第五十三話 世界で一番、うまい
約束の日曜日は、またしても、僕らの気持ちを映したかのような快晴だった。
待ち合わせ場所の駅前。
前回よりも少しだけ早く着いた僕がそわそわしながら待っていると、少し向こうから、小さなバスケットを大事そうに抱えて歩いてくる優愛の姿が見えた。
「おはよう、溢喜。ごめん、待った?」
「おはよ。ううん、僕も今来たとこ」
今日の彼女は、動きやすいパンツスタイルに、ふわりとしたカーディガンを羽織っている。
どんな格好でも似合ってしまうのが、本当にすごい。
僕の視線がバスケットに向いているのに気づいたのか、優愛は少しだけ頬を染めた。
「……頑張って、作ってきたから」
「うん。すごく、楽しみだ」
電車を乗り継いでたどり着いた動物園は、たくさんの家族連れで賑わっていた。
子供たちのはしゃぐ声や、動物たちの鳴き声が、あちこちから聞こえてくる。
「わ、キリンだ! 首、ながーい!」
優愛が、子供みたいに目を輝かせてキリンの柵に駆け寄る。
「象も大きいね!」
「あ、あそこの猿、面白い顔してる」
普段、学校では見せない無邪気な姿。
その一つ一つが、僕の心に焼き付いていく。
僕らは、他愛ない話をしながら、ゆっくりと園内を歩いた。
ライオンが大きなあくびをするのを見て笑い、ペンギンがよちよち歩く姿に癒される。
そんな何でもない時間が、今は何よりも大切で、幸せな時間だった。
お昼になり、僕たちは見晴らしの良いベンチに腰を下ろした。
いよいよ、お弁当の時間だ。
「はい、どうぞ」
優愛がバスケットから取り出したのは、色とりどりの、綺麗なお弁当だった。
真ん中には、僕が好きだと言った、黄金色の卵焼き。
タコの形をしたウインナーに、うさぎの形をしたりんご。
「……すごい。店で売ってるやつみたいだ」
「そ、そんなことないよ! ちょっと、焦げちゃったとこもあるし……」
照れくさそうに言う彼女を前に、僕はもう、気持ちを抑えることができなかった。
卵焼きを一つ、口に放り込む。
少しだけ甘くて、懐かしい、優しい味。
「……うまい。世界で一番、うまい」
僕がそう言うと、優愛は一瞬きょとんとして、そして、今まで見た中で一番嬉しそうに、花が咲くように笑った。
その笑顔だけで、僕はこのお弁当が世界で一番美味しい理由が、はっきりと分かった気がした。
お弁当を食べ終え、午後の日差しが少しだけ柔らかくなってきた頃。
僕らは、ふれあい広場にやってきていた。
「わ、ひよこ、小さい……!」
優愛が、手のひらに乗せたひよこを、愛おしそうに見つめている。
その横顔は、ひよこよりもずっと、何倍も可愛かった。
「溢喜も、触ってみる?」
「え、いや、俺はいいよ」
「だめ。ほら」
そう言って、優愛は僕の手を取り、その上に、そっとひよこを乗せてくれた。
彼女の指先が、僕の手に触れる。
その温かさと、手のひらの上でピヨピヨと鳴く小さな命の感触に、心臓が大きく跳ねた。
「……あったかい」
「でしょ?」
僕らは、顔を見合わせて笑い合う。
その距離は、今までで一番近かったかもしれない。
帰り道の電車の中。
遊び疲れた優愛は、また僕の肩にこてん、と頭をもたれて、静かな寝息を立てていた。
もう、二度目だからだろうか。
前回のようなパニックはなく、ただ、愛おしいという気持ちだけが、僕の心を満たしていく。
僕は、そっと、自分の頭を、彼女の頭の上に優しく重ねた。
窓の外を流れていく夕焼け。
肩にかかる、愛おしい重み。
「好きだ」という気持ちは、もう言葉にしなくても、僕の中から溢れ出して、きっと彼女にも伝わっている。
そんな気がした。
今は、まだこれでいい。
でも、いつか。
青空の下、どこまでも続く海の前で、ちゃんと言葉にして伝えよう。
僕は、彼女の寝顔を見ながら、心の中で、もう一度強く、そう誓った。




