第五十二話 君の隣で、思うこと
「……優愛と、二人で行くの」
僕が放った言葉の余韻は、数日経っても、ふとした瞬間に僕の胸を熱くした。
帰り道で顔を真っ赤にして俯いてしまった優愛の姿を思い出すだけで、口元が緩んでしまう。まずい、完全に僕の方が浮かれてる。
「で、結局、動物園の作戦は立てたのかよ?」
昼休み、希望が唐揚げを口に放り込みながら聞いてくる。
「作戦って……ただ動物園に行くだけだろ」
「甘いな、溢喜! そういう何気ない一日にこそ、男の見せ場ってもんがあるんだよ!」
「希望、うるさい。溢喜が困ってるでしょ」
美褒が呆れたように言うが、その目は「で、どうなの?」と輝いている。
完全に楽しんでいるな、この二人。
「別に、まだ何も……」
僕がそう答えると、優愛が「ううん」と、僕の言葉を遮った。
「ちゃんと考えてるよ。ね、溢喜?」
そう言って、僕ににっこりと微笑みかけてくる。
それは、僕と彼女だけの秘密を確かめるような、特別な笑顔だった。
「……まあ、な」
僕は照れ隠しにそう返すのが精一杯だった。
授業中、ふと隣を見ると、優愛が教科書の影で、小さなメモ帳に何かを書き込んでいるのが見えた。
(……動物園のこと、考えてくれてるのかな)
そう思うだけで、胸が温かくなる。
でも、同時に、ある感情が胸をちくりと刺した。
休み時間、クラスの人気者の一人である男子が、優愛の机にやってきた。
「海波さん、ごめん、この前の委員会の議事録のことで聞きたいんだけど……」
「うん、いいよ」
優愛は、いつも通り誰にでも優しく、丁寧に説明している。
楽しそうに笑い合う二人の姿が、やけに目に付いた。
(……別に、普通に話してるだけだ)
頭では分かっている。
分かっているのに、面白くない。
今まで、彼女の隣にいるのが当たり前すぎて、こんな気持ちになったことは一度もなかった。
面倒見のいい彼女が、他の誰かに優しくしている。
ただそれだけのことなのに、僕の心は勝手にざわついていた。
「溢喜、どうしたの? 難しい顔して」
話が終わった優愛が、僕の席にやってきて、不思議そうに顔を覗き込む。
「……別に」
「ふーん。そう?」
それ以上は何も聞いてこない優愛の、その距離感が、今は少しだけもどかしかった。
放課後。
「じゃあ、帰ろっか」
僕が声をかけると、優愛は「うん」と頷いて、当たり前のように僕の隣に並んだ。
さっきまでのモヤモヤが、彼女が隣にいるという、ただそれだけの事実で、すっと消えていくのを感じる。
僕の居場所は、やっぱりここなんだ。
「ねえ、溢喜」
帰り道の途中、優愛がふいに立ち止まった。
「ん?」
「日曜日のことなんだけど……お弁当、作っていってもいいかな?」
「え、お弁当!?」
予想外の提案に、僕は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「だ、ダメかな? 溢喜、公園でのはとこ会で、私の作った卵焼き、好きだって言ってくれたから……」
少しだけ不安そうに、上目遣いで僕を見る。
そんな顔で、そんなことを言われたら、断れるはずがない。
「ダメなわけないだろ! すごく、嬉しい」
僕がそう言うと、優愛は心の底からほっとしたように、花が咲くように笑った。
「よかった! じゃあ、頑張って作るね!」
その笑顔を見た瞬間、昼間の小さな嫉妬なんて、どうでもよくなった。
僕が守りたいのは、他の誰にも向けない、今、僕だけに向けられた、この笑顔なんだ。
「じゃあ、飲み物は僕が持っていく」
「え、いいの?」
「当たり前だろ。……パートナー、なんだから」
僕がそう言うと、今度は優愛が顔を赤らめる番だった。
「……うん」
小さく頷いて、また少し先を歩き出す彼女の、少しだけ弾むような足取り。
その小さな背中を見ながら、僕はどうしようもなく、好きという気持ちが溢れ出してくるのを感じていた。
日曜日が、待ち遠しくてたまらない。




