第六十三話 夕闇に咲く光
涼風祭二日目。
昨日のドキドキを引きずったまま迎えた朝は、どこかふわふわとして、現実感がない。
教室に入ると、優愛がすでにそこにいて、開店準備を始めていた。
「おはよう、優愛」
「……おはよ、溢喜」
僕の声に、彼女の肩がびくりと揺れる。
ばちり、と目が合った瞬間、お互いの脳裏に昨日のリンゴ飴の記憶が蘇り、二人して顔を真っ赤にして、さっと視線を逸らした。
その反応が、僕らの間の空気を、昨日までとは全く違う、甘くて、少しだけ気まずいものに変えていた。
「おいおい、朝からイチャイチャしてんじゃねえよ」
「してるか!」
希望の野次に、僕はいつもより大きな声でツッコミを入れてしまった。
二日目の「謎解きゲームカフェ」も、昨日以上に大盛況だった。
委員長と副委員長としての僕らの連携は、もう完璧と言っていい。
時々、カウンター越しに目が合っては、慌てて逸らす。
そのたびに、希望と美褒だけが、ニヤニヤと僕らを見ていた。
あっという間に時間は過ぎ、閉会を告げる放送が流れる。
クラスのみんなで「お疲れ様ー!」とハイタッチを交わし合う。
僕と優愛も、自然と手を合わせようとして、指先が触れ合った瞬間に、また二人してびくりと固まってしまった。
「……お、お疲れ」
「お疲れ様」
ぎこちない僕らの様子を見て、希望と美褒が、またニヤニヤしている。
全ての片付けが終わり、教室が元の姿に戻る頃には、窓の外はすっかり夕闇に包まれていた。
涼風祭の終わりを告げるのは、生徒会が企画した「スカイランタン」だった。
生徒一人一人が、願い事を書いた小さなランタンに火を灯し、合図と共に一斉に夜空へ放つのだ。
僕らもクラスメイトたちと一緒に校庭に出て、それぞれのランタンを受け取る。
「何、お願いするんだ?」
僕が聞くと、優愛は「秘密」とだけ言って、小さなペンで何かを書き込んでいる。
やがて、放送でカウントダウンが始まった。
『……3、2、1、GO!』
合図と共に、僕らは一斉にランタンから手を離した。
無数のオレンジ色の光が、ゆっくり、ゆっくりと夜空を昇っていく。
歓声は上がらない。
ただ、誰もが息を呑んで、その幻想的な光景を見上げていた。
「……きれい」
隣に立つ優愛が、ぽつりと呟いた。
その横顔が、昇っていくランタンの柔らかな光に照らされて、昼間とは違う、幻想的な美しさだった。
僕は、気づけば、彼女のすぐそばにあった手を、そっと握っていた。
優愛が、びくりと肩を揺らす。
でも、振りほどきはしなかった。
「優愛」
「ん?」
僕は、夜空を埋め尽くす光を見上げたまま、言った。
「涼風祭、終わっちゃったな」
「……うん」
僕は、彼女の隣で、ただそれだけを呟いた。
もっと言いたいことはたくさんあるはずなのに、言葉にならない。
涼風祭が終わってしまう寂しさと、彼女が隣にいる幸福感。
その二つが混ざり合って、胸がいっぱいだった。
優愛は、そんな僕の気持ちを察したように、何も言わずに、僕の手を、強く、強く握り返してくれた。
その温かさだけで、十分だった。
夜空に咲き乱れる、無数の静かな光。
それはまるで、僕らの、そして、この学校にいる全ての生徒たちの、未来を祝福してくれているかのようだった。
この温かい光景と、繋いだ手の温もりを、僕は一生、忘れないだろう。
そう、確信していた。




