第四十六話 それぞれの後悔
あの日、僕と優愛が交わした約束は、重く、そして確かだった。
週が明け、月曜日から金曜日までの学校生活は、どこか現実感のないまま過ぎていった。
授業も、友達との会話も、頭の半分は週末のこと――それぞれの祖父と向き合うことで占められていたからだ。
「……大丈夫か、二人とも」
金曜日の昼休み。
希望が、心配そうに僕たちの顔を覗き込んだ。
「なんか、今週ずっと真剣な顔してるぞ。はとこ会の準備、そんなに大変なのか?」
「まあ、色々とな」
僕が曖昧に笑うと、隣に座る美褒が、すべてを分かっているような優しい目で言った。
「無理しないでね、溢喜、ゆーちゃん。何かあったら、私にもできることがあったら言ってね」
「……ありがとう、美褒」
優愛が小さくお礼を言う。
そうだ、僕らは一人じゃない。
ここにも、僕らを支えてくれる仲間がいる。
そして、運命の土曜日がやってきた。
僕と優愛は、別々の場所へ向かう。
僕は、僕の祖父である真実おじいちゃんの会社へ。
優愛は、彼女の祖父である優誓おじいちゃんの家へ。
株式会社「輝」の社長室。
真実おじいちゃんは、僕が一人で訪ねてきたことに少し驚きながらも、革張りのソファに座るよう促してくれた。
「それで、話とは何だ」
穏やかだが、どこか全てを見透かすような鋭い視線に、僕はゴクリと唾を飲み込んだ。
意を決して、まっすぐにおじいちゃんの目を見て、切り出した。
「大伯父さんの……颯喜さんのことについて、話が聞きたいです」
その瞬間、おじいちゃんの顔から表情が消えた。
「……お前が、知る必要のないことだ」
拒絶。
その冷たい声に、心が凍りつきそうになる。
でも、ここで引くわけにはいかない。
「知る必要があります。だって、これはもう、過去の話じゃない。僕と、優愛の、未来の話でもあるから。僕らは、この過去から逃げたくないんです」
僕の言葉に、おじいちゃんはしばらく黙り込んでいた。
やがて、深い深いため息をつくと、重い口を開いた。
「……あいつは、優しくて、少しだけ体が弱くて、そして誰よりも、俺たちのことを分かってくれていた、最高の親友だった」
同じ頃、優愛もまた、光道本邸の応接室で、優誓おじいちゃんと向き合っていた。
「ほう、颯喜のことかね。懐かしい名前を出してきたな!」
優誓おじいちゃんは、いつものように豪快に笑って見せた。
だが、その目の奥が、ほんの一瞬だけ、寂しそうに揺らいだのを、優愛は見逃さなかった。
「おじいちゃん。私は、本当のことを知りたいの。あの日、何があったの?」
真実おじいちゃんは、静かに語り始めた。
「あの日、川で……私は、少しだけ颯喜から目を離していた。釣りに夢中になっていたんだ。気づいた時には、もう……。もし、私がちゃんと見ていれば……」
その声は、後悔に震えていた。
「私は、自分の不甲斐なさが許せなかった。だから、兄貴(優誓)に当たったんだ。『お前がふざけていたからだ』と、ありもしない理由をつけてな。誰かのせいにしなければ、自分が壊れてしまいそうだったんだ……」
優誓おじいちゃんもまた、孫娘の前で、初めて弱さを見せていた。
「俺は、長男だった。光道家を継ぐ者として、誰よりも強くあらねばならんと思っていた。だから、弟(真実)が、俺のせいで颯喜が死んだと責めてきた時、素直に謝ることができなかった。『俺のせいじゃない』と、意地を張ることしかできなかったんだ。本当は、一番近くにいた俺が、もっと気をつけていれば……」
それぞれの場所で、それぞれの祖父が、何十年も胸の奥にしまい込んできた、痛切な後悔。
それは、互いを憎んでいたからではなく、互いが、そして何より自分自身が、かけがえのない親友を失った悲しみから、逃げ続けてきた結果だった。
その夜。
僕は、自室のベッドで優愛に電話をかけた。
『……そっか。真実おじいちゃんも、そうだったんだ』
電話の向こうの優愛の声は、少しだけ震えていた。
僕らは、今日一日で知った、祖父たちの本当の気持ちを、静かに報告し合った。
「二人とも、ずっと苦しんでたんだな」
『うん……。ずっと、一人で』
どうすればいい。
この、何十年もこじれてしまった兄弟の心を、僕らに解きほぐすことなんてできるんだろうか。
『……でも、分かったよ。溢喜』
優愛が、決意を秘めた声で言った。
『私たちが、次にすべきこと』
「……ああ。僕も、同じこと考えてた」
答えは、一つしかない。
僕と優愛は、電話越しに、強く頷き合った。
僕らの本当の挑戦は、ここから始まる。




