空気も。
「最高のパートナー」として、一緒に何かを成し遂げた、この信頼も。
全部、全部、壊れてしまうんじゃないだろうか。
失うのが、怖い。
今のこの心地よい関係が、どうしようもなく、愛おしい。
そう思ってしまったら、もう、一歩も前に進めなくなってしまった。
「……溢喜?」
急に黙り込んでしまった僕を、優愛が心配そうに見つめている。
「あ、いや、なんでもない。……この写真、よく撮れてるなって」
僕は、慌ててそう言って、笑顔を作った。
でも、その笑顔は、きっとうまくできていなかっただろう。
家に帰り、ベッドに倒れ込む。
天井を見上げながら、僕はどうしようもない自己嫌悪に陥っていた。
「好き」という気持ちは、溢れるほどあるのに。
それを伝えることで、この愛おしい日常を失ってしまうかもしれない恐怖が、僕の足をすくませる。
このままじゃ、ダメだ。
でも、どうすればいい?
この関係を壊さずに、想いを伝える方法なんて、あるんだろうか。
僕は、スマホを手に取り、一つの名前を呼び出した。
こんな情けない相談ができる相手は、もう、あいつしかいなかった。




